盲目の見守り手
極彩色に目がちかちかした。
グリーンランドから帰ってきたばかりだから、人工の色彩に網膜が焼かれそうだな。
ニューヨークのチャイナタウンは、異国のカラフルさで飽和限界に達していた。
見慣れない文字の羅列。馴染みのハンバーガーチェーンでさえ漢字で書かれている。
いちばん異郷を感じさせるのは、見守りバードが見たことないタイプだってこと。
黄金の頭、羽根は紺色、胸は臙脂。首の後ろは金の虎模様から紺の鱗模様。
こんなきれいな鳥が実在するのか疑って検索したら、東洋に生息している鳥らしい。アンドロイド・ゴールデンフェザント。
カラフルさと漢字、そして異郷の鳥を模したアンドロイド。
「異世界に迷い込んだみたいだな」
英語の呟きは、風景に馴染まず消える。
こぎれいな通りをしばらく歩けば、二階建ての茶葉屋があった。年代物の風格がある。
店番代わりに、ここもアンドロイド・ゴールデンフェザントがいた。
店内は落ち着いた色調だった。嗅ぎ慣れない、だけど懐かしい匂いがうっすら漂っている。
劉がよく飲んでいた茶の香りだ。
店内の奥の小さな階段を登れば、中国茶のカフェになっていた。
小さなテーブルには、角が擦り切れたメニュー表。表紙には多言語対応や視聴障害対応のコードだけど、開ければ漢字と英語が併記された手書きのメニューが綴られていた。
あらかじめ聞いておいたお勧めをデバイス注文して、店内を見回した。ショコラ色の調度に、柔らかな光をあふれさせている間接照明。
この店内はチャイナタウンというより、古き良きイギリスを連想する。シノワズリな英国、あるいはイギリス統治下香港。なんとなくそんな言葉を連想した。
窓の外を見渡す。
ちょうど異国のお廟が見下ろせた。
「いらっしゃい、ませ」
すぐ近くに、よっつくらいの女の子がいた。
東洋系の女の子で、黒髪をおだんごに揺って花飾りを挿している。同じく花まみれのペンギンチックを抱えていた。
珊ちゃんにそっくりだ。
思わず間違えそうになる。
「玥。そちらはMx.マリオット、父さまの友達よ」
カウンターの奥から、愛らしい女の子がやってきた。黒髪をおだんごにしてまとめて、マオカラーのブラウスにチャイナ刺繍のスカートを履いている。
珊ちゃんだ。
大きくなった。思わずそう言いそうになる。それを口から出したが最後、凡庸な大人になってしまいそうで、ぼくのこころに残っている子供心が激しく抵抗した。
「久しぶりだね。おうちのお手伝い?」
ここは劉の奥さんの実家だ。
「おやつ食べに来てるだけです、父さま呼んできますね」
しっかりとした受け答えをして、妹の手を引いていく。
もう七歳だもんな。
それだけ月日が流れた。そう、流れてしまったんだ。
ついため息が漏れてしまう。
「とても大きな溜息ですね、マリオット。ドラゴンの眠りさえ醒ます大きさです」
やってきたのは、劉だった。
テーブルにお湯たっぷりのガラスケトルと、ポットとカップが並べられた。あとドライフルーツも。
劉も向かいに座る。
アメリカ国立海洋局に就職したけど、研究室にいたころの雰囲気と変わっていなかった。中国茶の香りが立ち上れば、ますます感覚は遡っていく。
「まだストーカー解決していませんか?」
「それは弁護士が処理してくれたよ。当事者だとこじれるからって……悪い子じゃなかったんだけどね」
感謝祭にはぼくが実家に戻るだろうと思ったのか、近所周辺をうろついていた。もう弁明のしようがないだろう。
うちはあまり感謝祭を重視していない。帰るんだったら、お盆なんだよ。
「では研究で困りごとですか?」
「目下の悩みはそれかな。テーマは固まったけど、書き方に詰まってるんだ。一行を絞り出すのに何時間もかかって、振り返ってみれば一秒でかける文章なんだから、嫌になるよ」
「良い事です。振り返って一秒で書けるなら、それは適切だった文。そしてあなたが成長した証ですよ」
前向きな金言を贈ってくれて感謝するけど、それはそれとして疲れた。
「成長できているけど、遅々としてるよ」
「焦りで芽吹くものはありません。でも、私も同輩が大きなプロジェクトに関わっていると、亀になった気分になります」
「そうなんだよね……」
コールドウェルを思い出す。
あいつは昔っから頭の出来がひとつ飛びぬけていた。大学を飛び級で卒業して、日本に一年ほど留学した後、パートリッジ・エレクトリック社に入社したんだ。
見守りバードシリーズを開発・製造・流通・販売するコングロマリット。
合衆国においてアンドロイドシェアのトップを走り続けている。
「パートリッジ・エレクトリック社で大きなプロジェクトに関わっている同級生がいて、差を付けられた気分になってたのかも」
「大企業ですね。おととし、とても若いCEOになって、話題になってましたね」
「………うん」
エレノア・パートリッジ。
三年前、彼女はパートリッジ・エレクトリック社の最高経営責任者に着任した。
ぼくが子供の頃に、彼女とたった一度だけ会った。
信じられないほど色白でほっそりとして、アンドロイドの盲導犬と盲導鳥を連れていた。優しく上品な微笑みで、彼女はさえずるように語っていた。
──どうして人間の形にするのかしらね──
──人間なんて、いっぱい居すぎるのに──
記憶の海に浮かぶ、言葉の泡。
弾けても弾けても、またふたたび浮き上がってくる。
過去を反芻している傍らで、劉は言葉を続けていた。
「パートリッジ・エレクトリック社は、アンドロイド市場占有率のトップ。そこのCEOにポスト・シンセティック世代を据えたのは、英断だと思います。さらに占有率が高くなりそうな予感がします」
「占有率……」
納得しかけたけど、その単語は生易しい。
市場の占有率なんてものじゃない。
「これは世界の生態地位だよ」
人類型アンドロイドの生息域を、鳥型アンドロイドが入り込む。
ぼくが大学生の頃から、父さんのような人類型アンドロイドは、奴隷の再現だと騒がれて規制が入ってきた。
もちろん倫理的観点からの意見かもしれない。だけど求められる法整備の難航に、政府は疲弊していた。一般市民の無理解や偏見、貧困層からのルサンチマンも孕んでいた。
愚かさ醜さ、そのすべてを綺麗にごまかした言葉が、「奴隷の再現」だ。
ごまかしに乗ったのが、パートリッジ・エレクトリック社。
いや、エレノア・パートリッジだ。
見守る鳥たちの主たる、盲目の女王。
「エレノア・パートリッジ、彼女が着任……君臨してから、アルゴ重工、Eバイオニクスまで人類型から撤退を表明した。中国やインドだって追従している。あの調子ならEUやイギリスも撤退する。それからたぶんもうすぐ日本も」
「日本までが?」
「コードウェルが……同級生が、プロジェクトに関わってる。悪しざまに言うなら、日本から人類型アンドロイドの製造を撤退させるプロジェクトだ」
あいつは本当に賢かった。
このプロジェクトもきっとやり遂げる。
そう遠くない未来、エレノア・パートリッジは地球から人類型アンドロイドを絶滅させ、鳥型アンドロイドの楽園を築くだろう。
鳥たちのさえずりは、旧時代への挽歌になる。
そんな予感がしていた。




