冷めたココアを温めようか
ミシガン州最大のスケートリンク、アクアクリスタル。
ここではポラリスシブリングのR.ウルスとR.マリティが迷子保護官として働いていた。
動産的な表現は好きじゃないけど、二体はレンタルされている。所有権は海洋科学館オートマタ・オーシャンにあるんだ。だから海洋科学館からの紹介で、ぼくはアンドロイド・メンテナンスルームでふたりとの面会を許可してもらえた。
クリーニングしたてで、ふたりはふわふわ。
「ふたりとも元気?」
「はい、今日もHAPPYです」
「ばっちりHAPPY! イェーイ!」
ふわふわ双子と肉球タッチする。
だけど一秒後、ふたごは顔を見合わせて、ぼくを見上げた。
「……Mx.アンディニー、無理してる?」
「Mx.アンディニーは……ずっとお疲れ?」
愕然とした。
精神的な疲労はここんとこ続いていたけど、たった一瞬のバイタルチェックで察されるくらいひどかったのか。
「よく分かったね」
「だってMx.アンディニーの蓄積データがあります。お疲れですよ。休んで」
「そうです。Mx.アンディニーはオリィとトッティとボクらのフレンドなんだから、ずっと元気でいてほしいです」
無垢で黒い瞳が、ぼくを見つめる。
「……ありがとう」
アクアクリスタルに併設しているカフェに入った。季節問わずに、いつもおなかを温める飲み物が並んでいる。コーヒーにホットミルク、ホットアップルサイダーやエッグノッグ。
ぼくは大好きなマシュマロ入りココアを注文したけど、この甘さも暖かさも、底なしの疲れを癒すには足りない。
疲れ切っている原因は分かっている。
研究でも論文でもない。
「センパイっ」
顔を上げるのが億劫になった。
億劫というより、もはや苦役か。
それでもぼくはゆるりと顔を上げていく。そこにいたのは後輩のアイビー・ローゼンタール。相変わらずぼろぼろのシャツとジーンズで、腕には動かないペンギンチックを抱えていた。
「奇遇っスね」
そう言って、許可も得ずにぼくの隣に座る。
ぼくはポケットの内側のデバイスを、音声通話モードにした。通話先は父さん。
潔白と安全を守るため、アイビー・ローゼンタールに遭遇したら、父さんに繋げることにしたんだ。
「ぼくは通話中なんだけど?」
「おおう。センパイのためなら、何時間でも待つっスよ」
ため息が零れた。返事の代わりにしては曖昧な輪郭。
「五度目だ」
「はい?」
「海洋科学館オートマタ・オーシャン、ル・デトロワ総合文化館。モントーク・ビーチ、ニューヨーク水族館……」
そしてこのアクアクリスタル。
「運命っスね。センパイときっと趣味が合うんスよ」
「付け回されているみたいで、いい気分じゃない」
「そりゃセンパイの自意識過剰ってヤツっスねぇ」
平然と言ってくる。
「たしかに海洋科学館オートマタ・オーシャンもル・デトロワ総合文化館も、誰もに開かれた公共圏だ。だけど短期間に『偶然』して、自意識過剰と言われたらたまったものじゃないな」
「趣味が合いまくりっスね、ヒヒッ」
ひな鳥みたいにぴぃぴぃと付きまとわれても、ぼくは親鳥じゃないんだ。
アイビー・ローゼンタールはひな鳥みたいだ。
いや、ペンギンチックか。
抱きかかえられるために生まれ、ぴぃぴぃ鳴き、羽根をぱたぱたさせる。幼い愛そのもの。
「……きみは、ぼくのペンギンチックになりたいのか?」
ふいに疑問が口から飛び出した。
思考より早く、どこかから促されるように言葉が吐いて出た。
「なーに言ってるっスか」
豪快に笑う。
たしかに馬鹿げた発言だった。
「ともかく研究室なら兎も角、『偶然』会っても挨拶しなくていいよ」
「そんな照れてなくていいっス。うちのピァちゃんだって、センパイのコト、大好きなんスよ」
ばんばんと肩を叩かれる。
話が通じない。
頭がいい子なのに、どうしてここまでぼくの意見が通じないんだ。
ローゼンタールが悪い子じゃないのは分かっているけど、議論できないなら、もうなりふり構ってる場合じゃない。
こころの疲れが、手足や肺腑を重くする。
動けなくなる前に、休まなくちゃ。
冷めきったココアを見つめて、ぼくは決心した。
ぼくはデバイスを自撮りスティックで掲げた。
映る背景は、アラスカのどこまでも険しく豊かな大自然。荒涼と豊穣、そのふたつは矛盾なく広がっている。
「はい、おはようございます。Mx.アンディニーの極地紹介のお時間です」
『おう。開き直ってんな、パピア』
『パピアくんの配信、間に合ったね』
デバイスの向こうの友人ふたりから音声が飛ぶ。ダコタとエデンが、わざわざ生中継を視聴してくれていた。
「きみらも付き合い良いね」
『ランチ休憩だし』
『おやつタイムだし』
『おやつってエデンはどこいるんだよ?』
『今、オルセーだよ。印象派巡回展の保険と運送』
ダコタはデトロイトで、エデンはオルセーで、そんでもってぼくはアラスカ。
父さんと弁護士の勧めもあり、Prof.ロドリゲスの紹介でアラスカの極地ロボットセンターに長期インターンとして来ている。ここは軍事系ともかかわるから、一般人は立ち入れない。
