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記憶の非対称 前編


 

 Prof.ロドリゲスのお供で、ヒューストンの海洋ロボット学会にやってきた。

 ヒューストンなんて何年ぶりかな。

 大都市ニューヨークや北方のデトロイトとは違った、南部の活力に満ちている。

 肺腑にめいっぱい空気を吸い込めば、きらきらとした子供時代を思い出す。

 父さんやダコタとした海水浴、犬たちとのバーベキュー、落ちこぼれたNASAのサマースクールでさえ今となっては愛しい思い出だった。

 感慨にひたっていると、背後から誰か近づいてきた。

「センパイ。テキサスってやっぱ南国って感じっスねえ。学会終わったら、ひと泳ぎしましょ」

 後輩のアイビー・ローゼンタールは、やたらにこにこ話しかけてきた。

 顔のかたちだけなら飛び切り美少女。しかもモデル体型だから、やたらぼろぼろのシャツとジーンズだろうが、なんとなくお洒落に見えている。お得な子だ。UVカットのシースルーコートを羽織り、腕にはもう二度と動かないペンギンチックを抱えていた。

「ネイル。水着とおそろいにしたんスよ」

 ネイビーブルーが煌めくネイルを見せびらかしてくる。

 もしこの後輩が研究費で来てるんなら苦言を呈したけど、なぜか彼女は自腹でテキサスまでついてきた。

「学会を聴講するために来たんじゃないのか?」

「まさか。テキサスってみんな話してたから、テキサス観光したいなぁ~~って」

 その場の勢いで生きてるのか?

 思わず言いかけたけど、ぐっと飲みこんだ。

 彼女がヒューストンで観光しようが、彼女の自由である。

「センパイも泳ぎましょうよ。マリンスポーツお好きっしょ。今ならアタシのビキニ付きっスよ、ヒヒッ」

「そんな暇はない」

「照れなくてもいいじゃないっスか」

 ばんばん肩が叩かれる。鬱陶しい。

「しかたないっスね。じゃホテルのバーで飲みましょ。そんくらいの時間あるっスよね」

 Prof.ロドリゲスは会場最寄りのホテルに宿泊する。ぼくも普通だったら同じホテルだろう。

「ぼくはホテルに泊まらないよ」

「ええっ、野宿っスか? それともナンパ?」

「親類のアパートに泊めてもらう」

 


 親類といったのは、嘘である。

 とはいえ気分的には、ほとんど親戚だった。

 子供のころからMx.スミスはお世話になっているから。

 血のつながらない遠縁で恩人、それがMx.スミスに対しての感覚だった。


 


 学会が開幕する。

 まずNASAから静止海色衛星による沿岸測定と、環境保全に携わる海洋アンドロイドの行動追尾の総合データが発表される。2020年という遥かな過去からNASAが蓄積してきたデータの重さが、水圧めいて伸し掛かっていた。

 興味深いけど、ぼくに聴講する暇はない。

 Prof.ロドリゲスの発表を舞台袖で手伝い、それが終われば各方面の科学者とも挨拶をする。

 名前を聞けば誰もが一度は読んだことのある論文のロボット工学者たち、有名な潜水艦デザイナーや海洋写真家。NASAからだけでなく、ESAからも出席している。

 他は海洋生物学者や微生物学者。サンゴの遺伝学者や、海底熱水噴出孔を専門としている地質学者も出席していた。あのひとはアンドロイド・ホエールのアンフィトリーテー開発スタッフの一員だ。

 Prof.ロドリゲスが知り合いらしく、ぼくを紹介してくれる。

「これはMx.マリオット。うち研究室の古株だ」

「はじめまして。ご挨拶できて光栄です。『超臨界CO2に挑め、アンフィトリーテー』でアンフィトリーテーの開発秘話を何度も視聴しました」

 思わず『アンドロイド・ジャーニー』を語りそうになってしまう。我慢だ。

「おい、Mx.マリオット。こっちはわしの同期で、サンゴ遺伝学者をしとる……」

「はじめまして。アンドロイド・スカンクシュリンプのプログラム協力された方ですよね。『珊瑚を千年先へ、小さなアンドロイドたちは戦う』は、何度も視聴しました」

 挨拶を繰り返し、ぐるぐる翻弄されているうちに時間が進み、学会は閉幕した。

「よく分からないうちに終わりました……」

「お前さんすごいな」

「図太いってことですか?」

「いやいや、あのご長寿サイエンスチャンネルを片っ端から記憶しとるのか?」

「『アンドロイド・ジャーニー』なら、はい、ほぼ暗記してます」

「クレジットされた科学者まで?」

「はい」

 なぜかProf.ロドリゲスから何か呻きが零れた。呆れられたのか。

「……さ、飯に行くぞ」

 ディナーはホテルのレストランだ。

 テーブルにはProf.ロドリゲスとぼく、それからR.モリスも同席している。

「ぽうぽぅ」

 カメラでぼくらの注文をチェックしているんだ。不正利用がないように。

 スーツのクリーニング代やタクシーのチップ代だって、研究費として認められる。

 けど食事を食べ損ねたり、学会からディナーを用意してもらったのに、食事代をもらってしまうと、額の多寡問わずに横領で処分される。横領の烙印が押されたら、研究費を出してもらえなくなる。つまり研究者としての死刑判決だ。

