Mx.アップルヤード曰く
R.レダから正式なメッセが届いた。
美術展に母さんのデトロイト瑪瑙を展示したいそうだ。
文化館館長のR.レダは美術展の企画もしている。今回のコスチュームジュエリー展も好評だったらしく、また来年あたりに人工宝石をテーマにした美術展を行いたいらしい。
デトロイト瑪瑙は産出されなくなって久しく、希少価値がまた上がっている。地元でさえなかなか手に入らなくなっていた。
母さんの形見のデトロイト瑪瑙たち。
ひとつひとつに思い出がある。思い出がなくてもフォトの中の母さんがつけている宝石が手元にあれば、ぼくの癒されない古傷を慰めてくれた。
手放したくないけど、化粧台の奥で死蔵するのも気が引ける。
文化館は近所だし、R.レダだったら大切に扱ってくれるだろう。
そう思って、貸し出しを決めた。
と、いうわけで、いろいろと打ち合わせをした結果、パートリッジ社傘下の保険会社から、デトロイト瑪瑙の鑑定のために鑑定人が派遣されてくる。
ちょっと面倒だな。
大学院でやることは山積みなのに、地元に拘束されるのは。
実家で論文を書くにしたって、研究棟の方が資料がそろっている。母さんみたいに飛行機内でしゅばばっと書けるわけがない。
「鑑定とか保険とか、想像より手続きが煩雑だね」
自分で貸すと決めたけど、つい父さんに愚痴ってしまう。
「美術品の貸し借りは保険が絶対。顔見知りだからと、R.レダは手を抜かないだろう。むしろ学芸員として、より誠実に手順を踏むはずだ」
歩いていける範囲の知り合いにモノを貸すという気分だった、ぼくが世間知らずだったのか。
うん。ぼくは世間知らずだろう。
「めんどくさいな」
「何事も経験だ。お前が将来、博物展や企画展を仕切るなら、いい経験になるさ」
ぼくが博物館とか科学館の企画と立案か。
もしそういう仕事に就いたら、海洋アンドロイドとソーシャルロボティクスをテーマにした博物展かな。そうするといろんな博物館から標本を借りなくちゃいけないし、オートマタ・オーシャンからも展示品を借りたい。保険や運送の常識くらい身に着けておいた方がいいんだろうな。
夢が膨らむ。
「それより論文が先だよ……」
かたつむりな論文を前に、ぼくはじたばたする。
呻きながら転がっていると、父さんが無言でデバイスピアスに触れた。
「パピア。R.レダからメッセが届いた。保険会社から派遣されてくる鑑定人は、Mx.アップルヤードとR.スノーアルジーだそうだ」
「えっ……Mx.アップルヤード?」
約束の日のおやつの時間、Mx.アップルヤードがチャイムを鳴らした。
「久しぶりだね。エデン」
ぼくの家のチャイムを鳴らしたのは、エデン・アップルヤード。幼稚園時代からの友人だった。
大きな瞳に、エキゾチックな顔立ち。アッシュラヴェンダーのスーツに、黒のハイネック。スーツと同色のネイルをしている。
この前、ケルシーの結婚式に出席したら、花婿と花嫁以上に、エデンが視線を集めていた。もちろんエデンは地味なスーツとネイルだったけど、見えないスポットライトでも当てられているみたいな雰囲気だった。
もしエデンのことをインド映画の若手スターって紹介したら、ほとんどの人間が信じるだろう。
だけど俳優でもモデルでもなくて、美術品専門の保険会社に勤めている。
美術品鑑定。
真贋そのものは科学的調査が主流。アンドロイドに委任される。
だけどその本物にどれほどの価値があるのか、歴史と情緒と文化が絡む。
いまだにアンドロイドではなくて、人間の裁量が大きい分野だ。
「久しぶり。ケルシーの結婚式以来だね」
ディスプレイ越しには会話するけど、エデンと会うのは久しぶりだ。
「父さんの作ったおやつ食べる? チャイもあるよ」
「そうしたいのは山々なんだけど、さっそく鑑定とデータ取らせてもらうよ。相棒はいつも真面目でね」
エデンの足元には、トランク。
そこに純白のフクロウが留まっていた。
アンドロイド・スノーオウル。
シロフクロウ型のアンドロイドだ。
「お初にお目にかかります、Mx.マリオット。ワタクシはスノーアルジー、R番号26-PU-BI37591。以後、お見知りおきを」
慇懃に一礼する。
氷雪藻の名の通り、雪に藻を含んだような羽根をしていた。
林檎と雪。
なんとなく白雪姫を連想しつつ、リビングに出しておいたデトロイト瑪瑙のアクセサリーたちを鑑定してもらう。
エデンは白い手袋をつけ、ルーペを取り出し、アクセサリーに触れる。
R.スノーアルジーがチッチと小さな機械音を出しつつ、センサーでチェックしていく。
「ホゥホゥ、すべてホンモノだと見受けられる。ここまで古いデトロイト瑪瑙は稀有でしょうな」
