表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/100

幼生プランクトン


 色なき風が、ニューヨークの海を撫でていく。

 サーフィンには打って付けの波が幾重にも寄せてきて縞模様を描き、日差しは乱反射する。瑪瑙模様めいていた。

 ぼくはサーフィンを楽しむ。

 波間の向こうで、友達のダコタが手を振っていた。

「パピア。アイゼンが疲れたみたいだし、おれ戻る」

「じゃぼくも休憩するよ」

 ドーベルマンのアイゼンはもう9歳だ。健康は問題ないらしいけど、ご高齢だもんな。遊びたいけどすぐ疲れてしまうらしい。

「っていうかダコタがいちばん疲れてない? ここまで車で九時間だよね」

「そんなに疲れないって。別にぶっ通しで運転したわけじゃねーし」

 ダコタは大学が終わってすぐにミシガンを出発して、PVパークで眠ってから朝イチで出立、ぼくのアパートまでやってきた。

 長時間運転からサーフィンって、体力どれだけあるんだろう。 

 R.シュヴァルツも連れだって、キャンピングカーまで戻る。

 ダコタはアイゼンをシャンプー、ぼくはドリンク。

 ぼんやりしてるとデバイスが明滅していた。

 父さんからのメッセだ。なんだろ。


『パピア。母さんの友人をしばらく滞在させたい。相談の時間はあるか』


 そんなの父さんが決めてくれればいいのに。

 だけど、どうしようもないことに父さんはアンドロイドで、不動産の権利はぼくだ。一応はお伺いを立ててくれるのだろう。


『いいよ』


 すぐにデバイスディスプレイに切り替わる。

 元気そうな父さんが映った。


「実はDr.ディンブルビーを匿いたくてな」

「あのひと、なにしたの!」

 Dr.ディンブルビー。

 母に三度求婚して四度フラれた工学者。

 陰鬱な雰囲気を持っているけど、なにかとんでもないことをやらかしたのか?

「お前、サイエンス・ニュースは見てないか?」

「ニュース? パートリッジ総帥死去以外のニュース流れた?」

 ここ最近、ずっとパートリッジ社の創始者が亡くなったニュースで持ち切りだ。

 それ以外に目ぼしい話題はない。

「まさかニュースになるようなこと、しでかしたの?」

 喋りながら、デバイスを操作して、小さい画面でサイエンスニュースを開き、ディンブルビーと打ち込む。

 ニュースが再生された。

  

『今年のノーベル物理学賞にはARTのDr.ダリウス・ディンブルビーの【双方向量子的主観認識システム】が……』


「うわあ!」

 間抜けな絶叫を出してしまった。

 そ、そうか、ノーベル物理学賞を授与したのか……

 アメリカン・ロボット・シンクタンクは、合衆国でもロボット研究のトップ。そこのフルオーダーアンドロイドに携われるなら、ノーベル賞の可能性は十分だ。

「めでたい話だが、インタビューを避けたいそうだ」

「あんまり人づきあいが良さそうなタイプでもなかったもんね」

「喋れば炎上、話せば凍結、SNSは絶対禁止。それが彼に対するマリオンの評価だった」

 母さんもなかなか酷な評価を下したものだ。

「というわけで、Dr.ディンブルビーは今、うちに滞在して授賞式の準備だ」

「………月末には一度、帰るよ」

 





