ダレン ― 英雄(卑怯者)に相応しい死 ―
1. 「シャクドー」
「支部長! 何で俺が残留組なんです!?」
「……ダレン。まったく、誰だ教えたのは。……貴様はまだ若い。これからのコーロゼンには、貴様のような若い者が必要だ」
兵団の詰所。俺は、支部長に食い下がっていた。
その日、俺は他の若い兵団員たちと武器の手入れを言い渡され、朝から武器庫に詰めていた。
そんな中、コーロゼンに出入りしている商人が立ち話していた内容を聞いた俺は、手入れの最中の武器を放り投げ、詰所に駆け込んできていたのだった。
「俺も行きます! 足手まといだとは言わせませんよ!」
腕には自信があった。試合では、先輩たちとだって渡り合えた。
同期の中で一番なのは言うまでもない。
魔物との実戦でだって、結果は出している。
「貴様の実力はよく知っている。だからこそだ。我々のいない間、ここを託せる者が必要だからな」
「コーロゼンの守りは十分なはずです! 俺も行きます!」
「聞き分けろ、ダレン。生きて帰れる保証などないのだぞ」
「いいえ、聞けません! 置いていくというのなら、今、ここで死にます!」
「……まったく。頑固なところが、ますます似てきたな……」
俺の親父と支部長は同期だった。
親父が魔物との戦いで死んだ後は、父親同然に接してくれて、俺の性格もよく知っている。俺が本気なのは伝わるはずだ。
「……同行は許す。だが、命令あるまで決して前には出るな。いいな?」
「はっ! ありがとうございます!」
いざ戦闘が始まれば、関係ない。でっかい手柄を立ててみせるさ。
死んだ親父の分も、だ。
世話になった支部長への恩返しにもなる。
意気揚々とコーロゼンを出立した俺は、部隊とともに南下した。
目的地は、南部地域「シャクドー」。
商人たちの立ち話だけでは不十分だったので、道すがら先輩たちに聞いた話によれば、今、南部では魔物の数がとんでもないことになっているらしい。
王命で、王国都市の騎士団はもちろん、全土の兵団にも召集がかかっているとのことだ。
コーロゼンが、王国一だってことを見せてやる。
途中、同じくシャクドーへと向かう他所の部隊をいくつも見かけたが、負ける気はまったくしなかった。
「すごい……。いったい何人いるんだ」
コーロゼンを出てから、何日経っただろうか。俺たちは、シャクドーに到着した。
シャクドーの平野にある小高い丘陵地帯には、すでに王国中から集まった兵団員が所属ごとに簡易的な陣を張っていて、 広大な丘に広がったそれらは、まるでコーロゼンの丘の上にある花畑のようだった。
「『隻眼』の勇者様一行は、中央の陣にいるらしいぞ。見に行かないか?」
圧倒的な光景に、ただただ立ち尽くし眺めるだけの俺に、こっそりと寄ってきた先輩が声をかけてきた。
普段のんきなくせに、こう見えて槍を使わせたら一流な人だ。
試合でも俺は、先輩から一本も取れたことがない。
「先輩、またそんな"のんき"なこと言って。さすがに野営の準備をしないと」
「真面目だなぁ、ダレンは」
「俺だって、行けるもんなら見に行きたいですよ」
「隻眼」の勇者様一行の活躍は、当然コーロゼンにも伝わっていた。
日々、魔物と戦っている俺たちだからこそ、よけいにその「凄さ」がわかる。
勇者様一行が西部地域をまわっている時なんかは、「コーロゼンにも、お見えになるかも」と、みんな毎日そわそわしていたものだ。
「我々は、このままユーオー兵団本部の部隊の下、右翼に展開する。野営の準備を急げ! 着いたばかりだが、休んでいる暇はないぞ!」
西部地域兵団本部の野営地から戻った支部長が声を上げた。
こちらとしては兵が揃った今、しばらくの休息の後、進軍することになるだろうが、魔物の群れにこちらの事情など関係ない。いつ迫ってくるかわからないのだ。
十分な働きをしてみせるためには、すこしでも早く長旅の疲れを癒す必要がある。
そして、案の定、その日はすぐに訪れた。
「………………!」
あまりの光景に、言葉を失った。
コーロゼンの陣も、ユーオーの本隊も、集まった他の地域の兵団も、あれだけの数がいながら、シャクドーに陣取った大部隊は静まり返っていた。
