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第二十話   林原の就活事情

『惣介、いま暇? うちに来られない?』

 電話も内容も唐突だった。リビングの時計を見ると八時半。テレビでは金曜日のバラエティー番組が流れている。

 林原は時々、前触れもなくこんな電話をしてくる。いきなりだけど、林原なりに俺が行けそうな時間を予想してかけて来てるんだろうな。

「モデル?」

 あれから連絡がなかったから、てっきり仕上がったと思ってたけど、また行き詰ったのかな。

『絵は仕上がったよ。今回、自分でも気分よく描けたし搬入前に見せておきたくてさ』

「そうか。じゃ、いまからちょっと行くよ」

 俺も大概つきあいがいいよな。

 でも、俺みたいな自宅組は一人暮らしやルームシェアしてる友達のとこに行くのは、ちょっとした気晴らしになるんだ。

 お袋に林原のことを話して家を出ようとしたら、玄関先で呼び止められた。

「林原くんのところに行くなら、これ、持って行きなさい」

 紙袋に箱が二つ入っている。コーヒーと缶詰の詰め合わせかな。

「お歳暮にもらったけど、うちはあまり食べないし。林原くんのところは男の子多いから、だれか食べるでしょ」

「わかった」

「あ、それより惣介、あんた、凜ちゃんのバレエ、観に行くんだって?」

 玄関に腰を下ろしてスニーカーを履いていると、お袋が訊いていた。

「ああ、そうだけど?」

「凜ちゃんのお母さん、喜んでたわよ。それでこれ、預かってきたから」

 手渡されたのは写真部の部室で見たのと同じパンフレットだった。

 どうやら、来てくれる人に、出演者が渡すものらしい。俺はパンフレットを手に、しばらく考えた。スニーカーを履いてしまったので、二階の部屋まで戻るのは面倒だ。

 俺は、パンフレットを紙袋に突っこんだ。車に乗せておけばいいと思ったのだ。

「じゃ、行ってくる」

「林原くんによろしくね」

 俺は紙袋を掴んで頷いた。


「これ…か。……凄いな……」

 林原の絵を見た途端、俺は背中がざわめいた。

 いいか悪いかなんて、全然わからない。ただ、重力から解放された、夢を見ているような世界に引き込まれる感覚に襲われる。

 最後に見たときと、まるで違う。こんなに変わると思わなかったから、驚いた。

「…俺は、好きだよ」

「この絵が?」

「他に、なんの話をしてるんだよ」

「あんまり熱っぽく言うから、愛の告白かと思った」

「あのなあ、ひとがたまに褒めてんのに、茶化すなよ」

「悪い、悪い。いや、褒めてもらえて本当に嬉しいよ。サンキュ」

「褒めるって言うより、感動してる。途中を見てるから、余計に込み上げるのかな」

「照れくさいって。とりあえず座れよ。コーヒー飲んでいく時間くらいあるんだろ」

「ああ。あ、そうだ、これ、お袋から。お前がいらなきゃ、他のやつに分けろって」

「うわあ、助かるよ。お袋さんによろしく言ってくれ。あれ? 本みたいなのが入ってるぞ。これも俺がもらう分なのか?」

 紙袋を覗き込んでいた林原が、パンフレットを引っ張り出した。

「え? あ、違う。それは俺のだ」

 林原からパンフレットを返してもらって、俺は頭を掻いた。

 危なかった。

 車で出すのを忘れていたのだ。

「くるみ割り人形?  あ、そうか。もうすぐクリスマスだもんな」

「え? 林原、お前、知ってんの?」

「くるみ割り人形か? そりゃ、知ってるよ。常識だろ」

 まじか。林原でも知ってるのに、俺は知らなかったなんてショックだ。

「クララが夢の世界に入っていくときは、周りの物がどんどん大きくなっていくんだ。その演出がすごいんだよ。本当はクララが小さくなるんだけど、そんなことできないだろ。演出家や舞台監督の見せ場なんだぜ」

