海の歌には溺れないで
「Mx.アンディニー、いらっしゃーい」
巡回中のシロクマ双子は、ぼくに手を振ってくれた。
紙細工の首飾りをつけている。ハワイのレイみたいだ。
「これは本日のワークショップで、ちっちゃな子が作った紙のお花です。えへん」
「ボクらへのメッセージが書かれているんですよ。えへん」
揃って胸を張る。
花の紙細工をよく見たら、つたない文字で、『Love you』とか『You’re the best』と綴られている。
「メッセージのネックレスか。かわいいな、撮影していい?」
「ふふ、もちろんいいですよ」
「Mx.アンディニーはボクらが大好きですね」
「誰だってきみたちが大好きだよ」
シロクマ双子はますます嬉しそうにはにかんだ。
双子のフォトを何枚か取ってから、ぼくと一緒に記念撮影もしてもらう。
「じゃーね、Mx.アンディニー」
「Mx.アンディニー、ばいばーい」
「またね」
シロクマシブリングに挨拶を終え、さて、海洋科学館をゆっくり回るかと思った矢先。
「偶然っスね、センパイ」
「ここデトロイトなんだけど」
ニューヨークの大学から、デトロイトの海洋科学館オートマタ・オーシャンまで、飛行機で二時間、自動車なら九時間ちょっと。
大学院の後輩に出会う場所としては、偶然の度が過ぎている。
後輩のアイビー・ローゼンタールは、なぜかぼくに毎度ウザ絡みしてくる。悪い子じゃないけど鬱陶しいな。
「アタシも六歳まではデトロイトで暮らしてたんですよ。ちょっとグランマに顔見せと小遣いせびりに来ただけっス」
「へえ。交通費を使ってまで?」
意外におばあちゃんっ子なのか。
「ま、ソーシャルロボティクスを学んでいる身としては、海洋科学館は通う場所っスよ」
「たしかに、ね」
偶然、会っても不思議じゃないのかな……?
ぼくは散歩するように、いつものルートで鑑賞する。いつもじゃない相手が斜め後ろに引っ付いているけど。
「めっちゃ混んでるっスねぇ」
「今はヴァーチャル・シンガー・ライブやってるからね」
「おおう、ニュースでやってましたね。テティスちゃんのライブ」
アルゴ重工のヴァーチャル・シンガー、R.テティス。
アンドロイドが作詞作曲して、歌唱する。そのライブがエリー湖で行われていた。
「センパイ、アタシらも見に行きましょうよ。立ち見席が空いてるっスよ」
「ぼくはもう席を取ってる」
「テティスちゃんファンなんスか? センパイはアンドロイドにモテモテっスから、最前列にいたらテティスちゃんに一目ぼれされちゃいますよ」
「バックダンサーのアンドロイド・ドルフィンを観賞したいだけなんだけど……」
野外会場で別れるまで、ずっとウザからみされ続けた。
疲れる。
エリー湖に続く野外プールは、普段はアンドロイド・ドルフィン・ショーが行われている。
ぼくはいつもどおりブルーレモネードを買って、取っておいた指定席に座る。やっと鬱陶しい後輩から解放された。
ブルーレモネードはソルトとレモンの風味が爽やかだ。
懐かしい味を堪能していると、弾けるようなポップミュージックが流れる。アンドロイド・ドルフィンのダンスが始まった。音と飛沫と日差しに煌めくアンドロイド・ドルフィンは、いつも最高にかっこいいな。
眺めながらブルーレモネードを飲むと、童心に帰れる。
ドルフィン・ダンスの中心、そこに大量の水が噴きあがる。
飛沫を音符にしながら、水に映し出されるヴァーチャル・シンガー・テティス。
波打ち際めいたウェーブヘアには、青と白のチューリング模様。揺れるたびに光の編み模様がきらきらする。彼女もR.レダと同じく、ボディを持たないアンドロイド。ただあらゆる既存の言語を繰るR.レダとは、コンセプトがまったく真逆。
紅珊瑚の瞳と唇が開かれ、歌が放たれた。
湖面を満たす歌は、どこの言語にも類さず、過去や未来にも属さない。人類が発声できない架空の言語。
しいて言うならクジラの歌。