俺たちから見て、南の平野。その大地が黒く染まっている。
黒い大地がうごめきながら、すこしずつ、こちらへと進んできていた。
「こりゃあ、すごい数だなぁ……!」
のんきな声に横を見ると、先輩がまるで祭りの人出でも見るように「な。すごいな」と笑みを向けてきた。
その表情に思わず吹き出すと、俺同様に周りで固まっていた他の先輩たちも一斉に吹き出し、それが笑い声に変わっていった。
静まり返ったシャクドーの陣地に、俺たちコーロゼンの部隊の笑い声が響く。
さっきまでの、全身を押しつぶすような感覚がうそのように無くなり、なんでも出来そうな気分だ。
そうだ。たとえ敵が十倍いたって、十体倒せばいいだけじゃないか。
やれる。そのために来たんだ。
しばらく後、進軍の合図が鳴り、俺たちはゆっくりと進み始めた。
「我々、コーロゼン隊は右翼第三層だ! お前たち! 北東部獣人の意地を見せろ!!」
「ぉおおぉぉっ!!」
支部長の檄に、雄叫びが上がる。
俺も、体の中心から湧き上がる感情を吐き出すように、声を出して応えた。
身体は小刻みに震えているが、燃えるように熱い。
「勇者様一行は中央を突破するらしいぞ。さすがにとんでもないよなぁ」
先輩は、こんな時でものんきだった。
さすがというか、なんというか。
勇者様一行が魔物を群れを抜け魔獣を仕留める間、挟撃を防ぐため俺たち兵団が魔物を抑える。
「こんなの、作戦なんて名ばかりの命を賭けた大博打ですよ」
だが、魔獣が斃れれば魔物の動きも鈍くなり、引き返してきた勇者様一行によって、今度はこちらが挟撃する形になる。
「最後まで生き残れたら、俺たち英雄だな」
「ははっ、そうですねっ。戦隊長ぐらいには取り立ててもらえるかも」
ゆっくりとした歩みだった進軍は、前のほうから徐々に速度を上げ、俺たちも小走りに進む。
同時に前方から、ぶつかり合う音、怒号や悲鳴が上がった。
「始まった……!」
接敵するにはまだ遠い。
前が詰まった状態で、武器を構えたまま、ただ前を向き耳を澄ませた。
体が熱い。武器を握る手の平は、じっとりと汗で濡れていた。
――ブウゥゥゥゥン……ッ。
低く、鈍い、震えたような音が近づいてくる……。
そう思った途端、俺は気を失った。
2. 「英雄の帰還」
遠くのほうで叫び声が聞こえる。
何かを打ち合う音も。
まるで戦場の音だ。
……戦場?
「……はっ!? あ……っぐぅ…っ!」
自分が戦場の只中にいたことを思い出し、とっさに身体を起こした。
何度も場数を踏んだおかげか、こういう時、自然と体が動く。
身体中見回すと、命にかかわるような怪我はなさそうだった。
左腕が一部変色していて、激しい痛みを感じるが、動かないほどではない。
「……う…っ、みんなは……?」
上体だけ起き上がった視線の先。
倒れた無数の兵の先に、いまだ激しい戦闘が続いているのが見えた。
もう、あんなに押し込んだのか。
きっとこの左腕も、乱戦の最中、味方に踏まれでもしたのだろう。
それにしても、いったい何があったのか。
座り込んだまま、見回すとすぐに、地面に突き立った巨大な槍の柄が視界に入った。
「上位種の魔物の槍か。……あの時の音は、これだったのか?」
頭が徐々にはっきりしてきたことを確認し、ゆっくりと立ち上がる。
……まだ、すこしふらついた。
あたりはまさに戦場の跡といったところだ。
ところどころから、かすかに、うめき声や家族の名を呼ぶ声が聞こえる。
斬られ、刺され、倒れても、すぐに死ぬとは限らない。
安物の携帯魔法陣では間に合わないほどの傷に身体が動かなくなったまま、ただ徐々に死んでいく。
「………………」
なんて数なんだ。
これまでも、魔物との戦闘は何度も経験した。
先輩や同期の仲間が死ぬのも、嫌というほど見てきた。
なのに…………なんだ……これは…………。
あれほどまでに熱かった体が嘘のようで、ただ、震えだけが同じように残っていた。
寒い。
徐々に激しくなる震えと、いばらのツルに巻かれるような奇妙な嫌悪感を伴う圧迫感に、自分の体を抱えるように抱き、座り込んでしまった。
