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サピエンスの語らい



 

 今日は早く目が覚めたので、いつもより早く研究棟に入る。うちの研究室はコアタイムがないので、みんな適当な時間に来ていた。だいたい昼前だ。

 誰もいないだろう。そう思ったら、ほっそりとした影がひとつ。

 劉だ。

 彼だけが飲んでいる東洋のお茶の香りが、朝の気配に混ざっている。

「おはよ、劉。早いね」

「はい。学務が開いたら、行こうと思いまして。なるべく早く」

 劉はお茶を飲みながら、デバイスピアスを操作していた。房飾りを模したコードを引っ張り、ミニディスプレイと繋げる。

 細い瞳をますます細めた。

「学務課、今日は全員アンドロイド・ドードーですね」

 事務員の大半、そして教授陣の秘書だってアンドロイド・ドードーだ。うちの研究室の教授だって、例外じゃない。

 稼働能力も耐久性も低いんだけど、記憶メモリは多く、秘書、司書、事務や学芸員として働いている。しかも基本タイプでも、国連六か国語対応で通訳も可能。劉が母国語で話せる存在だ。

 なのになぜか劉は渋い顔をしている。

「とても行きにくいです」

「劉はドードー、苦手?」

 そういえば教授のドードーに近づいてなかったな。

「……苦手、というか……マリオットはDAシティの出身でしたね」

 問いかけに頷く。

 ぼくは最先端スマートシティに暮らしていた。

 アンドロイド・ソングバードたちが公園や街路樹でさえずる、慈しみに満ちた空間。もちろんアンドロイド・ドードーたちも、学校や文化館の図書室にたくさんいた。慣れ親しんだ存在だ。

「マリオットは慣れているから、気にならないのでしょうか?」

「ぼくもダミー・スワンはちょっと苦手だよ。違和感があるし」

「ダミー・スワンが苦手ですか。しかしドードー鳥は苦手と感じることも罪深い。あれは絶滅種です。行動や色彩の資料が十分に得られない絶滅動物を模すという選択は、趣味や趣向ではなく、意図的な設計思想があります。ダミー・スワンと違い、人類に対しての倫理的プレッシャーや、内省を与える設計思想を感じます」

「そんな大げさな」

「ではマリオット。学務事務員がステラーカイギュウだったら、どう感じます?」

「………」

 ステラーカイギュウ。

 人類の乱獲によって滅亡した海洋哺乳類。

 温厚な性格だったらしい。

 狩られている仲間を守るために駆けつけて、また狩られて、狩られて、狩られすぎて死骸は捨てられ、そして滅亡した。

「……ぅっ」

 ぼくはゆっくりと床にひざをつき、重苦しさに抗った。

 辛い。

 その種の名前を聞くだけで、もう眼球に涙と熱がこみ上げてくる。

「分かりますか? マリオット? 私はアンドロイド・ドードーたちから、人類の愚かさというプレッシャーをかけられてます。情動的トリガーが引かれ、共感性疲労を招きます」

「分かるよ……」

 絶滅種。

 ペラゴルニス・サンデルシなら兎も角、ステラーカイギュウに親切にされたら罪悪感で気が狂う。ぼくは見慣れ過ぎていて引っかからなかったけど、ドードーやオオウミガラスだって辛い。

 人類の罪の残滓だ。

「劉。学務課へは、提出物か何か? 届け物くらいならぼくが行くよ」

「ああ、いえ、相談事です。学務チャットでも相談したんです。保護者サインや書類が必要だと言われました」

 保護者のサイン?

「うちの娘を、大学のナーサリーに預けたいのです。ですが法制度の運用は、依然として国籍に制限されているため手続きが……」

「娘? いたの!」

 驚きの叫びが、喉奥から飛び出した。

「はい、います。三歳です。とてもとても可愛い」

「へ、へえ。写真とか飾らないんだ」

「そういう風習はありませんね」

「………ところでぼくら友人だよね?」

「異論はないです」

「娘さんがいるの初めて知ったよ」

「はい、そうですね。初めて言いました」

 この淡白さ、アジア人の文化なのか、劉の性格由来なのか分からない。

 共感できたり、理解不能だったり。

 ナチュラル・ヒューマン同士はそんなもんだ。

 ああ、ぼくはクローンだから、ホモサピエンス同士って言うべきかな。

「劉。あのさ、家族の写真くらい見せてほしい」   

「どうぞ。うちの女公主(プリンセス)です」

 にこやかにデバイスを差し出す。

 抵抗がないならもっと積極的に見せてほしいと思いつつ、デバイスに映ったフォトを拝ませてもらう。

 ぷくっとした東洋の少女が笑顔で映っていた。

「シャンです。珊瑚という意味ですよ」

「きれいな名前だね。今度、海洋科学館のチケット贈るよ」

「あなた、誰にでもそれ言いますね」

 劉は目尻を下げて、穏やかに笑った。



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