ふたりで鑑定をしていく。
宝石に興味はないけど、母さんの目利きが証明されるのは鼻が高いな。
「パピアくん。正式な鑑定結果はまた後日。次来たら、三次元データを取って、パピアくん立ち合いで、立体プリントさせてね。機材を入れさせてもらうけど、そんなに大きくないよ。養生もするから搬入経路を測らせてね」
「三次元データって何するの?」
「美術品の立体情報を取っておいて、運搬中や展示中に傷がついてない証明にするんだよ。損傷が展示中なのか元からなのか争論になったら、立体プリントで証明できるから」
「大がかりだね」
「大がかりじゃないよ。これくらいしないと、元からの傷を展示側の責任だって言われたりするし。展示側の不手際で逆のことだって起きる」
「へー」
感心していると、エデンの大きな瞳が細くなった。
「パピアくん。美術展に貸し出せる美術品を持っているなら、もっとさ、用心深くした方がいいよ」
「セキュリティは完璧だよ」
自宅は父さんと連動しているスマートセキュリティで守られている。
安全だ。
「そうじゃなくて、たとえばさ、動画配信人とかテレビ局とか借りたいって言ったら、借りたい方が保険を掛けないといけないんだよ。保険と運送料は、全額向こう負担が常識だからね。これはもう百年前から国際ルールなんだよ」
「そうなんだ」
「そこでゴネたり断ったりしてきたら、悪人クズか非常識バカの二択。パートリッジ社のメセナだったらホワイトで信頼できるけど、他のところに貸したりしちゃダメだよ」
「安易に貸さないよ、母さんの形見だよ」
R.レダだから貸したんだ。
「考え抜いても貸したらダメ。パピアくんは芸術に関しては門外漢なんだから、自分で判断せずに弁護士と保険屋を通して」
エデンの口調は強い。
妙に迫力がある。
「パピアくんはふわふわしてるから気を付けるんだよ」
「ふわふわ……」
なんてこった。友人から、しかもエデンからふわふわ扱いされるとは。
たしかに美術と保険を専門にしているエデンからしたら、ぼくの感覚はふわふわかもしれないけどさ。
そう、エデンは専門家になった。
大学院でじたばたしているぼくと違って、好きな分野で働いている。ちょっと羨ましかった。
美術展は無事に開催される。
タイトルは『刻を越えるシンセリック展』。
ぼくも内覧会に招待された。
会場を彩るのは、19世紀の合成エメラルドから、20世紀の合成ルビーに合成サファイア。ルネ・ラリックの硝子のペンダントや、硬化アクリルのルーサイト、完全合成樹脂のベークライト。コスチュームジュエリーメーカーのトリファリが開発した『トリファニウム合金』も並んでいた。
解説もあるから材料工学って感じで、予想より見どころがある。
人類の手で育まれた宝石たち。
その中に、母さんのデトロイト瑪瑙もそっと陳列されていた。
引き出しの暗闇から華やかな美術展に出席できて、瑪瑙たちが嬉しそうだ。
もちろんそう思うのは、ぼくの身勝手な感情移入に過ぎない。ただ母さんへの想いを仮託しているだけ。
会場を歩いていくと、エデンの姿があった。
美術品に負けない雰囲気を纏っていて、すっと視線が引き付けられる。
「エデン、ちょっと相談があるんだけど、時間あるかな」
「あるって言えばあるよ。これからランチ休憩なんだ。食事しながらでよければ」
文化館のカフェは軽食もメニューに並んでいる。
エデンはトースターペイストリーとミルクティー。ぼくはコーヒーだけ注文する。
「母さんの形見、美術館にずっとおいとけないかな? ぼくはアクセサリーを使わないけど、引き出しにしまい込むのは嫌だなって……」
マリオン・マリオット。天才科学者で学会や講演で、世界中を飛び回っていた。デトロイト瑪瑙といっしょに。
デトロイト瑪瑙は母さんを構成するもののひとつだ。
母さんの一部を閉じ込めるなんて、やっぱりいやだ。母さんが家に籠っているなんておかしい。華々しくて学術的な場所で、みんなの注目を集めていればいいんだ。だって永遠に突き進むネクトンなんだから。
「美術館に寄託か寄贈したいの?」
「手放すのはちょっと抵抗がある」
「寄託か。パートリッジ社なら間違いないし、コンディションキープや美術品の公的化を考えれば賛成だね」
「じゃ……」
「分かった、調整と契約はうちが引き受けるよ」
デバイス操作して、てきぱきとスケジュールを調整していく。
「ほんとにかっこよくなったね、エデン」
ぼくの発言がいきなりだったのか、エデンはちょっとびっくりして目を見開き、それから笑った。
幼稚園の頃とまったく変わらない、はにかんだ笑みだった。




