Epilogue 未来への航路
テロリストは国際手配されて、ほとんど逮捕された。
暴力的なデモやテロは減ったけど、それでも人類型アンドロイドの研究と生産は縮小されていく。
人間と等しいかたちをしたものを造り、奴隷の如く労働させるのは倫理に悖る。それがお題目だ。
欺瞞だ。
動物のかたちなら労働させていいんだろうか。
セキュリティ犬や見守りバードが普及していき、人類型はゆっくり減っていく。
まるで絶滅だ。
スナメリやジュゴンみたいに、人類が人類型アンドロイドを絶滅させる。
……たぶんまだ人類は、人類型アンドロイドと仲良くできるくらい賢くないんだろう。
ぼくは小学校から中高校へと進学する。
スイミングスクールは辞めたけど、そこでできた友達から誘われてサーフィンをやるようになった。父親に内緒にしておくことも増えた。運転免許が取れる歳になれば、背丈は父さんと同じくらいになった。
「大学合格か……」
父さんは電動椅子に腰を下ろして、ぼくの合格通知を眺めていた。
泣きそうな表情になっている。そのまま涙が零れてくるんじゃないかってくらいだ。そんな機能、父さんには無い。
「感慨深いな」
目尻を押さえながら呟く。
父さんは電動椅子を手動制御して、壁へ寄った。
最近は下肢の関節駆動の調子が悪く、座っている方が楽みたいだった。
排熱処理も衰えていて、冷却ファンの上着も手放せない。ヒドロゲル皮膚を総取り換えして、ラジエーターは最新型にしたけど、うまくかみ合ってないのかな。
瞳の青さだけは変わらない。
その眼差しは、壁のフォトディスプレイを見つめていた。
母さんの写真が映し出されている。海洋科学館を背景にして、幼かったぼくと、変わらない父さんと、永遠に若い母さんが笑っていた。
まだ世界が完璧だったころの記録。
「母さんがいたら、代わりに嬉し泣きしてもらえただろうな」
「大袈裟だな。ぼくは普通に合格しただけだよ。母さんなんて飛び級して、在学中に研究機関に声を掛けられたのにさ」
普通にって言ったけど、ちょっと見栄っ張りかな。
ほんとは死ぬほど勉強した。
「お前は母さんと別個体だ。お前はお前自身の頑張りを誇りなさい」
「頑張るのはこれからだよ」
望みの大学に入れたんだ。
海洋アンドロイドの研究室がある大学だ。
もしぼくがオックスブリッジやアイビーリーグに飛び級できる学力があったって、この大学を選んだだろう。夢は叶えるために。
「パピア。気張り過ぎるなよ。一人暮らしが難しかったら、いつでも父さんを呼んでくれ」
「心配?」
進学したら、アパートで一人暮らしだ。
大学の近くの方が都合が良いし、いつまでも父さんに甘えているわけにはいかない。
独り暮らしくらいできるって証明しなくちゃ。
「ココアとマシュマロだけで、食事を終わらせそうな気がして不安だ」
「肥満まっしぐらな食生活はしないよ」
それはさすがにしない。
切羽詰まったら、やるかもしれないけど。
「母さんは見張ってないと、際限なくアルコール摂取していたからな。際限なくというのは比喩ではない」
真顔で言い切った。
たしかに隙あらばアルコールを嗜んでいたけどさ、ぼくはあれほどひどくはないよ。たぶん。
「栄養バランスは気を付けるよ。湯煎ポットの使い方はマスターしたから大丈夫さ」
「そうだな」
意味深な含み笑いをされてしまった。
「独り暮らしできるなら、俺はイルカかクジラになっても問題ないな」
「そういうこと言わないで」
人類型アンドロイドはもう新しく造られない。新しいボディに移行するとしたら、海洋哺乳類だろう。
クジラは好きだ。
でも、やっぱり両腕で抱き締めてほしい。
最後の人類型アンドロイドになってほしいって願うのは、残酷だろうか。
それはきっと孤独だろう。
52Hzで鳴くクジラのように。
「……どうしても海洋哺乳類タイプに移行するなら、シャチが似合うと思う。オキゴンドウとか」
「凶悪なイメージの生き物を勧めるんだな」
「それより合格祝いにぼくの車を一緒に選ぶ約束、忘れてないよね」
「もちろん。父さんは忘却が不得手だ」
自信たっぷりに頷く。
