噛み跡を刻んでいく未来
吸血鬼のコリダリス・グレンヴィル
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作家の時司深夜
時司深夜は作家だ。男の恋人ができてから、男と男の恋の話をよく書いている。
自分と恋人をモデルに書くので、筆は面白いくらいに進んだ。
ある時は孤独な王に囲われる愛妾、ある時は盗賊に拐われた獣人の少年、ある時は社長令息と付き人、ある時は敵対する反社会組織の男達。
今、深夜が書いているのは、吸血鬼と人間の恋物語。吸血鬼は運命の番なる存在を探し求めていて、何百年も掛けて見つけたのは、一人の孤独な男だった。吸血鬼は有無を言わせず男を番にし、ゆっくりと愛を育む。
巷で流行りのオメガバースとやらを参考にしている。担当編集からオメガバースものを書いてみないかと言われ、深夜は吸血鬼で書くことにした。
何故なら、
「……深夜」
男の掠れた声が深夜の耳に届いた。低く、どことなく甘さのある声。恋人である男のその声に、深夜は嬉しそうに目を細めた。
「起きたの、コリダリス」
恋人の名を呼びながら、膝の上に置いていたノートパソコンを、ベッド脇のサイドテーブルに乗せる。恋人よりも早く目を覚ました深夜は、ベッドの上で執筆をしていたのだ。
普段であれば、仕事机やダイニングテーブルで書いているが、今は恋人が家に来てくれている。恋人とはそんな頻繁に会えないものだから、あまり傍を離れたくなかった。
深夜がベッドに寝転ぶと、恋人のコリダリスは反対に身体を起こす。黒く長い髪は癖っ毛で、筋肉質な彼の身体にまとわりついている。深夜は、彼の髪に指を絡めるのがわりと好きだ。コリダリスも拒まず、お返しとばかりに、たまに深夜の真っ直ぐな黒髪に触れる。
血を連想するような赤い瞳で深夜を見下ろすコリダリス。深夜は微笑み、身に纏うシャツのボタンを上からいくつか開けていく。
「いいよ」
そう、深夜が口にすると、コリダリスは深夜の身体にゆっくりと覆い被さり、彼の首筋に口を寄せ──がぶりと噛みついた。
一瞬痛みに顔をしかめた深夜だが、すぐに表情を和らげる。なんなら、恋人の髪に指を絡めて遊ぶ余裕すらあった。
コリダリス・グレンヴィル。
深夜の恋人たる彼は、吸血鬼だ。
いつぞやだったか、深夜が新作小説の取材旅行をした際に、知り合いから用心棒としてコリダリスを紹介され、彼と彼は出会った。
その時の取材内容は用心棒が必要なくらいには危険なもので、取材中は幾度も命の危機に遭い、そのたびにコリダリスに助けられ、気付いた時には、彼と彼は互いに惹かれ合うようになっていた。
別れ際、コリダリスから想いを告げ、深夜はそれを拒まなかった。そうして、だいたい月に一度か二度、コリダリスが深夜の元へと訪れるようになる。離れた場所でそれぞれ暮らしていることに加え、コリダリスは忙しい身の上であり、彼らの逢瀬の回数は少ない。
もう少し、傍にいられたら。
そんな想いから、新作小説に吸血鬼を出すことに。
「……ねえ、コリダリス」
うわ言のように名を呼ぶと、恋人は首筋から顔を離し、深夜と目を合わせてくる。
コリダリスはにこりとも笑わない。けれどその赤い瞳は、愛おしそうに深夜を見ていた。そのことに胸の高鳴りを覚えながら、深夜は願望を口にする。
「──項を噛んで」
「何でだ?」
「……君のものになりたくて」
「お前は俺のものだろう?」
「そうなんだけど、なんか、証が欲しくてさ」
「……」
コリダリスはじっと深夜を見た後、身体を起こした。お前も起きろと言われ、深夜も身体を起こす。
「俺にはよく分からないが」
そう言ってコリダリスは、深夜の左手を取ると、薬指の付け根を軽く摘まんだ。
「証ってのは、ここに指輪をはめることを言うんじゃないか?」
「……まあ、それもそうなんだけど、僕は項を噛んでほしくて」
「さっきまでみたいな、首を噛むだけじゃ駄目なのか」
「駄目だね」
深夜はコリダリスの手をやんわりと離し、彼に背を向けると、髪を退けて項を見せつける。
「さあ、がぶっとお願い」
「……じゃあ、遠慮なく」
背中を抱き締められ、待ち望んだ軽い痛みが伝わる。深夜は吐息を溢し、瞼を閉じた。
先ほどの吸血でどうやら満足していたようで、コリダリスは血を吸うことはなかった。しばらくすると、彼はゆっくりと牙を抜いた。それでも依然、抱き締めたままだ。
「襟首の長い服を着ろよ」
「いつも君が帰った後は、しばらくそうしているよ」
全身の力を抜いて、深夜は背中を、後ろのコリダリスへともたれさせる。伝わる温もりに気が休まった。
後で、作中の項を噛む場面を見直そうと深夜は考える。この幸福感を読者に伝えたい。
「次に来た時にも噛んでよ」
その頃には、跡形もなく消えているだろうから。
「……項だけでいいのか?」
やけに熱の込められた声に、背筋がぞくりとした深夜。少し考えた後に身体ごと振り返り、コリダリスの口元へと顔を寄せる。
「じゃあ、項以外も」
そして彼らは、そのままベッドに倒れ込み、見つめ合いながら、眠る前の続きをするのだった。