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天体重力推進



 アンドロイド・ドルフィンたちが泳ぐ水槽。

 揺らめく有機ガラスの波紋に、ぼくの輪郭が映る。

 白衣に袖を通して、首からIDカードを下げているぼくの姿が。



 ぼくは海洋科学館オートマタ・オーシャンのポスドクになった。

 アンドロイド・ホエールやアンドロイド・ドルフィンたちの遊泳ログ分析、引退環境における情緒変化の解析、そこから海洋知覚共有インタフェースを発展させる。それが平日の仕事だ。

 科学館で取れたデータをもとに、付属の研究室で分析していった。

 分析データの解釈に行き詰ったら、研究職員用の裏通路に向かう。

 壁一面が有機ガラス張りになっており、アンドロイド・ホエールの雄大な泳ぎが眺められた。この裏通路は予備水槽のメンテナンス通路になっていて、作業時間以外はあまり人通りがない。

 豊かな水底で回遊するクジラのとなりは、心が本当に呼吸できる領域だ。

 独特の足音が聞こえてきた。

 摩擦係数可変機構のついた肉球特有の、柔らかくも力強い響き。

 とことこ歩いてきたのは、ちびっこシロクマの双子。ポスドクっぽく言うなら、シロクマ幼体型アンドロイドだ。

 ボーイスカウトみたいな帽子をかぶって、色違いのネッカチーフを巻き、二本足で歩いている。

 オイスターホワイトのネッカチーフがR.(アルバ)。ネイビーブルーのネッカチーフがR.(ノクス)

 ふたり合わせてアルバ・ノクス。ラテン語で白夜だ。

 ここの警備隊員で、専門は行方不明児の保護。

 館内でコード・アダムが発令されたとき、児童を保護する。可愛い容姿だけど、ベテランだ。もう17年間、子供の権利の守護天使をしている。

「や、R.アルバ、R.ノクス」

 ぼくを見つけて、シロクマ双子は小走りにやってきた。肉球タッチする。

「HAPPY!」

「HAPPY!」

 幸せな挨拶を交わして、シロクマ双子と通路を歩いていく。

「静かですねー」

「ほんとうに。ついこの前まで騒がしかったのに」

 先月までは四つ子のシロクマシブリングがいたけど、事前学習を終えて就職してしまった。

 国立航空宇宙博物館と、カリフォルニアサイエンスセンターだ。どっちもアンドロイドの労働環境がよくて、整備施設や技師も整っている。申し分ない就職先だけど、やっぱり寂しいな。特にカリフォルニアは遠い。

「ふたりとも休憩?」

「おっと。案内ルート確認中ですよ」

「明日はNASAから偉いひと来ますから。警備の代表アンドロイドとしてがんばります」

 NASAからくる偉いひと、か。




 ぼくは普段より早めに退社して、自宅ではなくメトロ空港へと自動車を回す。1時間ほどドライブだ。

 道路が空いていたのはいいけど、順調過ぎて待ち合わせの時刻20分前だった。あいつは10分くらい遅れるのが定番だし、もしかしたらまだ勤務中かもしれない。

 空港の搭乗口が見える位置までいくと、友人のダコタが働いていた。

 日焼けして引き締まった身体に、空港職員の空色シャツと防刃スーツを着ている。K9の防刃ジャケットを着たビーグルを引き連れていた。麻薬検知犬だ。

 ダコタ、まだ勤務中か。

 物販店をゆるゆる冷やかしながら、待ち合わせのダイナーに行く。シーフード許可がない店だから、仕方なくチリドックとグリーントマトのフライとジンジャーエールを注文した。

 ジャンクフードも年に一度か二度だと悪くはない。特に空港で母さんを待っていた思い出と重なり、なんとなく幼い嬉しさがこみ上げる。

 半分くらい食べ終わると、手元が影に覆われた。

「よお、パピア」

 ダコタだ。

「さっきちらっと見えたよ。あれが相棒のブルーイ?」

 ビーグルの名前を思い出すと、ダコタは頷く。

「あいつ優秀なんだよ、おれより賢い」

「頼もしいね」

「でも8歳で、引退間近でさ。ブルーイの育ての親はもうかなりのジィさんらしいから、おれが引き取るけど、うちにいる犬たちと仲良くやれるか心配。おれに対して独占欲が強めだから」

 ダコタの自宅には、R.シュヴァルツの他、五頭ほど天然の犬がいる。警察や空港に委託するため躾けている子犬と、公務から引退した老犬で、いつも入れ替わっている。

 アイゼンのロスから立ち直ってからは、そんな感じで犬を飼っていた。

 もしかしたら立ち直ってはいないのかもしれない。

 10歳の誕生日プレゼントだった天然ドーベルマンは、ダコタに愛と喜びと幸せと、生涯忘れられない悲しみを与えた。

「ダコタについてる匂いで、もう知り合いになってるんじゃないの? うまくやれるよ。みんなダコタが育てたんだから」

「だといいけどさ」

 犬のことを雑談しながら、チリドックを食べる。

 ぼくのデバイスが鳴った。

 ヒューストンからの飛行機が到着したんだ。

「じゃお先に。ブルーイの引退祝いやるなら、また遊びに行くよ」

「おう、またな」

 ダコタと別れて、南方からの客人を出迎える。

 Mx.スミスだ。

 NASAが誇る天才技師。そろそろ六十歳になるらしいけど、指先に宿った技術はいまだに神の領域だった。

「すみません、出迎えて頂いて」

 相変わらず腰が低い。

 視察のご本人さまときたら低姿勢だった。

「ぼくも友人と久しぶりに食事取れたから、ちょうどよかったです。友人は空港の警備隊員なんですよ、麻薬探知犬と働いてて」

 しゃべりながら自動車へ案内した。

 ぼくは自宅へ向けて、ハンドルを動かす。Mx.スミスは今日から、うちで二泊する。ミシガン州に出張するときはだいたいうちに顔を出してくれるけど、今回はぼくの職場が出張先だから妙な気分だ。

