第三十五話 柚希と同伴帰宅
「お邪魔します」
「どうぞ、上がって」
柚希が脱いだ靴を見て、やはりサイズは女の子より大きいんだなと思った。それでも、女物の靴が入るのだからたいしたものかもしれない。
キッチンから物音がしたので、キッチンとリビングにつながる扉を開けた。お袋がテーブルに買い物袋を置いたところだった。
「母さん、帰ってたんだ」
「ちょうどいま、帰ったばかりなの。あ、そういえば、写真部の子が来るの、今日だったわよね」
「お邪魔してます。瀬戸柚希です。松浦さんには写真部でお世話になってます」
柚希は大きめの菓子折りを差し出しながら、丁寧な挨拶をした。
お袋は柚希を見て、呆然となった。
「…あ、これはこれは、ご丁寧に、ありがとうございます……」
あたふたと受け取りながら、お袋は俺の袖を引き寄せた。
「ちょっと惣介、こんなに綺麗な女の子を連れてくるなら、なんでそう言わないのよ」
こそこそと耳元で囁かれた声は、なんだか尖がっている。お袋を怒らせるようなこと、したのかな。
「鉄道マニアの熊さんが来ると思ってたじゃないの。どうしてくれるのよ」
「あのさ……」
柚希は男だから、と言いかけて、俺は口を噤んだ。言ってもいいんだろうか。林原のときは、誤解されるよりいいと言ったが、初対面のおばさんに驚かれるのは、不快ではないだろうか。
「あんた、部屋は掃除してるんでしょうね」
「してるよ」
一応、だいたいは。
これ以上、余計なことを言われて恥をかくのは勘弁してほしい。俺は立ち竦んでいる柚希に顔を向けた。
「柚希ちゃん、先に二階に上がっといて。階段上って右側の扉だから」
柚希は頷いて、後ろ手にドアを閉めた。階段を上るスリッパの音を訊き終わってから、俺は息を吐いた。
「ねえ、惣介、あのお方とはどういう関係なの?」
あのお方って、べつに崇高な身分のひととかじゃないって。人間、顔って大事なんだな。少なくとも、中年のおばさんには。
「後輩だよ。言っただろ。写真を見に来たんだ」
つきあってる彼女の……。
「あとで、お茶持って行くけど……」
「はい、はい。お願いします」
「行っても大丈夫よね」
「は?」
「母さん、息子のただならぬ現場に踏み込む趣味とかないし」
「………………」
俺は頭を抱えた。柚希の名誉のために誤解を解いてやりたいけど、男が女装してる事実と、俺とあらぬ関係だと誤解されているのとでは、どっちがマシか、微妙なところだ。
お袋とは、もう二度と会うことはないだろうし……。
「あのさ、つきあってるとかじゃなくて、後輩だから」
とりあえず無難に真実を言っておく。
「わかってるわよ。あーあ、庄野さんに謝っておかないと駄目かしら」
「だから、柚希ちゃんとは本当になんでもないんだって!」
らしくもなく声を荒げてから、俺は、はっとした。いまの流れは、誤解されたままにしておけば、婚約解消じゃないか。なにをムキになって、否定してるんだ。
そういやこれこそ、部長が打ち上げコンパで進言した、同伴帰宅の展開じゃないか。
「惣介……?」
「ごめん。なんでもない。とりあえず、待たせてるし……」
俺はいま、婚約解消されそうになって、焦ったのか?
……やばい。まじで、やばい。
婚約解消が、目的地だったはずなのに。
どうしようもない嫌な汗が、毛穴から吹き出している感じがした。
松浦惣介は私の中で、優しくて温順で、マザコンです。
そこそこ恵まれた家庭で、専業主婦の母親がちゃんと育てた長男、ってイメージで書いてます。常に周りに気遣うことができる代わりに、自分の感情で、後先考えず突っ走るのが苦手、みたいな(笑)
同じ家庭で育っても、弟はそこそこ、ハチャメチャなところがある気がします。
惣介は珍しい血液型なので、ケガしないように、お母さんが大事にしたんじゃないかな~なんて考えて、より長男色を強めてみました。私なりに(笑)