祈りの仕草
海は電波が吸収されてしまう。
宇宙みたいにボイジャーを飛ばせない。
だから海底探査は人間が潜水ポットに乗り込むか、コード付きドローンを使うか、あるいは海洋アンドロイドに任せてデータを取ってくるしかない。
現代、海底で活躍しているのは、アルゴ重工出身のアンドロイドだ。アンドロイド・ホエールやアンドロイド・ドルフィンたち。地球のフロンティア、深海を開拓するため、海洋アンドロイドは発展し続けている。
だから海洋工学でも船舶学でも、アンドロイドメンテナンスは基本技術だった。
工学の授業の一環で、アンドロイドの冷媒交換の実習を受ける。今までずっと座学だったけど、初めて機材に触れた。
同期のやつがぼくの手元を覗く。
「マリオット、うまいな。無断でやってた?」
「見慣れてるだけだよ。『アンドロイド・ジャーニー』で冷媒交換のシーンはよく登場するじゃないか」
「そんなにあったっけ?」
同期が首を傾げる。
「あるって。ぱっと思いつくのは、『アンドロイド・ジュゴンを救え。CO2の命綱』と、『北極の守護神、アンドロイド・ポーラーベアは駆ける』、『珊瑚を千年先へ、小さなアンドロイドたちは戦う』くらいだけどさ。CO2の命綱は絶対に感動するから、視聴した方がいいよ!」
背後の方で、他の連中がこしょこしょ喋っている。
「誰だ、マリオットに『アンドロイド・ジャーニー』の話を振った馬鹿」
「布教されるに決まってんのに」
あまり良くない空気が滲んできた。
何故だ。
ともあれ冷媒取り扱い免許を取った。
子供の頃から、ずっとずっと求めていた資格。
ぼくは各方面と予定を調整して、アンドロイド・メンテナンス・ガレージをレンタルした。
くすんだパステルグリーンの室内は、不思議なくらい静かだった。機械たちまで緊張しているみたいだ。静寂をさらに通り過ぎてしまった。そんな世界だった。
クリーンウェアを着込んでいるせいか、行き過ぎた静寂と一体化している気分になった。
己自身の呼吸と鼓動がうるさい。
もしかしてMx.スミスが手術に挑んだとき、こんな感じだったのかな。
父さんがクリーニングルームから出てくる。
「お前がメンテしてくれるようになるとはな」
「感慨深くなってないで、早くガウン脱いでよ」
レンタル時間は限りがあるんだから。
父さんは苦笑しつつメンテガウンを脱いで、メンテナンス・テーブルに横たわった。
ここをレンタルしたのは、父さんのメンテのためだ。
クラス2のクリーンルームと、専用の調整器具がすべて揃っている。個人が借りられるわけじゃないんだけど、ぼくの場合は色々とツテを駆使して借りられた。
駆動部をすべてスキャンして、電磁制御のチェックとオイルも確認していく。
ラジエーターの清掃。
最後にアンドロイド冷媒の交換だ。
脇腹のメンテナンス孔を開く。
保守を考えた工業製と違って、ARTのアンドロイドだからめちゃくちゃ小さいな。針穴以下か。
低圧バルブと高圧バルブを順番に開いて、チャージ用ホースと連結。真空ポンプでエアパージしてから、気密確認。冷媒を抜き、ケージで確認しながら充填作業をする。
これでアンドロイド冷媒の交換が完了した。
父さんの寿命に関わる処置だから、まだ緊張が続いている。口の中が乾いてからからだ。
「これで大丈夫でしたか?」
後ろで監督しているふたりに問う。
資格を取ったからって、さすがにフルオーダーアンドロイドを独りでメンテする度胸はない。
Mx.スミスは穏やかだった。
「ええ、ヴァーチャルトレーニングより上手でしたよ」
「問題あれば、即座に引っぺがしている」
そう無愛想に述べたのは、Dr.ディンブルビー。
このひとは失敗しようが成功しようが、口調も表情も変わらないだろう、たぶん。
しかしNASAの天才技師と、ノーベル賞を授与されたロボット工学者が監督とは、ぼくも恵まれている。ふたりとも技術に対しての嘘は無い。
「初心者のわりには上出来だ。アンドロイド冷媒資格は、前科を持っていても食いはぐれない。そのまま上達するといい」
「……前科って」
「自身に非が無くとも、横領や論文捏造やデータ改竄に巻き込まれることはよくある」
よくある……?
Dr.ディンブルビーは力強く言ってくるけど、斜め後ろでMx.スミスは首を横に振っていた。
「そんなのに三度も四度も巻き込まれたり濡れ衣着せられるのは、Dr.ディンブルビーくらいですよ」
「人生は闇だ。己に罪がないなら、私を頼っても構わん」
「そうですね。パピアくんが困ったら、なんでも言って下さい」
心強いというか、不安というか。
複雑な気分で、メンテナンスを終わらせた。
父さんは目を覚まして、普段着を着る。それからデトロイト瑪瑙の数珠を、手首に巻き付けた。
ぼくの目からも、スキャナからも、問題はない。
それでもやっぱりちょっと不安な感じに、もぞもぞしてしまう。
「父さん、不具合はない? 違和感あったら、遠慮しないで言ってよ」
「いや、まったくないな」
「ならいいけど」
ほんとに大丈夫なんだろうか。
父さんの脇腹を撫でる。メンテナンス孔のある部分だ。
蒼い目はぼくの手をじっと見つめている。
「………」
「違和感ある?」
「仕草が……マリオンにそっくりだった」
「母さんもメンテナンス後で、父さんの脇腹を撫でていたの? よしよしって」
「そうか、撫でたのは、確認というよりも……祈りの仕草なのか」
父さんは淡く微笑む。
それは寂しそうで幸せそうで、不思議な微笑みだった。