「今、うちの職場じゃ、上司たちがキリキリするくらい打ち合わせを繰り返しているんですよ」 

「気を使わなくてもいいのに。私はただデータの採取方法と環境、ポラリスシリーズの稼働状況を見たいだけなんですけどね」

 事も無げに嘯いてくれる。

「パピアくんも……ああ、いえ、Dr.マリオットと呼ぶべきですね。すみません」

 ぴくりと背中が伸びる。

 Dr.マリオット。その呼びかけは母のものだった。今はぼくの肩書きになってしまった。まだ慣れない。もしかしたら慣れることはないのかもしれない。永遠に。 

「パピアでいいですよ」

「でも、うっかり視察先でパピアくんなんて呼んでしまった日には、悪目立ちでしょうし」

 たしかにな。

 あらぬ噂が立っても困る。

「だからパピアくんのことは、Dr.マリオットと呼ばせてもらいますよ。この出張中は特に」

「ぁー……あの、実は……Dr.マリオットと呼ばれていないんです」

「マリオンに気兼ねしているんですか?」

 ぼくの母、Dr.マリオン・マリオットは、掛け値なしの天才だった。

 AIを次世代へ導き、高度な論文を発表して、精力的に講義や会議に出席していた。

「博士課程で八年もかかったぼくが、同じ肩書きなのは気まずいというか」 

「いろいろと他の分野も学んだ結果でしょう。だからこれはスイングバイです」

「ははっ、天体重力推進(スイングバイ)!」

 懐かしい。

 天体の物理法則を利用するため、あえて遠回りすることもある。

 宇宙開発サマースクールで、スイングバイ計算やった記憶がよみがえる。

「そう、たとえ時間がかかっても、遠くへたどり着くために惑星の力を借りる。あなたが他分野から学んだ時間は、より遠くへ到着するためのスイングバイですよ」

 Mx.スミスは微笑んで頷いた。

「過大評価な気がします」

「Dr.ディンブルビーも審査会(ディフェンス)を視聴していましたよ。プランクトンがマイクロネクトンになったと褒めていました。彼にしては褒めているんですよ」

「それはそれで期待が重いというか……」

 言葉が尻すぼみになってしまった。

「たしかにマリオンの肉親だと知られたら、色眼鏡を使われることもあるでしょうね。なんと名乗っているんですか?」

「えーっと、ポラリスシブリングに愛称をつけてもらったんです」

「………職場でもその通り名を?」

「はい。そのままDr.アンディニーと呼ばれています」

 たぶん職場の同僚たちは、ぼくの名前をパピア・アンディニーだと思っている。

「ちなみに論文もパピア・アンディニーで発表しています」

「パピア・マリオットで検索しても数点しか論文が見つからなかったのは、そのせいですか……」

「検索していただけたんですか、ぼくの論文」

「もちろんですよ。パピア・アンディニーで検索しますね」

 ネットに上げた論文の閲覧数が上がるのはありがたいけど、身内みたいな相手に読まれるのは気恥ずかしいな。

 でも閲覧数は上がってほしい。

 ついでに引用されてほしい。そこまでは贅沢だけど。

「ポラリスシリーズは面白いですね。あのシリーズから発展したエコーロケーションネイティブの研究には、NASAも注目しています」

「知的生命体のコミュニケーションを?」

 宇宙人との交信。

 たしかにエコーロケーション・ネイティブ技術の研究が進めば、宇宙人とだって交信できるだろう。

「ロマンですね」

 ちょっと笑われた気がする。

「次のボイジャー計画ですよ。175年に一度のグランドツアーまで、あと20年」

「NASAはまた太陽系の果てを目指すんですね」

「ええ。その時に再びゴールデン・レコードを作ります。くじらとアンドロイド・ホエールとの会話がそこに乗るかもしれませんね」

 宇宙を進む探査機。

 そこには人類の言語や音楽や文化を刻んだ黄金のレコードが乗っている。人類だけでなく、鳥のさえずりやくじらの歌も。

 次のレコードには、アンドロイドとくじらの会話が刻まれるのか。

 人類だけじゃなくて、さまざまな知性の対話。

 探査機は月も土星も、太陽の呼吸(ヘリオポーズ)さえも越えて、深宇宙へ。人類が届かない何億年の果てに、アンドロイドとくじらのお喋りを乗せた探査機が進む。 

「果てしない話ですね」

「宇宙を語れば、いつだって果てしない。そこが恐ろしくて、楽しいんですよ」

 Mx.スミスは星空を眺めていた。

 いや、もっと遥かな彼方、ボイジャーたちがいる宇宙を想っているのかもしれない。

 道を曲がり、アクセルを踏んで、R.ロビンたちの加護に満ちた地区に入る。

 父さんの待つ自宅まで、あと数分だった。

  


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