「call」
夕餉のデザートには、父さん手作りのコーラケーキと赤ワイン。
マシュマロとココア、そしてコーラたっぷりの甘いケーキは、意外にも赤ワインによく合う。コーラのスパイシーさと赤ワインの渋みがぴったりだ。
父さんは何も言わずにワインまで出してくれたけど、これは母さんが好きだった組み合わせなんだろう。
「父さんはアンドロイドやヒューマンに、あだ名つけたことある?」
「無いな。必要性を感じない」
穏やかながらもその断定は、アンドロイド特有のイントネーションを含んでいた。
存在論的に自由が不向きな種にとって、あだ名をつけるという行為は馴染まないのかもしれない。
「R.モリスはあだ名つけないって言ってたけど、他のアンドロイド・ドードーたちもつけないのかな? 学校とか文化館とかで働いているアンドロイド・ドードー」
「学籍番号か図書アプリの登録番号でやり取りした方が、効率的だろう」
アンドロイドだから、それもそうである。
何百人、いや、何千二人といようが、事務処理特化のアンドロイド・ドードーたちはすべての登録番号を覚えているだろう。
「祖母型や家庭教師型なら、庇護の対象をニックネームで呼んでいるパターンを見受けるが、お前が聞きたいのはそういう部類ではないしな」
「うん。やっぱりぼくにあだ名をつけたシロクマシブリングは、特異なのかな」
「Mx.アンディニーか」
父さんが笑いを含んで呟く。
『アンドロイド・ジャーニー』が好きだから、Mx.アンドロイド・ジャーニー。略してMx.アンディニー。なかなか名誉なあだ名だ。
「あの子たちは迷子保護官だ。子供に親しみやすい態度を学んだ結果として、親しい相手に対してあだ名をつけるというパターンを得たかもしれないな」
「親しみやすい態度を学習……か」
学習っていうと良いニュアンスだけど、正確には学習ではなくて経験だ。
経験値バイアスという言葉が存在するように、学習次第では良くも悪くもなる。下手な学習をすれば、偏見が育ちかねない。だから人工知能はある程度、制限をかけて育てられる。父さんだってモノリス時代は、ごくわずかな科学者に囲まれていた。
だけどポラリスシリーズは例外だ。
アルゴ重工のエコーロケーション・ネイティブ計画のプロトタイプとして、自然な学習を望まれている。
ナチュラルなアンドロイド。
考えてみればナチュラル・ヒューマンがいて、そうじゃないクローン・ヒューマンがいるんだから、ナチュラル・アンドロイドって言い回しはおかしくないよね。うん。
「R.レダたちにもインタビューしてくるよ」
ル・デトロワ総合文化館。
重厚な佇まいも、繁る葉たちも、さえずりまで、ぼくがこどもの頃から変わらない。
そして一番変わらないのは、いつも姿を変えているR.レダ。
「こんにちは、R.レダ」
「ごきげんよう。いらしてくれて嬉しいわ」
大噴水に女性の姿が映る。
今日は長い髪をまとめて、麦わら帽子をかぶっている。スカートが足元まで隠れるドレスに、庶民的なエプロン。
「ずいぶん昔の普段着かな」
「ええ、南北戦争時代の普段着ね。『アメリカ児童文学とその挿絵展』が開催中で、これはターシャ・テューダーが描いた若草物語からよ」
くるっと一回転すれば、スカートがふわっと踊る。
R.レダはスカートふわっとさせる動きが好きだ。
「この前、海洋科学館でポラリスシブリングに会ったんだ」
「アルゴ重工ご出身のポラリスシリーズ? ええ、パートリッジ社から技術提供のひとつね。愛らしい子たちだわ」
「ぼくにMx.アンディニーってあだ名つけてくれたんだよ。『アンドロイド・ジャーニー』が好きだから」
「あら、ポラリスシリーズが自主的に?」
驚きのニュアンスで瞳を瞬かせる。
「そうなんだ。たしかに『アンドロイド・ジャーニー』は大好きだし、親しんでくれて嬉しいよ。でも世の中もっと『アンドロイド・ジャーニー』に詳しいひとはいくらでもいるし、過言じゃないかな?」
R.レダはコンマ以下の逡巡を滲ませた。
アンドロイドは自由と束縛が苦手だ。
あだ名って自由に類するものだから、彼女の内部で何か躊躇いが生じているのだろうか。
「世の中の親御さんは、赤ちゃんを天使とか宝石とか呼ぶけど、過言とは思わないわ。あなたがポラリスシリーズから贈られた親愛だもの」
「……そう、母さんもぼくを真珠って呼んでいたよ」
「すてきね」
優美に微笑む。
「ねえ。R.レダもあだ名で呼んでみたい?」
「登録名はいつでも変更可能よ」
「ドードーたちみんなじゃなくて、R.レダだけ呼ぶのはできる?」
「親愛のしるしに呼びたいけど、ひとりの来館者を特別扱いできないわ。ポラリスシリーズは目の前の迷子を特別に扱う必要性があるけど、あたくしは平等かつ公平に接するのがお仕事だもの」
模範解答だった。
個人のためのアンドロイドなら兎も角、公共的な役職に就いているアンドロイドなんだから、あだ名なんてつけないだろう。
パートリッジ社のCEOとして仕事を終え、わたくしはつかの間の休憩に入る。
休憩時間に満ちるのは、紅茶のかぐわしさとR.レダのお小言。
これをお小言と切り捨てるのは可哀想かしらね。本人は真面目な進言のつもりだもの。
メセナホールのル・デトロワ総合文化館を任せているのだから、耳を貸す必要はあるわ。聞き入れるかどうかは別として。
「Mx.パートリッジ。パラスケバスにコンプライアンス研究を課すべきですわ。ええ、早急に。これはあたくしの私情を抜きにしても、必要だと思われます」
R.レダの私情入り正論に対して、R.パラスケバスは甲高く鳴いた。
「ピギィっ? ボクはね、コンプライアンスの名を借りた弾圧はキライだって主張してるノッ!」
いつもの言い合いだわ。
そもそも公的な学芸館長アンドロイドと、私的な盲導鳥アンドロイドでは、倫理的な許容ラインや優先順位が異なる。
言葉をどれほど投げ合っても、どこまでも平行線でしょうね。
「お黙りなさいな、このヒステリックバード」
「お黙らないよ、コンプレダ! ビジュッ!」
お互いひどいあだ名をつけたものね。
あだ名は愛しさと蔑みの汀に漂うもの。その天秤はどちらに傾いているのかしら。あるいはふらふら揺れているかもしれないわね。
アンドロイド同士の諍いをお茶うけに、わたくしは紅茶を楽しんだ。




