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記憶の非対称 後編



 ヒューストンの学会が終わり、ニューヨークの大学へ戻り、デトロイトの自宅へ帰り、父さんが作ったおやつを食べずに、ル・デトロワ総合文化館へと直行した。

 高らかに吹き上がり、木陰と木漏れ日に煌めく大噴水。

 その水へ息を切らして話しかける。

「こんにちは、R.レダ。ねえ、R.カストルとR.ヘレナって四つ子?」

「ごきげんよう。ええ、あたくしの子は四体いるわ。ポルクスとネストラよ」

 さらっと事実を述べる。

「誰も紹介してくれなかった……」

 なんてこった。

 劉に娘がいるって知ったときよりショックだ。

 だって総合文化館には10歳くらいから通っていて、大学の頃はボランティア活動もした。デトロイト瑪瑙を寄託してからはバックヤードも詳しくなっている。

 なのに17年も存在を知らなかったなんて。

「警備に関しては聞かれたら発言できるけど、あたくしたちから話題にはできないのよ。基本的にポルクスとネストラが巡回するのは、閉館中なの」

「そ、そうなんだ」

 公開データに制限がかかっているなら仕方ない。ショックだけど。

「挨拶は無理かな?」

「そうね。あの子たちは閉館中にしか巡回しないもの」

 R.レダは優美に微笑む。

 つまり閉館中に足を運べば、ふたりに挨拶できるのか。

 


 

 ぼくから話を聞いた父さんは、優しい微笑みのまま少しだけ眉を顰めた。

「まさか真夜中に行くつもりじゃないだろうな」

「さすがにそこまで無鉄砲じゃないよ」 

 夜に出歩くなんて正気じゃない。

 ここは治安がいいけど、ダウンタウンから極まれに良くない人間が流れ込む。麻薬中毒者や指名手配犯、そういったヒューマンだ。

「狙うは、最終金曜だよ」

 ル・デトロワ総合文化館ではアンドロイドが交代で働いているけど、蔵書点検・システムや設備の保全・館内特殊清掃のため休館は必要だ。

 一か月に一度、最後の金曜。

 その休館日を狙う。

 



 ぼくは最終金曜に研究室を休み、実家に戻ってきた。

 デトロイトにはすがすがしい風が吹き抜けている。

 駐車場も塞がっているだろうから、ぼくは久しぶりに自転車を漕いで、ル・デトロワ総合文化館へ向かった。

 休館日に訪れるのは初めてだ。

 大噴水も静かに凪いで、ダミー・スワンが泳いでいる。R.レダも休日なのかな。

 来たのはいいけど、どうやってR.ポルクスとR.ネストラに会えるんだろう。不審な動きをすれば寄ってくるのかな。でも不法侵入はまずい。

 ぼくは自転車を担いだまま、うろうろする。

 三十分ほどうろついていたら、不審対象になったのか、アンドロイド・スワンが二階のテラスから顔を出した。

「今日は休館日だよ」

 大きな翼を羽ばたかせ、ぼくの目の前に降り立つ。光の乱反射は散っている羽根みたいだ。

 ぼくに一礼して、匂いを嗅ぐような挙措をした。

「はじめまして! パピア・マリオットです! 休館日だからR.ポルクスとR.ネストラに挨拶しにきました」

 勢い込んで挨拶すれば、アンドロイド・スワンは小首を傾げた。

「ワタシとネストラに? ソーシャルロボティクスの研究かね?」

「そうじゃなくて……ただ、会ってみたくなったんです。ずっと知らなかったから、一度、挨拶を」

 ぼくの言葉に、R.ポルクスは含み笑いをする。

「ネストラは午後から外を巡回するが、早めに交代したところで誰も文句はさえずらないだろう。十五分くらい待てるなら会えるかもしれない。ネストラは気まぐれだから、きみに挨拶するか保証しかねるがね。待つのも帰るのも好きにするといいさ」