「観たことあるのか?」

「いや、実はテレビの特番で見た」

「なんだ」

「でもオレ、舞台美術に興味あるし」

「へえ、なんで?」

「就職先、映画会社か舞台美術に行きたいんだ」

 林原の口から就職のことを訊いたのは初めてだったから、少し驚いた。

「就職って…そうか、同じ学年だもんな」

「なんだよ。オレが就職なんて変?」

「いや。でも、こんな絵を見た直後だし、会社に就職とか言われると、勿体ない気がして」

「この程度の絵なんか、美大の連中ならいくらでも描いてるよ」

「そうなのか?」

「ああ。美大も油絵、彫刻、日本画はつぶしが利かないから、就職も大変なんだ」

 考えたら、美大の卒業生が全員、画家や彫刻家になるはずないもんな。

「みんな、どうすんの?」

「教師、目指すやつが多いな」

「お前は? 教師は考えないのか?」

 林原も教員免許は取っていた。教育実習の話を訊いたことがある。

「無理、無理。ガラじゃないし」

 言われてみればそうかもしれない。堅苦しい規格の中で力を発揮するタイプじゃないし。

「それより、なんでくるみ割り人形の本、持ち歩いてるんだ?」

「これ、本じゃなくて、パンフレットなんだ」

 俺は、近所の子がバレエを習っていること、同じ舞台に後輩の友人が出演すること、観に行くことにしたこと、ここに来るときパンフレットを渡されたことを、簡単に話した。

「なるほどね。な、それちょっと見せて」

 林原はパンフレットを受け取ると、食い入るように見つめた。

 俺は、凜の名前が載ってるとこ以外は、どのページを見てもちんぷんかんぷんだった。さすが、舞台美術を目指しているだけあるなと感心した。

「あ、凄い。これ秦山真弥が舞台監督なんだ」

「だれ? 有名なひと?」

「最近、注目されてる若手の舞台監督なんだ。へえ、バレエも手掛けるのか。ふうん……」

 林原は何度も唸り声を上げている。

「なあ惣介、これ、オレみたいなのが行っても観られるの?」

「大丈夫だろ。俺だって立場は一緒だし」

「じゃ、行く」

「本気か? クリスマスイブだぞ? バレエ教室の発表会だぞ」

「わかってるよ。オレはいま、現物をひとつでも多く観たいんだ。もし舞台美術の仕事をすることになったら、バレエ教室の発表会だってあるはずだし」

 そうか。マスコミが取り上げるような、有名な舞台の仕事ばかりじゃないのは、当然なんだ。むしろ、こういう小さな舞台の仕事の方が多いのかもしれない。

 林原の話では、これから映画はCGやデジタル処理が主流になるだろうとのことだ。そして舞台は、アナログが根強く残るのではないか、と考えているらしい。映画会社か舞台美術で迷っている林原は、IT会社と出版社で迷っている俺に似ている。

「バレエ教室の発表会なら、たいしたことはできないはずなんだ。制限された中でどう演出するのか興味あるんだよ」

 舞台監督や演出家の力量を図るには、こじんまりした舞台ならではの見どころもあるのかな。

「本当に行くのか?」

「行くよ。いいだろ?」

「いいけど、物好きだな。就活の一環ならしかたないのかもしれないけど。じゃあ、どこかで待ち合わせするか?」

「そうだな。そうしてもらえると助かるよ」

「俺もよくわからないから、後輩の子と一緒に行ってもらうつもりなんだ。駅で待ち合わせることになるけど?」

「いいよ」

 直前になったら、詳しい時間と場所を連絡することにした。亜衣と柚希も一緒に行くはずだから、四人で合流することになるだろう。

「そういや、もう、十二月だな」

「ああ?」

 なんだろう、いきなり。

「いまでも十二月は献血に行ってんの?」

「ああ、うん、行ってる。今年はまだ行ってないけど」

「わざわざ、お願いのハガキが来るんだろ。珍しい血液型って、ちょっと格好いいよな」

 俺の血液はボンベイ型で、少し変わっているんだ。で、十八から献血をしている。年に一度だけだけど。

「そうか? 自分がなんかあったら、輸血してもらえなくて死ぬかもしれないんだぞ」

「うーん、そうだよな」

「それに、献血したって無駄になってるだろうしな」

 珍しい血液型ということは、人数が少ないということだ。その少ないひとが、事故に遭って輸血が必要な事態になることは、さらに確率が低いってことだ。

「でも、献血して感謝されるんだろ? オレなんか普通のB型だから、だれがしても一緒だぜ」

 別の血液型になった経験がないから、なにがどう違うかわからないけど、どんな血液型でも感謝はされてるだろう。

 珍しい血液型だからと言って、得したこともなければ損したこともない。普通にしていれば、輸血が必要なほどの事故に遭うこともないだろうし。献血の呼びかけに、年に一度は応じているけど、考えてみれば面倒くさい。

 たとえば、何十万人にひとりの珍しさなら、気持ちや自覚も違ったんだろうけど、二百人にひとりなら、大学のキャンパスにも一人や二人はいる確率だ。

「でもさ、どこかにいるはずだけど、出会えないだろ。血液型を名札に付けて歩いてるわけじゃないし。意外なひとが同じ血液型だったら、運命の出会いって感じ、しないか?」

「そうかなあ。でもまあ、話は盛り上がるかもな」

 たいして仲良くなくても、きっかけがあれば、懇意になれることがある。それが二百人にひとりの確率なら、親近感も湧く気がする。まだそんな経験はないけど。

 俺たちはその日、そんなとりとめのない話で、妙に盛り上がった。


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