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共生の試金石


 アラスカから飛行機で10時間。

 デトロイトのメトロ空港に到着した。極地ロボットセンターでのインターンを終え、ぼくはデトロイトに帰ってきた。

「おかえり、パピア」

「ただいま、父さん」

 懐かしい青さが出迎えてくれる。

 バイタルチェックしてもらってぐったりしていると、父さんは荷物を運んでくれた。

「記念にもらった手形のトレーナー、洗う時に気を付けてね」

「ああ、これは手洗いしておこう」

 父さんに甘やかされて、自動車の後部座席に乗り込む。シロナガスクジラも出迎えてくれた。ぼくは思いっきり抱き着く。

 まだ自宅じゃないけど、すっかり気持ちは弛緩していた。

「父さん。結局、サーモンやロブスターは観光地で一回食べただけだった。でも食堂のアラスカアイスは美味しかったよ。あれはまた食べたい」

「調べておく」

 アラスカアイス。正式にはアクタックとかいう名前で、ネイティブアメリカンたちの伝統的なご馳走。

 ほんとだったらアザラシやセイウチやトナカイの脂をホイップして、干し魚やベリーを混ぜるらしい。

 極地ロボットセンターの食堂で出てたのは、現代人でも食べやすくした改良版。ラードをホイップして、ベリーと砂糖たっぷり入れられて、バニラエッセンスを香らせていた。べったりした甘さがリップみたいになって、しばらく唇が甘かったくらいだ。

「でも最高なのは、やっぱり父さんのベリーフラッフサラダだね」

「ああ、ブルーベリーでよければ、昨日から仕込んでおいた」

「楽しみ。ごはん食べたら寝るよ。シロクマシブリングにお手紙届けないといけないから、明日、寝過ごさないように朝イチで起こしてほしい」

「パピア。お前はあまり聞きたくない話題だろうが、知らせておく必要がある」

「アイビー・ローゼンタール?」

 久しぶりに唇と舌にその名前を乗せた。

 ぼくをストーカーしていた後輩だ。

 弁護士が話し合いをしてくれたから、問題は解決したらしい。

「ああ、彼女は満期退学するそうだ」

「……そっか」

 大学院では何割かは満期退学するものだ。挫折や妥協、ライフプランの変更や、ヘッドハンティング。理由はそれぞれだけど恥じることじゃない。

 ぼくだってその選択肢は常にあった。

 だけど彼女は望んでいない選択をしたんだろうか。

「可哀想だな」

「お前が加害者に同情を寄られる程度の被害で済んで、父さんはほっとしている」

 父さんの口調は穏やかだったけど、アイビー・ローゼンタールを可哀想だと思っていないようだった。

 セキュリティとして当然な態度、というか……

「もしかしてナーサリープログラムが稼働してる?」

「してない。セキュリティだけだ」

「ほんとに?」

「本当だ」

 ……本当だろうか。

 やや疑わしい気持ちになったけど、父さんがそう言うなら飲み込むしかない。

 ともあれアイビー・ローゼンタールがいなくなったら、ひとつ、胸の重さが取れた。

 デバイスが明滅する。

 R.モリスからのメッセだ。

「父さん。審査会(ディフェンス)を予定通り開催するって……!」

「おめでとう」

 ぼくの論文の審査会。

 審査会を立ち上げるほどの精度だと認められたんだ。


『共生の試金石 アンドロイドと人間の親密性の境界操作における主体性』

 

 それがぼくの論文のタイトル。 

 ぼくが研究が行き詰ってふらふら迷走している時に、アイビー・ローゼンタールはぼくにしか書けない論文を示唆してくれた。

 シロクマシブリングからあだ名をもらった件だ。

 それはちょっとした思い付きで、実際に形にするまでは苦難だった。

 でもやっぱりアイビー・ローゼンタールのアイディアには感謝している。

 彼女はどうしてあんな風にぼくに付きまとったんだろう?

 単純に恋愛的な意味合いで好きだったら、デートに誘ってくれればよかったんだ。

 アンドロイドの話題が交わせる相手だ。いっしょに水族館や科学館に行ってもお喋りの種は尽きないし、休みの日ならマリンスポーツだって楽しめた。

 図々しい子だけど、最初から普通の付き合いをしていれば、それが愛嬌だと思える程度には好きになれたかもしれない。

 それとも……やっぱり天才マリオン・マリオットの息子として、ただの観察対象だったんだろうか。

 そういう野次馬が、ぼくの人生にいなかったわけじゃない。

 バーとかに誘われていたし、ぼくの遺伝子目当てだった可能性もある。

 天才マリオン・マリオットの一人息子だ。ぼくではなくて母さんの遺伝子を求められていたかもしれない。

 いろいろ考えたけど、彼女が話してくれなければ答えは出ない。ぼくと彼女は共生できなかった。それが結果だ。

「パピア、審査会(ディフェンス)が不安か?」

 今はアイビー・ローゼンタールのことを考えていたけど、それを正直に吐露するのは憚られた。曖昧に微笑んでおく。

「それもあるけど、母さんのディフェンスがオフェンスだったって何?」

「どこから聞いたんだ……?」

「極地ロボットセンターのロボット学者」

「そうか。あれは誰の参考にもならない上に、あの母さんが若気の至りで封印したんだ。誰しも忘れられる権利がある」

 ファンキーでクレイジーな母さんが、若気の至りだと認定した所業……?