 そう言い残して、R.ポルクスは羽ばたいて去っていく。

 それから十五分、ぼくがデバイスで動画を視聴していたら、R.ネストラがやってきた。

「はじめまして。R.ネストラよ、ワタシたちはカストルとヘレナと違って、人前に出る経験が少なく、人間に感情負荷を与える可能性もあるわ。それをご承知でいらしたの?」

「はい!」

「変わったヒト」 

 素っ気ない言い方に個性を感じて嬉しくなる。

 会えて挨拶して、満たされた。

 心地よい気分だ。今日は遠回りして、R.ロビンのさえずりを聞きながら帰ろうかな。

  

  

「セーンパイ!」

 イヤになるほど聞きなれた声がして、ぼくは視線を動かすのが嫌になった。

 固まっているわけにはいかない。声がした方向から軽快な足音が聞こえてくるから。

「どうして」

「ル・デトロワ総合文化館といえば、アンドロイドだけで運営されている文化館っスよ。そりゃ一度は行きたいじゃないっスか」

「休館日なのに?」

 いろいろと言いたいことはあったけど、喉から絞り出せたのはこの一言。

「センパイだっているじゃないっスか」

「ぼくは休館日だから来たんだよ。実家の近くだし」

「じゃここらへんの案内お願いします。センパイのお気に入りカフェでも紹介してほしいっスね」

「ぼくは父さんの料理が好きだから、地元じゃ外食あまりしないんだ」 

「じゃセンパイのお父上にご挨拶するっス」

「どうしてそういう話になるのかなあぁ?」

 絶望的に話がかみ合わない。

 R.ネストラはすっとぼくの前に立つ。

「マリオットさん。この方とお出かけする約束されていたの?」

「違うよ、偶然会っただけ」 

「そう」

 すっ、とR.ネストラは視線を動かす。鋭さを含んだ眼差しで。

 セキュリティの眼差しだ。

「マリオットさんはワタシに会いにきてくださったものね。お約束がなければ、また次回にしていただいたら?」

「うん、そうだね」

「この近くでアンドロイドに興味があるなら、ショッピングモールをお勧めしてはいかがかしら?」

 ぼくが通っていた小学校の近くのショッピングモール。

 身近過ぎるけど、たしかに他の州と比べてアンドロイドが多いし、アンドロイド・フレンドリーで充電施設もある。

「あそこはR.レダと同じく、レディ・ヴァーチャル・シリーズが対応しているもの。ル・デトロワ総合文化館と比べてしまえばアンドロイド稼働率は低いけど、見どころはあるわ。今年から入ったアンドロイドドック・カフェも、ニュースでピックアップされているわ」

「じゃセンパイ、ご一緒してほしいっス。ほら、また『アンドロイド・ジャーニー』の話、聞くっスよ。」

 語れるのは嬉しいけど、そのあとがしつこいから嫌だ。バーだのなんだのに誘われる。そういうのは恋人と行けばいいのに。

「今日はいいよ」

「えー、センパイは見知らぬ街で女の子を独りにするっスか?」

「まさか約束もしてないのに、ぼくを当てにしてきたのか?」

 強い拒絶を向ければ、ローゼンタールは強くペンギンチックを抱きしめる。精神を安定させるように。

 アプリでタクシーを呼んで、去っていく。

 ほっとした息を漏らすと、R.ネストラが寄り添ってくれた。

「マリオットさん。困っていなくても、今回のことはあなたのお父上にご相談なさいな。とても聡明だもの」






「パピア。お前、それはストーカーだ」

 想像していなかった回答が投げられて、ぼくは受け止め損ねた。

 固まりそうな思考をほぐして、回答を拾い上げる。

「えっ……ストーカー?」

 おうむ返しに、父さんは浅く頷いた。

「お前は彼女と密室でふたりきりになったこともなければ、恋愛パートナー的に付き合っていると客観的に認識される行為を一切していないのだろう」

「うん」

 即座に頷く。

 せいぜいケルシーやエデンくらいの距離感だ。友人だと思われる程度の付き合い。

 メッセも研究室のパーティ・メッセで、個人間はやり取りしていない。

「ヒューストンなら学会聴講と観光がてらついていくのは、理解の範疇に入る。だが自宅周辺は不審だ。アンドロイドを研究するために遠方からやってきて、休館日を把握していないのはさすがに目的を虚偽しているのではないか」