「何をやっている……ここに何をしに来たと思っているんだ……立て……」
怖い。
「ふ…ざけるな……怖いのはみんな同じだ……戦え……! みんなといっしょに戦え!!」
震える声に力を込めて、自分に言い聞かせた。
みんな戦っている。
遠く激しく打ち合う音の中から、指揮する声も聞こえる。
魔物の群れを突破して、勇者様たちの盾になると叫んでいる。
無茶なことをするなあ。
そう思うと、ほんのすこしだけ体が軽くなった気がした。
体の熱は戻らず、震えも収まらないが、剣を杖に、なんとか立ち上がろうとする。
こんなところで震えているために来たんじゃない。
俺の実力なら、恐怖の中でも一人前の働きができるはずだ。
早く支部長や、みんなのとこ…
「…か……ぁ…さ……ん…………」
突然上がった声のほうへと自然と顔が向いてた。
俺と同じくらいの若い兵だ。
肩からざっくりと割られ、血に染まった体とは対照的に血の気を失い透き通るほど白くなった顔に、飛び散った「赤」が映えていた。
あれでは助からない。
こいつも、俺と同じように無理を言ってついてきたんだろうか。
声になったのはさっきの言葉だけで、虚ろな目をしたそいつの口は、時折わずかに動くのみだった。
その時、視線を感じた。
……いや、本当はずっと前から……。
なのに、見ることができなかった。
見てはいけない。
俺の中の何かがそう叫び、ずっと気付かないふりをしていた。
見てはいけない。
早く、みんなのところへ……。
見てはいけない。
……脚が動かない。ずっと向けられていた視線に引きずられるように、目だけが意思に反して動いた。
最初から視界に入っていた巨大な槍の柄の先。
地面に突き立った穂先のほうへ視線を下げると、首から胸を大きく貫かれ、地面に縫い付けられた男が真っすぐ俺を見上げていた。
「…………せ……んぱ…い……」
大きく見開かれるでもなく、苦悶の表情を浮かべるでもなく、ただ、いつもの先輩の顔のまま倒れ、俺を見ている。
「……は…っ…………は…っ…………」
呼吸の仕方も忘れ、ただ先輩の目だけを見ていた。
徐々に視界に白いもやがかかる中、先輩の、光を失った瞳の闇だけがはっきりと浮かんでいる。
「……う……ぉ……あぉっ……!」
ひとしきり吐き散らした後、すっかり座り込んだ俺を先輩はずっと見ていた。
もう視線なんて合わないはずなのに、 ずっと。
「…………やめてください……先輩」
そんな目で見ないでください……。
「……先輩……」
…………やめてくれよ……っ!! ……やめて…………!
「……う…っ……いやだ……! ……うあぁぁぁっっ……!」
気が付くと俺は、這いつくばったまま転げまわるようにして、その場から逃げ出していた。
どこを通っているのかもわからない。
ただ延々と続く死体の上を、手を突きながらひたすらに乗り越えた。
何度も仲間の死体に手足をとられ、つまづき、進むごとに身体中に彼らの血を塗り広げながら。
ただ、すべてを見透かしたような先輩の瞳から逃げたかった。
ようやく俺の手が仲間の死体ではなく、地面をとらえるようになったころ、はるか背後から凄まじい爆発音が聞こえた。
「………………」
振り返った俺の頭に、徐々に正常な思考が戻る。
「……くっ! …………ううぅっ……!」
あのまま狂ってしまえばよかったのに。
ただの一度も剣を振るわなかった俺の全身には、ともに命をかけるはずだった仲間たちの血がべっとりとまとわりついていた。
脱ぎ捨ててしまおう、と何度も思った。
だが、彼らの呪いを受けることが、逃げた俺にできる唯一の罪滅ぼしだと思うと、どうしてもできなかった。
それすら言い訳にすぎないことは、わかっている。
……本当に、狂ってしまえばよかったのに……。
シャクドーを離れた俺は、途中の兵団支部でケンケンを借りコーロゼンへと戻った。
ケンケンを借りた兵団支部でも騙った「支部長の命で、仲間たちの最期を伝えるために泣く泣く帰還した」者として。
支部長と俺の関係、そして俺がついていった経緯を知るコーロゼンの人々にその言葉を疑う者はいなかった。
負った怪我と、すでに乾き変色していた全身の血の跡も、信ぴょう性を高めたのかもしれない。