 慣れ親しんだ実家のリビングに、Dr.ディンブルビーがいる。

 しかも憂鬱な面持ちで。

 科学者として最上級クラスの名誉を受けておきながら、Dr.ディンブルビーの表情も雰囲気も陰鬱のどん底だった。ぼくと目を合わせるなり溜息をついてくる。

 呼吸しているだけで陰惨な空気になってきたぞ。

 このまま滞在されたら、うちがホーンデッドマンションになりそうだな。

「断りたかった」

 ぼそっと呟くDr.ディンブルビー。

「ノーベル賞をですか?」

「当然だ。だいたいノーベル賞など、研究を世間に知らしめ、価値があると認めさせるものだ。私は世間の人間が理解できる程度の研究はしていない」

「………」

 炎上しそうな発言だな。

「講演会に引っ張り出されたり、政府のご意見番にされたりと使われて、己の研究がおろそかになるなど本末転倒ではないか」

「でも名誉ですよ」

「私は名誉乞食ではない」 

「………」

 凍結されそうな発言だな。

 母さんの評価は手厳しいかと思ったけど、まさか的確だったのか。

「賞金も大きいのに」

 まとまった賞金がもらえる。研究設備に投資したり、科学者支援する団体に寄付したり、新しい科学賞を創設したり、いろいろと夢が広がる。

「そこは分からなくもないが、煩わしい」

 一蹴した。

 庶民の生涯賃金の半分くらいの金額を、本気で一蹴した。

「ただ共同研究者を慮らんわけにもいかん。私が固辞すれば、あれも辞退するだろう」

 そして溜息。

 どんより淀んだリビングに、ぽろんとディスプレイから電子音が響く。通信が入った音だ。

「Dr.エイヴァリーか」 

「繋げますよ」

 父さんがディスプレイを操作する。

 映ったのは、ぽっちゃりとした赤ら顔に、銀ぶち眼鏡を埋め込んだ中年男性だ。ぱりっとした白衣を纏っている。

 陽気そうな雰囲気だな。

 このひとが共同研究者?

「ひどいよ、Dr.ディンブルビー。きみが主体の研究だってのにいきなり逐電雲隠れして、インタビューをぜぇんぶボクに任すなんてさ! ま、いいけどね! ボクは嫌いじゃないよ、喋ってちやほやされるの」

 シロップ漬けのドーナツを齧りながら怒って、すぐ笑った。

 共同研究者に対して、Dr.ディンブルビーはうんざりしたような表情を浮かべる。

「スピーチだのインタビューだのは、お前向きだ。受賞は構わんが式は欠席する」

「OK、OK。スピーチはボクが引き受けるから、受賞式は出席するんだよ。きちんと礼服を仕立てておいてよね」

 そう言ってドーナツを一口で頬張る。

 ぼくをちらっと一瞥した。

「や、そっちはプランクトンくんか。すっかり大きくなったね。偏屈なDr.ディンブルビーは持て余すと思うけど我慢してね。んじゃ」

 笑いながら通信を切る。

 Dr.ディンブルビーを引き受けるのはいいとして、ぼくの脳裏に疑問符が泳ぐ。

「なんでプランクトン……?」

 首を傾げてしまう。

 いや、そういえばDr.ディンブルビーも以前、ぼくに対して、プランクトンって言っていなかったか?

「どうしてぼく、プランクトンって呼ばれるんです?」

「………」

「………」

 Dr.ディンブルビーも父さんも黙って、顔を見合わせた。

「パピア。子供には過去の言動に縛られず自由に成長する権利がある。忘れられる権利だ。大人の都合で、幼少期のエピソードを蒸し返すのは倫理プログラムが……」

「ナーサリープログラムを発動させないで」

 嫌な気まずさの空気が続く。

 やっと口を開いたのは、父さんだった。

「パピア。お前が三歳の頃……」

「その不吉な出だし何?」

「お前は「ぼくはかわいいプランクトン」って自己紹介するのがマイブームで、ホームパーティーの客には必ずそう名乗っていた」

「う……」

 三歳児の行動を、まだぼくは笑えなかった。気恥ずかしさだけが募る。

 沈黙の中、次に口を開いたのはDr.ディンブルビー。

「幼い子供は、幼生プランクトンだ。正しい認識だな」

「そうですね……」

 Dr.ディンブルビーはフォローしてくれたのか、いや、あるいはただ思ったことを口に出したのか。特に慰めにならなかった。

 そう、慰めではなかった。

 鋭い眼差しが向けられる。

「それがもう成人か。幼生プランクトンだったきみは、どこかへ突き進むネクトンになれたかね? あるいは誰かのためのベントスになれたか? それとも自由なプランクトンを貫くか」

「………」  

 どこかへ突き進む遊泳生物(ネクトン)か、誰かのための水底生物(ベントス)か。自由な浮遊生物(プランクトン)か。

 問いかけに、答えられなかった。

 たしかに大学で望みの講義を受けている。夢に向かって進んでいるけど、ノーベル賞を授与される科学者から真向に問いかけられれば、自信を持って答えられなかった。

 まだぼくは幼生プランクトンなんだろうか。

遊泳生物(ネクトン)になりますよ。まだちょっと発育段階です」

「楽しみだ」

 Dr.ディンブルビーは口許だけで笑う。

 やっぱり陰鬱な笑みだったけど、ぼくは悪い気分にならなかった。 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