第三十一話 美男荘にて
写真屋のレジでプリントの精算をし終わったとき、携帯が鳴った。
店の外に出て、通話ボタンを押す。
『惣介? オレ』
「林原か。どうした?」
『今晩、うち来る気ない?』
相変わらず唐突だ。
年が明けて、二週目の週末。決して暇な時期でもないのに、林原は不思議と都合のいいときを目掛けて誘ってくる。特殊な能力でもあるのかな。
「行く。ちょうど話したいこともあるし」
『オッケー。じゃあ、あとでな』
話したいことというのは、亜衣のことだ。俺が原因で出会ったから、もし林原が冗談半分なら止めさせようと思っていた。亜衣が軽口で言ったストーカーが本当になったら、シャレにならない。亜衣のブログを見たけど、確かに、口説いてるんだよな。
夕飯を済ませて、車で林原の住む家に向かった。最近知ったのだが、あの家は『美男荘』という名前がついているそうだ。あの家の住人のどこが美男なんだとツッコミたくなったが、美大の男子専用を略して美男だそうだ。
なんか釈然としないのは、俺だけか?
「最近、就活はどう?」
部屋に入って腰を下ろすと、林原にそう問いかけられた。
林原と会うのはクリスマスイブ以来。そのあと、亜衣のメルアドを送信して、テンションの高い礼の返信が来た。そして今日だ。
「ひとつは面接まで行った。出版社はこれから」
「余裕あるなあ」
「数、受ける気ないし、時間的にはゆとりがあるかな。やるべきことはやってきたし、あとは運を天に任せるさ」
「なるほどね」
「林原はどうなの?」
「オレは、舞台美術を目指すことにした」
そう言うだろうと思っていた。
「あのバレエの舞台を観て思ったんだ。オレは観客と直接かかわりたいって。映像だと多くのひとに発信できるけど、見たひとがどんな反応してるのか、わかりにくいだろ」
本当に不器用な男だ。だけど、そんなやつだから、つきあっているのかもしれない。
「亜衣ちゃんと初めて会った舞台だから、運命を感じるし」
「あのさあ、お前、本気で亜衣ちゃんのこと、好きなのか?」
「当たり前だ」
「そうか、わかった。ならまあ、頑張れ。亜衣ちゃんには気の毒だけど」
「どういう意味だよ。でもなんとか、頑張ってみるさ。大学が離れてるのは、苦しいけどな」
「そりゃ、しょうがないって」
「亜衣ちゃん、元気? って訊いてもわからないか。学年も学部も違うもんな」
「いや、最近よく会うよ。写真部の活動に参加することになったから」
「そういや、写真部じゃないけど、よく写真部にお邪魔するって、ブログに書いてたっけ」
「ああ」
「でもなんで? 人手が足りないわけ?」
「モデル役だよ」
俺は、雑誌の企画のことを説明した。
「カップルの写真ねえ。それで、亜衣ちゃんの相手は誰になるんだ?」
「最終的にはわからないけど、俺とか佐々木もあるのかなあ……」
「は? なにその羨ましい設定」
「だから、この件は俺に文句言っても困るんだよ。碧ちゃんやさくらちゃんが中心で動いてるし。だいたい、一番気の毒なのは柚希ちゃんなんだぞ」
「さくら…ああ、あの猟奇的な彼女か。で、柚希ちゃんがどうかしたのか?」
俺は部室での顛末をかいつまんで話した。
「彼女がいるのに、彼女役で男と写真撮られるとは、確かに気の毒だよな」
「まあな。でもそれは、なんか覚悟してたみたいなんだ。それより問題なのは、亜衣ちゃんの彼氏役も務めなきゃいけない状況でさ。顔が綺麗なのも善し悪しだよ」
「まじで? うーん……こうなってくると、悔しいとか羨ましいとか通り越すなあ。でも、柚希ちゃんの男装も、興味ある。写真撮ったら見せてよ。まだないの?」
「それはまだ撮ってない。でも、ためし撮りは何枚かしたよ。いまちょうど持ってきてるけど、見るか?」
「見る、見る」
俺は夕方、現像に出した写真を、コタツの上に広げた。
「へえ、学祭の写真もあるじゃん」
「学祭からプリントしてなかったからな」
学祭では、俺が写真展の責任者だった。全員の写真をプリントして、記録用にファイルしなければならない。展示した写真のデータのコピーを回収したのに、いままでサボっていたのだ。
「あ、惣介の写真だ。やっぱり柚希ちゃん凄いよな。これは撮り鉄くんか。懐かしい~。あ、これ、面白いと思ってたんだ」
広げた写真の中から、林原は一枚の写真を引っ張り出した。
「なんかこの写真、構図とか、ブレてる感じとか、センスあるよな」
「ああ、確かに」
「これ撮ったやつ、美大生の感性に近い気がするんだけど……」
「へえ、そうなんだ。まあ、柚希ちゃんは最初からセンスあったけどな」