多くを「語らない」俺の姿は、死を覚悟した戦場から追い返され悲嘆にくれる悲劇的な男に見えたことだろう。
だが、一人でも生き残りが帰ってくれば、すべてが終わる。
俺は、仲間の死を願った。
同時に、いっそすべてが明るみになって、この苦しみから解放されたいとも思った。
結果、神の救いか、あるいは罰か。
コーロゼンから出た兵団員は支部長以下、俺を除いて還ってきた者は一人もいなかった。
――そして、俺は「英雄」になった。
3. 「英雄(卑怯者)に相応しい死」
「ダレン戦隊長! ここは我々が! 戦隊長は退いてください!」
コローゼンから離れた地下洞窟。
俺は、志願して残った兵とともに、魔物を抑えるべく戦っていた。
簡単な調査のはずだった。
まさか、これほどまでの魔物が潜んでいるなんて。
「そうです! 戦隊長はコーロゼンに戻って指揮を!」
「シャクドーの英雄が戻れば、コーロゼンは戦えます!」
違う。
俺は「英雄」なんかじゃない。
十六年前のシャクドーでの戦いの後、俺は支部長の娘を娶りコーロゼンの戦隊長になった。
昔から家族ぐるみの付き合いで幼なじみだった彼女も、俺の「嘘」を見抜けなかったようだ。
娘に恵まれ、幸せな日々を過ごし、病に命を奪われる最期の時まで、彼女の俺を見つめる目は清らかなままだった。
「コーロゼンには、勇者様一行がおられる。我らは守りを固めるための時間稼ぎをせねばならない。皆で決めたことだぞ」
「しかし……!」
「殿に残った我々も残りわずかです。せめて戦隊長だけでも……」
洞窟内部で狭くなっているところをたよりに、少数でなんとか戦ってきたが、それも時間の問題だ。
「私とて、ただで死んでやるつもりはない。……これを使う」
「それは?」
自爆用の魔法具だ。
シャクドーの戦いが終わった後、その戦いの様子はすこしずつ各地に伝わっていた。
「隻眼」の勇者一行の戦士シルグレ様は、魔獣を討つ時間を稼ぐため留まり、魔法具によって数百体の魔物を道連れに壮絶な最期を遂げられたという。
俺が聞いたあの爆発音がそれだった。
その話を聞いて以来すこしずつ金を貯め、高価な魔法具を手に入れていたのだ。
「これで、コーロゼンに向かう魔物をすこしでも減らすことができる」
「戦隊長……!」
「この先の開けた場所に魔物を誘い込み、こいつを作動させる」
「おおっ!」
「良き死に場所を得た!」
「これで、先に死んでいった仲間も浮かばれます!」
目に強い光を宿し色めき立つ部下たちに、俺の心はざわついた。
ああ。彼らもまた、シャクドーで散った者たちと同じだ。
俺とは違う。
……本物の英雄だ。
「戦隊長が魔法具を準備される間、我らで食い止めるぞ!」
「戦隊長、最後までご一緒できて光栄でした! 先に参ります!」
「ざまぁ見ろ、魔物ども! 俺たちと道連れだ!」
歓声にも似た雄叫びを上げ、魔物の群れへと向かう部下たちに強く頷いてみせた後で、俺は狭い通路を抜け開けた空間に出た。
あの日、仲間たちを置いて逃げ出した卑怯者は今日死ぬ。本当の英雄になって。
もしかしたら、今日までの俺の苦しみは、今、この時のためだったのかもしれない。
「さぁ、来い。あの日の借りを返させてもらうぞ」
静かになった通路から、続々と魔物が溢れてくる。
体が熱い。
娘、マヤから贈られた御守りに触れる。手の震えは不思議とおさまっていた。
「今度こそ……」
魔物が洞窟内の開けた空間を徐々に満たしていった。
すぐに襲ってこないのは、部下たちの奮闘のおかげか、それとも俺に恐怖を与えて楽しんでいるのか。
「まだだ……あとすこし……」
魔物の群れはすこしずつ、じわじわと俺に近づいてくる。
「今だ!」
魔法具に血を捧げ、作動させる。
作動……しない……?
「は……っ! ……はは……は……ハハハハハ……ッ!!」
俺の愚かさに気を良くしたのか、魔物たちが一斉に駆け出す。
……そうだ。こんな死に方、許されるはずなんてないよな。
「……うおおぉぉぉっっ!!!」
情けない。逃げ道を断たれなければ、こんな覚悟、最後まで持てなかっただろう。
でも、いい。
まさに、英雄(卑怯者)に相応しい死だ。