「友達はさ、合格祝いに給油式のクラシックカーを買ってもらって、祖父とレストアしているんだ」
「給油式は維持が大変だぞ」
「でもやってみたいな。塗料がまだ吹き付け式だった時代の車って、浪漫だよ。うちにあるデトロイト瑪瑙のどれかと一緒に産まれた車かもしれない」
「さすがに吹き付け式の自動車は、自動車博物館にしかないだろう」
「じゃあそのリバイブルカーでもいい」
「分かった。お前が望むなら、付き合おう。維持に音を上げて、結局、父さんが乗るはめになりそうだが」
「これ、友達の行ったクラシックカー専門店のサイト。一世紀前の車も売ってるんだよ。フォード・マスタングの10代目なら、まだ新品の部品が揃っているし、レストアしやすい」
「レストアか……」
父さんは視線を落として、自分の膝を撫でる。
デトロイト瑪瑙の数珠が、小さく鳴った。
母さんの葬儀以来、その数珠はずっと父さんと共にある。
「パピア。母さんのことで、まだ話していないことがひとつある。あまり面白い話ではないが、話してもいいだろうか」
静かで真剣な口調だった。
なんだか寿命を意識しているみたいじゃないか。
「聞くよ。悪い話じゃないよね」
「生々しい話だな」
そう呟いて、父さんは電動椅子で体勢を正した。
「母さんがどうしてクローンを産むと決意したか」
予想以上に重い話題がやってきた。
「……父さんとの間に、不純物を入れたくなかったからだろう?」
「そうだ。だがそれは手段だな。これから話すのは、そこまで強く子供をクローンで望んだ動機だ」
たしかに子供が欲しい未婚の女の人って、優秀な精子を買うよね。
違法クローンなんて何段階か飛ばしすぎ。
すっ飛ばしの勢いは、母さんっぽくて納得していた。
「俺と母さんが出会ったのは、俺がまだボディを持たないAIで、母さんは13歳の大学生だった」
両親の馴れ初めに気恥ずかしくなりながらも耳を傾ける。
語る声には、混ぜっかえせない真剣さがあった。
「モノリスだった頃?」
「そう。俺は人間らしさを取得するために、ネットゲームに参加していた。AIの参加は一般のネットゲームだと規約違反になるから、研究所内のイントラネットだ。母さんはアルバイトで、ゲームに参加していた」
「まさかのゲーム婚……」
「そう言われればそうだな」
ネトゲで出会って結婚なんて、よくあるパターン……!
飛び級の少女と最新型AIとしては、出会い方が平凡過ぎる。
「母さんと話している時は、俺に魂があるような気がした。俺は母さんが好ましかったし、母さんも俺に恋をして……」
「うん」
「想像妊娠した」
「うん?」
鼓膜に触れた単語の理解が、一拍どころじゃなく遅れた。
もしかしたら理解を拒んだのかもしれない。
「つまり父さんはボディも無いのに、13歳の母さんを孕ませたの?」
「俺の責任なのか?」
端整な顔に、微苦笑を浮かべる。
冗談なのに。
「責任の所在はともあれ、母さんは魂に宿ったお前を、現実に産みたくなったんだ。だがどれだけ強く願っても、13歳の未婚では遺伝子バンクが使えない。そもそも他の遺伝子提供者を使えば、俺との子供を乗っ取られると思ったんだな」
「知性って狂気と両立できるんだ」
思わず呟いた本音に、父さんは深く頷いた。それはもう深く深く、マリアナ海溝より深く。
「否定はしない」
むしろ肯定する勢いだった。
「大学を卒業してから六年、母さんはクローン研究と接触してお前を受肉させた」
規格外の情熱だ。
卒業して成人したら、契約婚と遺伝子バンクって手段がある。
それでも恋に殉じたんだ。
「すごいな。母さんって無茶苦茶というか……好き勝手というか、自由に生きたねぇ」
「そこは見習うといい」
「見習っていいの? 遵法精神ゼロだよね!」
「己の幸福に妥協しない。俺はそういう母さんを愛している。今でもな」
父さんは口許を綻ばせた。
満ち足りた微笑み。
これが幸せに妥協しなかった笑顔なんだろうか。
父さんにハグをする。
「ぼくも幸せに妥協しない。思うがままに人生を歩むよ」
「お前の幸せを祈っているよ、パピア」
ぼくは自分の航路を進む。
蒼海の瞳が見守ってくれるなら、どんな波濤も越えていけるから。
END