 他の研究者たちもアンドロイド・ドードーをお供にしたり、もっと小型のアンドロイド・ジェイを肩にとまらせて、研究費を透明化させている。

「デザートも予算から下りる?」

「予算限度内でアルコール以外はおりますよ、ぽうぽぅ」

「ジャーマンチョコレートケーキとバニラミルク」

 遠慮なくモバイルオーダーにデザートを足した。

 R.モリスと視線が合う。

「ぽうぽぅ、Mx.マリオット。じろじろ見られるの気になります?」

「ううん、ありがたいと思っているよ。自分で事務処理すると何日もつぶれるけど、R.モリスなら一瞬だ」

「モリスは事務特化アンドロイドですからね」

 えへん、と胸を張る。 

「R.モリスは心強いよ。ノーベル賞のDr.ディンブルビーだって、Eバイオニクスに在籍していた時、研究費横領の責任を被せられたらしくて、濡れ衣晴らすのに大変だったって」

「お前さん若いのに、そんなカビの生えたような事件をよう知っとるのう」

 Prof.ロドリゲスが妙に感心している。

「お詳しいんですか?」

「わし、当時はEバイオニクスに一瞬だけ在籍しとって、その騒ぎの証言をしたからよう覚えとる。Dr.ディンブルビーがノーベル賞を受賞してから誰も口にしなくなったのに」

「本人から聞きました。母と懇意だったし、父の手術をしたメンバーです。苦労なさったみたいですね」

「……本人の性格もアレだが」 

 小声で呻くProf.ロドリゲス。

 そこは否定できないけど、肯定したくないので聞き流しておく。

「みんなアンドロイドに記録して計算して研究費を出してもらえば、嫌な事件も発生しないからいいね」

「そうなんですよ、ぽうぽぅ」

 R.モリスは誇らしげで、なぜかProf.ロドリゲスも嬉しそうだった。






 食後に運ばれてきたチョコレートケーキは、ピーカンナッツとココナッツのフィリングがこれでもかと挟まれていた。うん、申し分ないくらいたっぷりだ。このフィリングがケチだと許せないからね。噛みしめればピーカンナッツの歯ごたえ、そして香ばしさ。

「テキサスのケーキといえばやっぱりピーカンナッツですね」

「そういうもんかの?」

「ぽうぽぅ。テキサスのピーカンナッツ生産量は常に国内三位以内で、テキサス郷土料理のレシピにも記載率が高いです。ピーカンナッツが実るヒッコリーは、テキサスの州木ですしね」

 豆知識を語るR.モリス。

 甘さと香ばしさを味わっていると、デバイスにメッセが入った。Mx.スミスからだ。

 最後の一切れを口に押し込む。

「じゃあぼくはこれで失礼します。タクシーは親類に出してもらえるので、計上は不必要です」

「ぽうぽぅ、また明日」

 タクシー乗り場で、Mx.スミスと待ち合わせだ。

 アプリ登録したタクシーがやってくる。後部座席にはMx.スミスが乗っていた。性別や年齢の分かりにくい外見で、目元や口元にしわが増えつつも、アンドロイド的なニュートラルさは変わりなかった。

「会場で見かけましたよ。若手の科学者の風格がありますね」

「Prof.ロドリゲスの後ろで、ひょこひょこしてただけです」 

「気後れしていないのはいいことですよ」

 夜もどっぷり更けて、Mx.スミスのアパートに到着する。

 ここも懐かしい。 

 純白の白鳥が玄関ホールに待っていた。

 R.オデット。このアパートのセキュリティ・アンドロイドだ。

「久しぶり、R.オデット……ああ、失礼。セキュリティ変わりました?」

 目の前にいるアンドロイド・スワンはR.オデットじゃない。

 間違えてしまった。失礼だったな。

「ええ、アタクシはオディールですわ。夜間セキュリティ担当ですの」

「はじめまして。間違えて失礼しました」

「いえ、間違えなかったお客人は珍しいですのよ。Mx.パピア・マリオットは良い眼をお持ちね。歓迎いたしますわ」

 R.オディールは優雅に一礼する。

 その所作は、R.オデットそっくりだった。  

 Mx.スミスの部屋に行き、カフェオレで一息つく。優しい香りだ。

「夜間担当がいたんですね」

 初めて知った。

 そりゃ子供のころは会えなくて当然か。

「ええ。パピアくんはよく区別できましたね。長いこと暮らしている私も間違えますよ」

「別個体は別個体だし……でも目つきが鋭いかな?」

「ああ、たしかにR.オディールは暗視センサーがついているので、目の印象が違ってくるかもしれませんね。すごい観察眼だ。幼いころからアンドロイド・スマート・シティで暮らしていると、アンドロイドの個体認識能力が発達するのでしょうかね。あるいはR.ギャラント・マリオットの教育の賜物か」  

 妙に感心されているけど、ただ見分けられるだけだ。人の顔を覚える程度の話なのに。

「うちの近所に、双子のアンドロイド・スワンがいるんですよ。ル・デトロワ総合文化館。だから見分けられるのかな」

「アンドロイドだけで運営されるメセナですね。月面都市計画の一旦としても聞いていますよ。視察に行ければいいと常々思っているんですがね」

「ぜひ寄ってください。セキュリティのR.カストルとR.ヘレナも歓迎しますよ。夏はアンドロイド・エンペラーペンギンのR.エマソンもいて……」

 途端、Mx.スミスはコーヒーを飲む手をとめた。

「カストルと、ヘレナ」

「どうしました?」

「ギリシャ神話の四つ子の名前ですね。王妃レーダーが生んだ兄弟姉妹」

「えっ……?」

 ル・デトロワ総合文化館の白鳥は、ずっと双子だと思っていた。

 まさかの四つ子だったの?

 

 

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