ぼくがインターンとして迎えられたのは、Prof.ロドリゲスが昔、極地ロボットセンターに勤めていたツテだ。
「北極や海底で、人間の到達不可能性を肩代わりするロボットやアンドロイドたち。フィヨルドの陰に建つ極地ロボットセンターは、そんなロボットたちのメンテナンス施設として運営されています。まさにロボット専門の総合病院」
建物から海へとカメラを映していく。
『なんか後ろで白いの動いてなかったか?』
『えっ、シロクマ! シロクマァ!』
ぼくの背後から、突如として牙をむくシロクマ。
視界を動かさなくても、圧倒的質量が肌に伝わってくる。
「グルウォオオオオッ!」
「ご紹介します。この極地ロボットセンター警備主任、Cpt. スマルトウェイクです。Cpt. ホワイトフィールドの後継機にあたります」
『ビビらせんな』
ダコタから突っ込みが入る。
「Cpt. スマルトウェイクは瞳が紺色だから、分かりやすいよ。何度も『アンドロイド・ジャーニー』に出演しているし!」
「はじめまして。極地ロボットセンターの警備主任をしてます、よろしく」
画面に向かって手を振ってくれる。
「私の平常任務は、敷地内の防犯センサーの整備と、アンドロイド・ソングバードの点呼、そして巡回です。私自身の巡回で縄張りだと主張し、野生のグリズリーやクロクマがセンターや道路に近寄らないよう、非侵略的生物保全を目指しています」
「ほら、Cpt. スマルトウェイクはね、『北極の守護神、アンドロイド・ポーラーベアは駆ける』でCpt. シルバーライニングを瓦礫から救助して、連れてきてくれたアンドロイドだよ」
『お前みたいに、全話、記憶してねえから……』
『心臓に悪いッ!』
ダコタの呆れかえった声と、やっと我に返ったエデンが、スピーカーを鈍く震わせた。
やりすぎたかな。
「じゃあね、Mx.アンディニー。私は巡回に戻るよ」
「はい。お忙しいのにお付き合いありがとうございました、Cpt. スマルトウェイク」
手を振って、ジープに乗り込む。巡回任務に戻っていった。
「Cpt. スマルトウェイクに手形を貰ったんだよ」
ぼくは防寒ジャケットを脱いで、デバイスに映す。
海洋科学館オートマタ・オーシャンの限定トレーナー。Cpt.ホワイトフィードのおっきな手形ひとつと、シロクマ双子のちっちゃな手形がよっつプリントされている。
そこにCpt. スマルトウェイクの手形を押してもらったんだ。
みんなを守る手と、こどもを守る手、そして北極を守る手の輪郭。
「世界でひとつだけのトレーナーが完成!」
『よかったな』
「ほんとだよ! まさかCpt. スマルトウェイクと働けるなんて!」
『うん。それも含めて、お前がエンジョイしててよかった』
「エンジョイするよ。給金もらいながら、極地滞在できるなんてHAPPYだよ。取っててよかった、アンドロイド冷媒交換資格」
アンドロイド冷媒交換資格は強い。
極地ロボットセンターで働けるのは資格のおかげだ。もちろんProf.ロドリゲスの推薦だって強いけど。
『仕事に慣れた?』
「段取りとか手順は飲み込めたよ。極地で傷ついたアンドロイドは、見ててつらいけどね」
『いちばん大事なところが慣れてねえよ』
手厳しい意見だ。
「今日はお休みだから、リフレッシュしてくるよ。飽きたら適当に離席して」
『おう』
防寒ジャケットを着なおして、デバイスと連結したメットをつけて、手袋をつける。マウンテンバイクに跨って、敷地をぐるっとサイクリングだ。
力いっぱい漕げば、ぐんぐん流れる大自然の光景。
『ほんとに大自然ばっかりだね』
「でもアンドロイド・ソングバードはいるよ」
アラスカ州のアンドロイド・ソングバードは、沼雷鳥型だ。アンドロイド・ウィロー・ターミガン。
白と茶色の姿は、完全に風景に溶け込んでいて見つけにくい。
「密猟とか不法投棄を取り締まってるんだ。自然にいるところを撮影したいんだけど、なかなか難しくて」
『隠しカメラ探すようなもんだしな』
「でもぼくこどもの頃はサマーキャンプで、バードウォッチングとかやって結構見つけてたんだよ。それでも見つからないって、どれだけかくれんぼ上手なんだよ」
『そういやパピア、街中のアンドロイド・ソングバードを見つけるの早かったよな。さえずる前に気付いてた』
雑談しながらサイクリングしていくと、荒れ地に影がひとつ。
デバイスで撮る。
「ん。天然の沼雷鳥だった」
『天然の方が貴重だろうがよ』
「ダコタの言う通りなんだけど、今、探していたのはアンドロイド・ソングバードなんだよ」
イルカ柄のマイボトルから、スポーツドリンクで水分チャージ。さらに風を切って、北限の見守りバードを探していく。
だけど今日は見つからなかった。
ダコタもエデンも仕事に戻ったし、静かだ。
「バードウォッチングから、サイクリングピクニックに切り替えるか」
ぼくはシロクマ柄のマイボトルを開く。ふわっと香るココア。
ポケットから出したマシュマロは、シロクマのかたち。
誰もいない大自然で香るぬくもりに、ぼくはゆっくりと温まっていった。




