第十四話 佐々木の正体、発覚
十二月に入り、急に寒さが本格的になった。
その日、ゼミが終わって部室に行くと、佐々木と柚希がすでに来ていた。部屋がしっかり暖まっているので、どちらかはかなり前に来ていたのだろう。
「早いな、ふたりとも」
「こんにちは」
「俺は今日、午後からの選択授業が休講になったんすよ」
先に来ていたのは、佐々木のようだ。
しばらくすると、碧とさくらが到着した。
「碧さん、その髪、どうしたんですか?」
柚希が問いかける声に反応して、俺の視線も碧の頭に移動した。確かにちょっと、はねている。いや、広がっている?
「風とか静電気とかの猛攻撃で、パリパリする」
「束ねたほうがよくないですか?」
「括ってたけど強風でぐちゃぐちゃになって、さくらに外されちゃった」
「小畑さん、碧さんをいじめないでください」
「だって、すごく不細工になってたんだもん。ちゃんと括ってないから風ぐらいで崩れるんだよ。碧が不器用すぎるの」
「ええ~、なんでよ。そんなに不器用じゃないもん」
「はいはい。そんなわけだから、瀬戸さん、これ、どうにかしてあげて」
さくらが溜め息交じりに肩を竦めた。
「はあ…。碧さん、どうします?」
「どうにかしてあげて」
おいおい、文学部のくせに、日本語おかしくないか?
「じゃあ、後ろで編み込みますね」
頼まれた柚希は、なんとも思ってないらしい。愛の力かな。すごい力だな。
言葉通り、柚希が碧の髪を編み込んでいく。器用なもんだ。
しかし、碧はやはり不器用だったのか。そうじゃないかと思ってたんだよな。なにをさせてもどんくさいところがあるし。
ときどき碧は、妙に複雑な髪型のことがあるけど、あれは柚希がしていたんだな。柚希もいじらしいというか、なんというか……。
そういえばこの間、凜は髪を綺麗にまとめていたよな。あれからお袋に訊いたら、バレエに行くとき、母親が仕事の日はひとりでバスに乗っていくそうだ。凜の母親もできる限り夕方に帰れるシフトを組んでいるらしいのだが、人手不足もあって、夕方の勤務と習い事が重なってしまう日があるようだ。迎えに行くときは間に合うようにしていたのに、ついに先日、迎えに行けない事態になってしまったのだ。
凜がひとりでバレエに行くときは、当然身支度も自分でしているわけで、あの髪も自分でしていたのだろう。
女兄弟がいないから、凜がしっかりしているのかどうか判断できないが、碧の有り様を見ている限り、たいしたものだと思ってよさそうだ。
「松浦さん、こういうの珍しいんですか?」
食い入るように見ていたら、柚希に尋ねられた。
「珍しい。面白いから、写したい」
「私はべつにかまいませんけど」
「あたしもいいですよ」
被写体ふたりの許可が下りたので、俺はカメラを構えた。
写真部の部員に、この手の頼みを断られたことはない。お互い、写し合って練習することも多いからだ。
部室では何度か撮影したことがあるから、だいたいの光量は把握している。柚希と碧をふたり入れるなら、コントラストは落とし気味にして露出をあげるか。思い切って、シャッター速度を極端に遅くして、ブレさせても面白いよな。あまりのんびり迷っていたら、柚希の作業が終わってしまいそうだから、俺は露出をあげて写すことにした。
「柚希ちゃん」
レンズ越しに声をかける。
「はい?」
「それ、難しいの?」
ピントを合わせた指の動きは複雑で、見ている限り、難しそうだ。
「わりと簡単ですよ」
「後ろでひとつに丸くまとめる髪型、知ってる?」
「日本髪ですか? 着物のときにするような」
シャッター音にかまわず、会話を続ける。
「いや、違う。バレエや体操選手がするようなやつ」
「ああ、シニヨンですね」
「名前があるんだ」
「はい」
「難しい?」
「私はしたことがないんですけど、慣れればできるみたいですよ。シニヨンは私より亜衣の方が詳しいんです」
「へえ。どうして?」
「亜衣は以前、バレエを習ってたので、自分でシニヨンにしてたんです」
「なるほどね」
「シニヨンがどうかしたんですか?」
「近所の子がしてるのを見たから、難しいのかなと思ったんだ」
話してる間に碧の頭は完成したらしい。
「あー。すっきりした。瀬戸さん、ありがと」
「どういたしまして」
笑顔を交わし合うふたりの様子は、やはり恋人同士なんだよな。
うーん、なんかちょっと、
「…寂しい……」
「は?」
「妹を嫁に出したみたいな気分だ」
「碧さんのこと、妹みたいに思ってたんですか?」
「いや、妹のように思ってたのは君だよ、柚希ちゃん」
「……あの、ビミョーに迷惑なんですけど。せめて弟にしてもらえませんか?」
「それがさ、俺には君と同い年の弟がいるんだよ。この弟が、君とは似ても似つかないから、仮でも弟にはたとえられない」
「だからって……」
柚希は眉をひそめて、唇を尖らせた。部室に笑い声が広がった。
「あー、でもそれ、わかります。俺も弟いるし」
手を叩いて笑いながら、佐々木が俺に同調した。