「え? これ、撮影者、柚希ちゃんなんだ?」
「ああ、言ってなかったっけ?」
「訊いてねーよ。それにしても、あの柚希ちゃんか…。あの子、専攻なんだっけ?」
「法学部」
「まじで? 似合わねーなー。でも本当に面白いわ。なんで美大に来なかったのかな」
なんでもへったくれもない。柚希が絵を描くとか、全然ないからだ。俺からしたら柚希の法学部は、なんの違和感もないんだけど。
「それで、ためし撮りの写真は?」
「えーっと、これだ。碧ちゃん曰く、美女と野獣」
「……野獣、照れてんじゃん」
写真の佐々木に指摘する。やっぱりひと目でバレるか。
「だよな。柚希ちゃんは気合い入れて頑張ってるけど、佐々木は演技とかできなくてさ……」
相手は男なのに、至近距離で見つめられるだけで赤面してぎこちなくなるんだから、佐々木の行く末が心配になってくる。だが、のんきに佐々木の将来を心配している場合ではない。このまま佐々木が戦力外通告を出されたら、まともな男のモデルは俺ひとりなんだ。
なんとか立ち直ってもらいたい。もらわなきゃ困る。
「惣介と柚希ちゃんの写真は? まだ写してないの?」
「写したけど、撮影者は碧ちゃんだから、俺の手元にはないよ」
「あ、そっか。惣介がモデルってことは、撮影者は別人だもんな」
「そういうこと」
「あれ? なあ、これ、柚希ちゃんとその彼女だろ?」
林原が下の方から写真を抜き出して訊く。
「ああ。でもこれは、企画の写真じゃなくて、ちょっと撮りたくなって部室で撮っただけなんだ」
柚希が碧の髪を編み込んでいる写真だ。
「なんか見てるだけで、ほのぼのしてくるような写真だな。このふたり、お似合いだよ。いい表情してる。春の陽だまりみたいだな。写真部の部室も写ってるし、いい写真じゃん」
「う~ん……」
その部室がなんか乱雑というか、ごちゃついてるというか。壁のコルクボードに貼りまくってる写真が、結構写り込んでるんだよな。三脚とか、写真集とかも。
「惣介、お前このふたりのどっちかに、惚れてんじゃないの?」
「はあ?」
「愛がなきゃ、こんな写真は撮れないだろう?」
「まさか……」
思いがけない指摘に俺は絶句した。
だが、この間から引っかかっていたことがある。俺はどうして凜を写したいのかという疑問だ。
写したくなるのは衝動だ。急に引力みたいに惹かれて、撮りたくなる。撮りたいと思った途端、アングルや露出や絞りをどうするか、全体のイメージが一気に湧き上がる。
愛情があるから写したくなる衝動が湧き起るとでも?
二年だったときは、碧を写すことが多かった。俺もまだ、カメラを完全に理解してなかったし、いつもそばにいる碧を被写体にすることは、衝動ではなかった。
柚希を撮りたいと思ったのは衝動だった。それは、間違いない。その衝動が愛情なのか? 凜を写したい衝動も愛情なのか? 柚希は男で、凜は小学生だぞ。
もしかして俺は、変態だったのか? 思わず頭を抱え込んで俯いた。
「あ、この写真が一番、凄い!」
「え?」
林原の手に握られていたのは、林原が写っている写真だ。以前、この部屋で絵を描いているところを撮った写真。背中のモデルをしながら、撮ったんだ。
「オレ、めちゃくちゃ格好いいぞ。すっげー」
興奮した声に、俺は安堵して息を吐いた。
…よかった……。俺はまともだ。
林原を写したときも、衝動だったじゃないか。愛情であるはずもない。
ああ、びっくりした。一時はどうなるかと思った……。
「……なあ林原、お前、亜衣ちゃんを描きたいとか思う?」
「思わない」
きっぱり否定されて、俺は目を見開いた。
「俺の場合、モデルに対して感情が冷めてるからな。あ、でも、美大生はそういうやつ、多いよ」
「冷めてるって?」
「大根でも風景でも裸婦でも、同じ気持ちで対峙するんだ」
「同じ気持ち……?」
「よく、裸婦デッサンとか訊くと、どんなモデルか興奮して訊きたがるやついるだろ?」
「ああ」
「オレ等からしたら、二十歳でも六十でも、じいさんでも、痩せてても、太ってても関係ないんだ。ポーズを取られた瞬間、モチーフだから」
「ふうん……」
わかるような、わからないような、曖昧な気分だ。
ただはっきり理解できたのは、俺が林原のモデルをしていたとき、大根を見るのと同じ視線で見られてたってことだ。まあ、いいけどさ。
「彫塑の連中は、あんまり太ってるモデルは嫌みたいだけどな」
「なんで?」
「粘土の量がいるから。重労働らしい」
「納得」
俺は制作風景を想像して、笑ってしまった。