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 玄関の扉を開けて、外に出た。

 涼しい、をとっくに通り越した肌寒い風が途端に髪を巻き上げて。

 街灯の下を歩き出す。


 公園で待ってる。


 佐山が耳元で囁いた言葉はそれきりで。どこか憤然としたような表情の彼が、廊下で自分を呼び止めて言い置いたのは、一方的な約束の取り付け。

 バイトを終えて、家に帰る手段が自転車だからそんな風に言ったのだろうか。


 公園というのは、間違いなく近所の、自分の知っている公園だと思う。

 彼との共通の知識で、思い当たるのはそこしかなかった。佐山が初めに自分を好きだと言った場所。

 これでもし違う場所を指定しているのだとしたら、もう立ち直れない気がする。


 静かな住宅街を早足で進んで、見慣れた車が路上に停まっているのを確認した。

 その中に彼は見当たらず、視線を公園内に移す。ひとり分のシルエットが、ベンチに見えて。背を向けた佐山のその影に、何となくほっとするような、どきりと心臓がはねるような、どちらともつかない妙な感覚を覚えてしまう。


「・・・よう」


 足音に気付いたのか、彼が上半身を捻って自分を見た。

 常夜灯に照らされた顔は、少し困っているようにも見える。


「悪かったな。夜道歩かせて」


 微妙に目を細めてこちらを見上げ。

 いつもよりも低音の、艶のある声。

 手招きされて、彼の隣に腰を下ろす。座ることで、震えそうな膝を押さえつけることができた。佐山の声が、確実に自分を捉えたのだ。恐怖ではなく、ただ駆け抜けていく柔らかな痺れが、全身から何かをかき立てる。


「・・・すぐ近くじゃん」


 逃げ出したくなるような気持ちを押さえ込んで、ようやく声を出した。

 自分でも可愛くないと思えるその返答に、彼はただ小さく笑うだけ。


「あのさ」

「ん?」


 何を言われるのだろう、彼の求めに応じられないから別れを切り出されるのだろうか。

 そうやって脳内をかすめるネガティブな思考に負けそうになりながら、先に弁解をしたかった。


「この前、佐山さんが入り口でキスしたの、イヤだった」


 沈黙の代わりに、彼が苦い顔をする。


「・・・あそこ、私が振られた場所だもん。大雨の時、ゴウさんとイカガワシイ話してた場所じゃん」


 一気に言い切って、もう一度、その顔が気まずそうに顰められたのが目に入った。

 佐山の中では、そんなに大した事ではないのだろうと。

 それは分かる。

 分かるけれど、自分の中でそれを良しとする事はどうしてもできなかった。


「なんかね、キスされた瞬間にそれ思い出した。佐山さんて彼女でなくてもそういう事できる人だったよね、って。私が前に嫌がったから、今でもその手の女の人と付き合ってるのかな、って」


「っっ!!」


 短く吸い込んだ息、その音を聞いて、彼が焦っているのを感じる。

 自分達以外に、公園に人影が見当たらない事にほっとした。


「・・・だからね、なんか、どうしてもイヤだったの。あの日はね、佐山さんの言うこと、私の中に入ってこなかった」


「・・・してないからな」

「え・・・?」


 今は違うけれど、と付け足そうとした時。

 彼の低い声が夜気に混じった。


「お前が俺の事を好きだって言ってから、誰も抱いてないからな」

「あ、うん。それは、」

「なんで分かんないだよ」


 佐山のストレートな物言いに恥ずかしくなりながらも、その件に関しては今は疑っていない、と返そうとしたのに。それを遮って彼が吐き捨てるように言うものだから。


「分かんなかったよ!! 全然、分かんなかった!! だって、そういう確信持てるような事、言ってくれなかったじゃん!! 他の女の人のとこ行っちゃうって、普通思っちゃうよ!!」


 ああ、また大声を出してしまった、と。

 昼間で懲りたはずだったのに、また周りを困らせるだけの毒を吐いてしまった、と。

 彼の驚いた目を見て、そう後悔する。


「京子」


「・・・ごめん。なんかダメだ、こんなの子供みたい」

「っっ、なんでだよ、悪いのって全部俺だろ」

 卑怯にも潤みそうになる両目を閉じて謝ったら、頭の上で彼の声が響く。

「お前にそう思わせたのって、俺がそういう生活してたせいだろうが」

 そっと伸ばされた腕に、引き寄せられて。間近になった彼の双眸は、射抜くようにこちらを見ていた。少しも逸らされず、ただ何かを訴えるようにじっと見てくる。


 触れたい。


 そう思ったのは、キスができる距離なのに、彼が少しも動かないせいかもしれない。

 信じてくれと懇願しているような、必死な目だとか。

 偉そうな言葉でも、低くて掠れそうな声音だとか。

 佐山がそうやって表に出すものが、たまらなく愛しいと思って。


「っっ!?」

「・・・うん」


 ほんの少し体を伸ばして、彼の唇に触れた。

 今まで与えられたようなキスではなく、触れるだけのそれ。訪れた恥ずかしさよりも、明らかに動揺する佐山の姿を目に収められた嬉しさが大きくて。


「でも、好きだな、って思うんだ。そう思ったら、佐山さんは私の事、ちゃんと彼女として想ってくれてる、って確信が持てた」


 自分の背に置かれている右手の指先に力が入っていて、逆の左手は唇を触っている。

 呆然とした様子の佐山にそう告げると。


「っあー、このままここで押し倒したい」


 唐突に抱きしめられ、耳の上で囁かれたそれに熱が灯った。

「いいか、お前が悪いことなんて一個もねーんだよ。この前あそこでキスしたのは、お前があの男の名前呼んでたからだろ」

「・・・あの男って・・・司月さん?」

「あー、・・・それ」

 司月は、緋天のお兄さん、それ以外の何ものでもないのに。

 あの男、それ、と口にされた司月に申し訳なく思いながら、そうやって嫌そうに佐山が言うのがおかしかった。

「・・・名前で呼ぶか、普通」

「だって緋天のお兄ちゃんだもん。苗字で呼んだら変じゃん。あ、司月さん彼女いるよ」

 ぼそりと呟く彼の声に答える。彼の心配している要因も否定して。

「じゃあ」

 ぎゅ、と背中に回された手に力が入る。


「俺の名前も呼べよ」


 落とされた声が。

 すねているような、命令しているような、甘えているような。

 色んなものがごちゃまぜになって聞こえるのに。

 とにかくそれが、心臓をつかんだ。


「・・・亮祐さん」


「亮祐くん。亮ちゃん。亮祐様。亮、・・・えっと他に」


「一番はじめと、最後から二番目以外は却下」

 彼を満足させる為に次々と口にしたその名前は、特別な響きで自分の中に馴染んでいく。

 つい先刻までの様子は微塵も見せず、音がしそうな程、にっこりと笑う彼が体を離して自分を覗き込む。

「・・・名前、呼んでほしかっただけ?」

「それもあるけど、呼び出したのは別件」


 夜目でもその形のいい唇が判るほどの近さ。

 じっと見つめられて。


「今度の休み、俺の家に来い」


 触れる寸前、そう言い放たれて。

 直後、荒々しく。

 口付けられた。


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