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第四十六話  手術、終了

 手術室の前で、俺は凜の母親と長椅子に座って、手術が終わるのを待った。

「惣介くん、そんなに心配しなくて大丈夫よ。日常的な手術だし、先生もベテランの先生だから」

「はあ……」

 俺は、そんなに心配そうな顔をしているのかな。

「でも、いてくれて本当に嬉しいわ。どうしてもあんな血液の子は、余計な心配があるから」

「うちのお袋は、俺になにがあっても心配なんてしそうにないですよ」

「そんなことないわよ。陽子先輩、惣介くんが車を運転するようになったときは、ずいぶん心配したんだから」

 お袋のことを『陽子先輩』と呼んだのが引っかかって、俺は訊き返した。

「母さんって、先輩なんですか?」

「そうよ。訊いてない? 陽子先輩とは同じ高校で、私が二学年下なの」

 ということは、お袋とは二歳しか年が離れていないことになる。お袋は、特別早い結婚でも出産でもなかったから、俺と凜の年齢差を考えると、凜の母親は、ずいぶん年齢がいってから出産したんだな。

「どうしたの?」

「いえ…、お袋に比べると、若く見えるなあって……」

「うわあ、惣介くんがお世辞を言えるようになったなんて、私も年、取ったなあ」

 愉しそうに笑われて、俺は頭を掻いた。

 このひとはかつて、向かいに住んでいるにもかかわらず、会うたび俺や雄介に「大きくなったわね」と口癖のように話しかけていた。最近そんな台詞も訊かなくなっていたから、妙に懐かしい。

「わたしね、ずっと子どもに恵まれなかったのよ」

「そうだったんですか」

「不妊治療の大変さも知ってたから、迷ってたの。でも、惣介くんや雄介くんを見てたら諦めきれなくて…。治療に踏み切る決心をした直後に、凜ができたの。なかなか親孝行な子でしょ。不妊治療費がごっそり浮いたわ」

 深刻な話を訊いていたはずなのに、俺は吹き出してしまった。

「やっと授かったのに、稀血だなんて、心配は続くわね。わたし、看護師になったばかりのときに、稀血のひとが亡くなったのを目の前で見たのよ。大怪我だったけど、輸血さえできたら助かったのに」

「……俺と凜ちゃんの婚約話は、そのせいなんですか?」

「ああ、あの婚約話、もしかして、気にしてくれてたの?」

「ええ、まあ……」

「ごめんね。陽子先輩に『凜が将来、惣介くんみたいなひとと結婚してくれたら安心なのに』って愚痴ったら『じゃあ、婚約させようよ』なんて、ファミレスの平日ランチを食べながら盛り上がって」

 …………なんか、えらい安っぽい婚約だ。

「ごめん、ごめん。相手が小学生でも、彼女に気兼ねしちゃうか。惣介くん優しいもんね。じゃ、婚約解消でオッケーよ」

「…………どうも……」

 軽い。軽すぎる。

 この数ヶ月の喧騒はなんだったんだ。あまりのあっけなさに、俺は呆然自失になった。

「あ、そうだ。渡そうと思っていたのに、この手術に気を取られて忘れてたの。写真、ありがとう。本当にみんな喜んでたのよ。凄くいい写真ばかりで。で、これ、今日、来てくれるって訊いてたから…」

 差し出された小さな紙袋を覗き込むと、封筒が四枚とお菓子かなにかの箱が入っている。貸し出したデータのメディアはすでに返してもらっていたので、俺は首を傾げる。

「写真代と、お菓子よ。お菓子は写真部のみんなで食べて」

「写真代?」

 四人で写真を撮ったから、この封筒は撮影者それぞれに…ということらしい。

「あれね、一枚百円で申し込んでもらったの。惣介くんたち、フィルム代とか電車賃とかガソリン代とか昼食代とか、ほかにも色々かかってるじゃない。だから、少しでも出したかったの。バレエの先生もそうしてくれって言ったから」

「写真はデジタルだし、フィルム代とかありませんよ。運賃や昼食代なんてわずかだし。それに、みんなには、ボランティアだって言いましたから」

「少しだけだし、もらっておいて」

「そうなんですか……。あの、中を見てもいいですか?」

「ええ、もちろん」

 封筒のひとつを開封して、思っていたより、はるかに多くの金額が入っていたので驚いた。運賃や昼食代どころじゃない。

「あの、これ、全部の封筒に同じ金額が入ってるんですか?」

「そうよ」

 だとすると、全部で十万近い。いくらなんでもこんな金額、もらえない。そう言うと、凜の母親は、きっちり説明してくれた。

 写真のプリント代は、百枚以上だと現在キャンペーン中で一枚二十円だそうだ。出演者は一人平均六十枚くらい購入したので、差額は四千八百円ほど。それが二十人で九万六千円くらいになるという。

「だったら、写真代の百円が高すぎるんじゃないですか?」

 出演者の親が支払った写真代が六千円とはかなり高額だ。たかが二、三分の舞台で。

「惣介くん、なに言ってるのよ。幼稚園のスナップ写真でも八十円よ。バレエの写真、見せたでしょ? あれなんか一枚七百円なんだから。百円でバレエの写真が買えるなんて、みんな泣いて喜んだのよ。しかも、ひとりひとりを、大きく写してくれたでしょ? 主役やひとりで踊らない限り、こんな風に撮ってもらえることはないのよ。だから、超激安価格なの」

「そうなんですか。じゃあ、本当にいただいて大丈夫なんですか?」

「もちろんよ」

 なんか本当に、驚いた。こんなことってあるんだ。

 写真部応援企画の準優勝賞金より高いとは……。


 手術中のランプが消えた。

 反射的に立ち上がると、扉が開いて執刀医が出てきた。

「無事、終わりました。凜ちゃん、頑張りましたよ」

 よかった、本当に。

 とにかくいまは、凜の無事を素直に喜びたい。



M大写真部副部長の喧騒は、バレエが絡んだり、美大生が出てきたりで、写真以外にも調べなければ書けないことが多く、予想以上に面倒だったんですが、血液のことが一番大変でした。

頭が悪いのか、いまひとつ、理解しきれなかったような……。


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