「そうだよね……」

「アンドロイド研究者がこのシティにやってきたら、お前の通っていたスクールに見学申し込みしているはずだ。そこを優先せずにル・デトロワ総合文化館だけなのは、行動に違和感がある」

「それもそうだよね……」

「海洋科学館で食事したのは、ストーカーに成功体験を与えてしまったな」

「それはそうかもしれないね……」

 さっきからぼくは知能が足りてない返事を繰り返すだけだった。

「なんでストーカーされてるんだろ」

「加害者の動機など、お前は配慮しなくていい」

 父さんの口調はいつになく厳しい。

 鼓膜が平手打ちされている気分になる。

「ともあれつけまわしに迷惑しているなら、今日のR.ネストラとの会話ログも証拠のひとつになる。一度Prof.ロドリゲスにも、メッセかR.モリスのいる前でこの情報を共有するといい。学務のアンドロイド・ドードーにも現状報告して、できることならカウンセラーにも相談実績を積んでおくんだ。これも証拠ログだ」

「ローゼンタールは鬱陶しいけど、そこまでやるのも気が引けるというか……」

 言葉をもごもごしてしまう。

 年下の後輩に付け回されて困っているというのも、なんかイヤだな。

 ぼくがうだうだしていると、父さんの瞳が昏くなった。

 これはR.ネストラと同じ、セキュリティ・アンドロイドとしての冷徹さだ。ナーサリープログラムが停止しても、セキュリティプログラムは走っている。

「パピア。ストーカーは初期で対処しないと、手が付けられなくなるぞ。母さんもストーカーがいたが、Dr.ディンブルビーがなんとかしたらしい。それを逆恨みされて、研究費横領の濡れ衣を被せられた」

 横領冤罪事件って、そもそも母さんが発端だったのか……

「分かったよ。Prof.ロドリゲスには話を通しておく」 

 



 壊れたペンギンチックを抱えたまま成長したアイビー・ローゼンタール。

 行動力や経済力が大人になっても、まだ気持ちは小さな女の子なんだろうか。

 




 その晩、ぼくは夢を見た。

 眠りの浅瀬の泡ぶくみたいな夢。

 ぼくはまだ小学生で、隣にはもっと幼い子がいた。男の子か女の子か分からない格好していて、ペンギンチックを抱えている。片羽根の色褪せたペンギンチックだ。

 黙ったまま俯いて、ペンギンチックを抱きしめている。しばらくして口を開いた。

「……あそぼ」

 やっと絞り出せた、微かな願い。

「うん。何して遊ぶ?」

「わかんない」

 悲しそうに項垂れた。

 友達になりたいけど、どうしていいか戸惑っている。不器用な子なんだ。

「じゃ『アンドロイド・ジャーニー』ごっこしよ。南極探検するんだ。コウテイペンギンの故郷なんだよ」

「……ペンギンチックの?」

「うん。それでね、南極にはね、ロス海っていう世界最後の海があるんだ。人類が触れてなくて、いるのは動物とアンドロイドだけ」

「どうぶつと、アンドロイドだけの海……」

 小さな子の瞳に、光が宿る。

「そう、ロス海を探索しているのはアンドロイド・コウテイペンギン! 科学館や学校でぼくらを見守ってくれるアンドロイド・ペンギンたちは、最後の海も守っているのです!」

 手を繋いで海を目指す。

 夢の浅瀬で、ぼくはその小さな子と友達になった。

 


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