銀が薄片となり果てようと
アルゴ重工のシロクマ型のアンドロイド。
30年ほど前、北極での長期稼働のため、耐久性や極地性を重視して計画された。アンドロイド・ポーラーベア専用の極低温耐性素材、自己潤滑機構、低温駆動モーターも開発される。
当時の最高技術の粋を集められて、ぼくの母のマリオン・マリオットも招聘された。
驚異的な強度を誇るアンドロイドだ。
それでも、やはり死は避けられない。
海洋科学館オートマタ・オーシャンの休館日。
暮れかけた空は、暗雲に覆われていた。圧迫感のある濁った紫色が世界を押しつぶしている。
エリー湖のさざなみが聞こえるくらい空っぽになっている駐車場に、超大型コンテナトラックが入ってきた。職員やアンドロイド・ペンギンたちが整列して待つ。ぼくも端っこに並ばせてもらっていた。
最初に下ろされたのは、Cpt. ホワイトフィールドだ。
「ただいま、みなさん」
元気な声が響く。
「オリィ、おかえりなさーい」
「おかえりっ! オリィ!」
シロクマ双子が秒速約11.1メートルの四つ足でダッシュし、ノンブレーキでCpt. ホワイトフィールドの巨体に抱き着く。
Cpt. ホワイトフィールドはちいさな双子をぎゅっと抱きしめた。
喪章をつけたままの腕で。
「ただいま、ただいま。ふたりとも私がいない間、警備代表ごくろうさま。偉かったね」
「がんばりました」
「偉かったですよ」
親子の再会だ。
雰囲気は柔らかくなったけど、またすぐに硬くなっていく。
コンテナから厳重に梱包された棺が降ろされた。2メートル以上ある巨大な棺で、星条旗がかけられている。
職員とアンドロイド・ペンギンが敬礼した。ぼくも。
泣かないように、鼻の奥に力を込めて。
「オリィ。あそこにいるのが、オリィのシーシー?」
R.ノクスの無邪気な問いかけ。
明るい声なのに、涙が出そうになってきた。
「そうだよ。Cpt. シルバーライニングは北極で任務を全うしたんだよ」
「偉いですね」
大きな棺におさめられているのは、Cpt. シルバーライニング。Cpt. ホワイトフィールドの後継機だ。
将校と館長が言葉少なに厳かに儀礼を交わし、電子サインが綴られた。
これでCpt. シルバーライニングの所有権が、軍からアルゴ重工関連の研究施設へと正式に移った。
喪服色のアンドロイド・ペンギンたちに取り囲まれて、アンドロイド・ピンギヌスに先導されて、棺が研究所に運び込まれる。
エリー湖から流れてくるさざ波のこだまが、棺の後を追う。読経のように低く、絶えず、繰り返し。
「Cpt. ホワイトフィールド。メンテナンスを。気温差と運搬状態のチェックをさせてください」
「ああ、分かっているよ。パピアくん、いや、Dr.アンディニー」
黒い眼差しが向けられる。
疲れも悲しみもない、どこまでも優しい眼差しだった。
米軍北極基地。
ポーラーベアシリーズは冷製時代の核兵器廃棄や北極基地警備、環境保護のために、アルゴ重工によって開発された。
Cpt. ホワイトフィールドはプロトタイプで、さらに改良された後継機たちが北極で働いている。
そのうち一体が、殉死した。
Cpt. シルバーライニング。
環境負債処理の最前線で戦い続けてきたアンドロイドだ。
安全性にも配慮されていた。だけどマグニチュード8の地震がグリーンランドで生じ、隠された旧米軍基地に伝わった。震度は7。
アンドロイド自身には、己を守る義務と権利がある。それでも自己の損失以上に、公共の損失の天秤が傾けば、アンドロイドはその命を投げ出す。
アイスクリスタルで身を挺して来場者を守るアンドロイド・ペンギン。
あるいは犠牲菅として設計されたアンドロイド・ソングバード。
そしてCpt. シルバーライニングも、そのプログラムに殉じた。
Cpt. シルバーライニングは環境被害を最小限にするため、最後まで観測と指揮を続けた。
遺体は軍人と同じく威厳ある輸送をされた。Cpt. ホワイトフィールドは縁者代表として、ドーバー港遺体安置所からCpt. シルバーライニングを引き取ってきたのだ。
「Cpt. ホワイトフィールド。お辛いですか?」
「いや、平気だ。使命を果たした結果は辛くないよ。誇らしい。もし……そう、たとえば別の国に誘拐されて軍事兵器に改造されたり、法改正で使命を果たせずに廃棄されたりすれば、堪えるだろうけどね」
アンドロイドならそう答える。
なんとなく予想していた回答だ。
ぼくや研究員たちは、長旅から帰ったCpt. ホワイトフィールドをスキャンしていく。
それが終われば、他の研究員たちは、殉死したCpt. シルバーライニングの分析に向かっていった。
北極でフル稼働してきた個体と、科学館で六割の力で稼働してきた個体、劣化状態を比べるための分析だ。材料疲労・電気接点劣化・AIハードウェア寿命……それらをすべて比較分析するために、解剖する。
遺体の解剖だ。
ぼくも行かなくちゃいけない。
でも辛い。
Cpt. シルバーライニングが亡くなって、辛い。
ポラリスシリーズの死も想像して、辛いんだ。
足が竦んでしまっていると、後ろから優しい巨体がやってきた。
「パピアくん」
「……シロクマ隊長」
幼いころの呼びかけが口から付いて出た。
「いつもきみはアンドロイドの代わりに悲しんでいるけど、私たちは大丈夫だよ。大丈夫だ」
繰り返される言葉に、ぼくの瞳から涙が零れる。
三十路になっても、『アンドロイド・ジャーニー』で泣いていたみっつの頃から何も成長していなかった。
黒い肉球が、ぼくの涙をぬぐう。
「だから、進んでほしい。きみが歩めば、Cpt. シルバーライニングだってあと少しだけ先に進める」
解剖して、分析して、研究してフィードバックすれば、さらにアンドロイドは進歩できる。先へと進める。
ホモ・サピエンスが遺伝子を残すように、アンドロイドは技術を繋いでいく。未来へと。
ここでぼんやり立ち尽くすために、白衣に袖を通しているわけじゃない。
どんな苦難にも希望があるんだから。
「頑張ります」
涙をぬぐって、分析ラボへと歩いていった。