人類の音楽を学んだクジラが歌えば、こうなるかもしれない。それがR.テティスの創る歌。
歌は綺麗なんだけど、それより熱狂しているファンに注意を引かれた。最前列の特別席は根強いファンたちで固まっている。
歌詞がないからこそ感情移入できるのか。
テティスの声は海のように満ちている。無意味ではない、空っぽではない、それでいて感情移入できる空白の振動がそこにある。
ぼくは最前列を眺めていく。
「……ん?」
途中で視線が引っ掛かった。
「リアム!」
ぼくがうっかり放った叫びに、最前列のひとりが振り向く。
やっぱり彼は何年かぶりに会う友人、リアムだった。
本物の偶然だ、リアムに会うなんて。
スイミング・スクールに通ってたころは、週に三回は会っていた。でも彼が大学を出てから自動車のディーラーになって、会う機会がなくなってしまった。懐かしいな。数か月前に婚約したって一報が届いて、ちょっとしたプレゼントを贈って以来だ。
R.テティスのライブが終わり、ぼくは人込みをかき分けてリアムを探す。
リアムもぼくを探していたみたいだ。
「やあ、リアム。ひさしぶ……」
「パピアくん! お願い、ボクがここにいたの内緒にして!」
いきなり泣きつかれた。
なんでこんな命乞いみたいな勢いで泣きつかれているんだろう。死神かヒットマンになった気分だよ。
「毎日、テティスちゃんライブに通ってるのバレたら、フィアンセのパパがマシンガン持ち出しちゃう!」
「浮気してるわけじゃないんだし、そんな大げさな」
「あのさ、その……実はね、結婚式の打ち合わせしなくちゃいけない時期なんだ……」
リアムの告白に、ぼくは絶句する。
結婚式。
どれだけ面倒な作業が続くか、幼馴染のケルシーに愚痴られたから知っている。
ケルシー曰く、結婚式より、結婚式の煩雑な準備を一緒にして、楽しいと思える相手がいいって。
「リアム。なんで、ライブ一日だけにしなかったの……」
一日抜け出すくらいなら息抜きだけど、毎日ライブは弁護できないし、したくもない。いくら少年時代からの友人だって、それだけは無理だ。
マシンガンはやりすぎだけど、一発くらいかまされも同情できないぞ。
「まさか明日のライブも?」
「うっ」
「リアム。どういう理由で抜け出してるか聞きたくないけど、以後のライブは諦めて、早く帰った方がいいよ。ぼくはどこにも吹聴しないけど、聞かれたら話す」
「ううっ」
リアムは肩を落とした。
ぼくの忠告を聞き入れてくれたのか、肩を落としたまま帰っていった。
館内に響くBGMはR.テティスの歌。
フィアンセより優先されるライブって、中毒性があって怖いな。夢中になるのはいいけど、ちょっとのめり込み過ぎだ。
「セーンパイ!」
うわ、見つかった。
ぼくの背後にいるアイビー・ローゼンタールは、満面の笑顔だった。ぼくは引きつっている。
「やっぱ音響がいいと、迫力マジで段違いッスね! 心臓直撃、感情爆破って感じ。ライブ、ハマりそうっスよ」
「ほどほどにね」
「テティスちゃんの歌、響かなかったっスか」
「きれいだったよ、クジラみたいで」
「そりゃセンパイにとっちゃ最上級っスねぇ」
どういう意味だろ。
「センパイは冷静っスね。アンドロイドとの付き合い方に分別があるっていうかぁ、アンドロイドを機能的にも娯楽的にも、消費対象として認識してないんスよね。そういうスタンスが好かれるんスかねぇ?」
「アンドロイドに好かれている自覚はないけど」
父さんには溺愛されているけどさ。
「またまたぁ~」
ばんばんと肩を叩かれる。
嫌ではないけど、鬱陶しいな。
「ライブっておなか減るっスね。ここのシーフードレストラン、オススメなんスか?」
「クジラプレート」
即答で会話を終了させる。
「センパイはクジラ一筋っスね!」
「じゃあね」
帰ろ。
「つれないっスね、メシくらいご一緒しましょうよ。『アンドロイド・ジャーニー』の話、聞くっスよ」
帰りかけたぼくは、くるっと方向転換した。