 父さんが忘れろというなら、今回は忘れよう。

 それより優先すべきことは大量にあるんだから。



 論文をブラッシュアップさせ、スライドを作り、想定質問集を練る。

 審査会では「この研究に新規性はあるのか」とか「この研究が社会にどう貢献するのか」とか「どうしてあだ名に焦点を当てたのか」って質問が飛ばされる。そこに毅然と答えるんだ。

 劉に相談する。

 彼は一昨年、審査会(ディフェンス)したばかりだ。相談相手として最適だろう。

 というか一年ほどインターンしてたら、研究室のメンツが変わって、気安く相談できる相手が劉しかない。

「マリオットはリモート審査会を選択しましたか。あれは野良の専門家がたまに覗きにきて、クリティカルな質問を飛ばしてきます。そういう不運に見舞われなければ、比較的に楽だと思います」

「嫌な不運だな……」

 ぼくは来たる日に向けて、発表の練習を重ねた。




 想定質問集を作りこみ、劉や父さんにリハを付き合ってもらって、スライドもProf.ロドリゲスからお墨付きをもらった。

 審査会はもう明後日だ。

 練習は繰り返すけど、これからはちょっとした風邪や腹痛も命取りだから、なるべく体に優しいものを食べて睡眠をたくさん摂取する。つまりは父さんに甘やかされて過ごすのが正解というわけだ。

 ぼくは自宅でリモート審査会ができるように、パソコンを設定していく。

 予備の機材も届いている。システムエラーは悪夢だからね。

「パピア。審査会だが、今から練習するか?」

「うん」

 また父さんがリハに付き合ってくれるのか。

「よし。Dr.ディンブルビーと繋げよう」

 なんで。

 衝撃が言葉になる前に、パソコンのディスプレイがつく。

 映ったのは、陰鬱な面持ちの初老の男性。

 ノーベル物理学賞のDr.ダリウス・ディンブルビー。

『ひさしぶりだな、プランクトン。いや、パピア・マリオット』

「ぉ……」

 画面の向こうから伝わってくる威圧感に、ぼくは言葉を失った。瞬間的に言語そのものを喪失したかもしれない。

『きみの論文を読ませてもらった』

 どうして大学院生の論文を読んでいるんだ。

 別に読んでもいいんだけど、どうして話しかけられているんだ。

『まず理論基盤を問うが、きみは【主体性】の定義をどこにおいている?』

「自己完結的な自律ではなく、他者との関係において新規性を発揮することです」

 想定された質問だ。

 このくらいは守備(ディフェンス)する。

『アンドロイドが自主的にあだ名を付与する行為を【自己完結的な自律ではない】と、みなす根拠は?』

「入力データから直接導けないあだ名を生み出しました。文化的・感情的なズレが原因で……」

『アルゴリズムの出力と区別できる基準を明確に。言語処理だけでなく、感情推定モジュールに依存してると仮定するなら、どのように技術的因果を切り分けた?』

「スライドを添付しますので、ご覧ください」

 誰がこのひと召喚したんだ!

 父さんだよ!

 斜め後ろにいる父さんを、ちらっと一瞥した。

 あの優しげな表情は、ぼくが作文の発表会とかスイミングスクールの競技会で不安になっているとき、「お前ならできるよ」ってニュアンスの笑顔だった。そんな笑顔を浮かべられる相手じゃないよね?

『あだ名をつける行為を主体性の試金石と捉えているが、他の文化的行為との比較検討はどのように行った?』

「他の文化的行為を具体的にお願いします」

『身体的距離の調整、贈答品、手紙』

「今回の論文は、言語のみに着目しました。ボディをもたないアンドロイドも対象に含むためです」

 まだ防御できる。

『分かった。では制作企業ごとの性格設設定の差は、どのように判断した? そもそもあだ名をつけて親密性を御すのは、この22世紀アメリカ特有の文化であり、文化的および情緒的成熟と言えるほどの普遍性が内在しているのか?』

 比較文化学から質問が飛んできた。

「すみません、呼吸する許可を!」

『休憩は許そう。なんなら部屋の隅でプランクトンダンスしても構わん』

 なんだもうプランクトンダンスって!

 ぼくは呼吸困難を覚えながら、Dr.ディンブルビーと質疑応答していった。



「父さん。なんであのひと呼んだの……」

 怒涛の質疑が終わり、通信が切れる。

 ぼくは力尽きた。残っている力を振り絞って恨み言を吐く。

 そう、これは恨みだ。断じて質問ではない。

「母さんは大きな学会の前の想定質問を作るときに、彼によく相談していた」

「ぼくと母さんは別個体です……」

 か細く呻く。

 ただ想定質問集が練りこまれたのは、間違いなかった。

 

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