「佐々木くん、弟いたの?」
さくらが意外そうに尋ねる。
「弟、つっても、俺、双子だし、年は一緒だけどな」
「嘘ッ! 佐々木くん、双子なの?」
碧が飛び上がりそうな勢いで振り返ると、佐々木の言葉に食いついた。
「あ、ああ、そうだけど……?」
「ひどい! そんな大事なこと、なんで今まであたしに内緒にしてきたのよ?」
「ひどいって、大事なことって、内緒って…。え? え? なんで?」
佐々木は碧の剣幕に、あとずさった。
あーあ、これはまた、面倒なことになった。
しかし、佐々木は双子だったのか。知らなかった。
俺はこっそりさくらの方を見た。お互いタイミングが重なって、目と目が合った。俺が佐々木に視線だけ向けて暗黙のまま尋ねると、さくらは首をブンブン振った。さくらも佐々木が双子だったことは、知らなかったようだ。
「別に、内緒とかじゃねーけど、わざわざ言いふらすよーなネタでもねーし……?」
佐々木は、碧に詰め寄られて戸惑っている。いまいち、事態と状況がわかっていないのだ。
「ねえ、どんな弟なの?」
「どんな、つってもなー……」
「似てる?」
「一卵性だし、顔とか体格は似てんじゃねーか?」
「うわ~、一卵性なんだ。そっくりのヒグマが二頭……。可愛い~」
うっとりと呟いて、碧は身もだえしながら喜んでいる。
碧の目にも、佐々木は熊に見えるんだな。こんなでかい熊が二頭もいたら、可愛いよりむさ苦しいと思うんだが……。しかし、この状況で心配なのは佐々木や碧ではなく、柚希だ。
俺はドキドキしつつも柚希に視線を向けた。
……………表情がない。怖い……。
なまじ綺麗な顔だから、すごい迫力だ。碧が佐々木に興味を持ったのが、相当不満なんだろう。
碧は双子でありさえすれば、だれかれかまわず愛せる特殊体質だからなあ。なんて傍迷惑な体質なんだ。
「へー、兄弟そろって鉄道マニアなんだ」
「まーな。弟は乗り鉄だけど」
「乗り鉄ってなに?」
佐々木と碧が盛り上がっている。このふたりがこんなに仲良くしているのを初めて見た。見慣れないから、違和感ありまくりだ。
しかし、碧の鈍さは殺人的だよ。彼氏の前で他の男に興味津々な自分の罪に、なんで気づかないのかな。
だいたい、佐々木も碧の双子好きを知らなかったのか? 結構、部員の中では有名な話だから、とっくに全員知ってるとばかり思ってた。
柚希も素直に、自分以外の男に興味を持つなと言えばいいのにな。あんまり気の毒なので、俺は助け舟を出すことにした。
柚希の死角になるように背中を向けて携帯を開き、碧にメールを打った。
『君の光源氏は焼きもち焼きみたいだよ』
ポケットに携帯を突っ込んでから送信ボタンを押した。
さっき写した写真をカメラの液晶に表示させてチェックしていると、少し離れた場所から携帯の着信音がした。顔を上げて確かめてみるまでもなく、碧の携帯だ。
碧が携帯を開く気配がしたが、俺は知らん顔を決め込んだ。
「あれ?」
声を出したあと、碧は考え込むように口を噤んだ。俺を見ているかもしれないから、余計に素知らぬふりでカメラから視線を上げない。
「瀬戸さん、焼きもち焼きなの?」
ストレートに訊くんかいッ! 俺は頭痛がしそうだった。
「そんなことないですよ」
そして柚希は恐ろしく恋愛下手だ。肯定しとけばいいものを……。
「だよねえ」
笑顔で頷き合っているのが、悲惨きわまりない光景に見えてきた。できるだけこのふたりには、かかわらないようにしよう。とてもじゃないけど、手におえない。
「佐々木さん」
柚希に呼ばれて、佐々木は顔を上げた。
「ん?」
「すごく迷惑なんで、やめてもらいたいんですけど」
「へ? なにを?」
「双子を」
「は? なんで? どうやって? つーか俺、柚希ちゃんになんか迷惑かけた?」
佐々木がわけもわからず、おたおたしている。柚希の方が学年はひとつ下なのだが、どうも佐々木は柚希に弱い。十月までは柚希を女の子だと思っていたから、その名残りだろうな。ひとのことは言えないけど。
「弟さんと合体してひとりになるとか、出来ないんですか?」
知性溢れる法学部の学生が、無茶なことを言っている。よほど頭に血が上っているらしい。
「ロボットじゃねーのに、できるわけねーよっ」
佐々木が盛大にがなりたてる。
「…………まあ、これはどう見ても佐々木が悪いよな」
「そうですね」
俺とさくらが溜め息をついて肩を落とすのを見て、佐々木がますますパニック状態になった。
「なんで? なんで? 俺がなにしたって言うんだよーッ?」
なにってそりゃ、双子だよ。
この場面は、前々作「恋を感じるとき」の最終話に入れようと思ってました。
でも、最終話は5000字くらいになってしまって、脇役のちんたらした話をぶち込む隙間がなかったので、なくなった部分です。
結構好きなお話です。楽しいし(笑)
佐々木君は元々、便宜上名前を付けただけで、たいして存在感のある役ではなかったはずなんですが、途中から書くのが面白くなった人物でした。