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愛の残響



 うちのキッチンには、久しぶりに優しい香りが立ち上っていた。

 父さんがデニムのエプロンをして、料理をしている。子供の頃と同じ光景に嬉しくて、少し切なくなる。

 お皿に盛られているご馳走は、よく作ってくれたボンゴレビアンコと燻製チキンのコブサラダ。あとカラフルトマトのマリネ。

「パピア、お前好みの味にできているか?」

「うん! いつもの父さんの味」

 そう告げれば、父さんは微笑む。ほっとしたのかな。

 父さんは大掛かりな手術を受けた。長期記憶ネットワーク再編成したせいで、機能や記憶の欠落があるらしいけど、少なくとも今のところ問題は無かった。

「パピア。お前のために作業できて俺は嬉しいが、残りの夏休みはずっと家にいるわけじゃないだろう?」

「心配しなくていいよ。文化館でボランティア活動を申請しておいた。手術の前にR.レダに勧められて」

 もし失敗しても、あるいは何か問題ができたらボランティアは別に募集するから、気にしないようにと言われた。

 大学の夏休みはボランティアかインターンかバイトか、あるいは大学の短期集中講座でもいい。とにかく何か自主的に実績を積んでいないと、就職に不利だ。

「ソーシャルロボティクスも学べるしさ」

「そうだな」

 



 文化館へボランティア。

 あとはリモート学習だ。 

 父さんはぼくのために、毎日、好物ばかり作ってくれる。帆立と海老のグラタン、サーモンと白身魚のカルパッチョ、タラたっぷりのほかほかポテトサラダ、それからシーフードパエリア。

 料理の彩りも味わいも香しさも、子供の頃と変わらなかった。そう、あの頃のまま。夏の午後がくれた夢のようだった。

「今日は牡蠣のチョッピーノだ」

「え?」

 ぼくの喉から思わぬ声が出た。

「どうした、パピア?」

「ううん。予想が外れただけ。ブイヤベースっぽい香りだったから」

「またブイヤベースの材料も買いにいくか。ローリングストックも回したいし」

 父さんは優しく微笑む。

 テーブルには供されたご馳走は美味しそうだ。真っ赤なスープはトマトが香る。その中には大きな牡蠣がごろごろ入っていた。ぼくが好きそうな豪快な海鮮料理。

 だけど、チョッピーノなんて料理、ぼくは初めて見た。

 齟齬があるならすぐ報告。

 ぼくが連絡を取ったのは、Mx.スミス。父さんの主治医だった。

  


『おそらくマリオンの好物でしょう。牡蠣のチョッピーノはマリオンの行きつけオイスタバーの名物でした。R.マリオットの記憶が混線している可能性があります』


 メッセの返答は、良いのか悪いのか。

 そういえば母さんは、牡蠣をよく食べていた気がする。それに白ワインに合いそうなスープだった。

 

『経過観察に伺うにしても、身動きできない時期なんです。カウンセラーAIを紹介します』

『Mx.スミス。ぼくの信頼しているカウンセラーに診てもらうことは可能でしょうか』


 了承を得て、ぼくは父さんを文化館に連れてきた。

 夏休みの終わりごろだけ、文化館にはカウンセラーがいる。

 R.エマソン。

 皇帝ペンギン型アンドロイドで、きちんと糊付けされた白衣を纏っている。ぼくが通っていた学校のスクールカウンセラーだ。

「パピアくんのお父さん。手術成功おめでとうございます」

 翼と手が握手を交わす。

「ありがとうございます、R.エマソン。カウンセリングは児童専用だと伺っていましたが、俺の診察をしてもよいのですか」

「教師のカウンセリングもやってるし、予約はされていないからね。それにAIカウンセラーも常駐しているから、大丈夫だよ」

 R.エマソンは父さんを連れて、とことこ奥へ行く。

 長閑な光景だけど、やっぱりぼくは心配だった。




 ボランティア活動のため、地下の作業室に降りる。

 書架庫と続いた作業室で、大きな作業台とツールワゴンがある。実用一点張りだ。壁にひとつ窓があるけど、これは人間の精神衛生を保つためのフェイクウィンドウ。特に指示がなければ、外の天気をリアルタイムで反映する。

 無機質な空間だけど、関係者以外立ち入り禁止の空間ってちょっとわくわくする。

 ぼくは絵本の修繕にかかった。

 普通の書籍はドードーたちも行ってるけど、絵本は変わった形が多い。そのうえ、扱う相手はこども。自宅に物理書籍がなくて、扱いなれていない子だって少なくはない。となれば傷みは避けられない。

 対応力の高い人間の手で表紙を外し、縫い合わせ、ボンドで製本しなおす。あるいは勝手に貼られたシールを剥離スプレーではがす。シールは持ち主に返さないといけない。

 今日はたまたま、人間はぼく独り。

 あとはアンドロイド・ドードーたちが、自動書架を制御して本を出し入れしていた。

 話しかけてくる相手がいないから、集中して修復できる。

 三冊目を終えた後、窓が外からノックされた。

 外から?

 ここは地下だ。

 そもそも窓はフェイクウィンドウなのに。

 ぎょっとして視線を向ければ、窓枠の向こうにはレトロな金髪美女がいた。20世紀のアメリカをキャンディにしたような美女。

「作業を邪魔してごめんなさいね」

 R.レダだ。

 ……そういえば館長がここから話しかけることもありますって、初回に説明されたな。忘れていたわけじゃないけど驚いた。

 今期はノーマン・ロックウェルとセト・ノベルティ展だったな。

「お父さまのお話、終わったそうよ」

「じゃ今日は上がらせてもらいます」

 ぼくは片づけて、作業用階段を上がっていった。


 

 父さんを助手席に乗せて、自宅へと向かう。

「ありがとう、パピア。すまなかった」

「謝る必要はなくない?」

 ぼくの好物と母の好物を取り違えただけだ。単なる勘違い。ナチュラル・ヒューマンのご家庭ならよくある話。

 アレルゲンを出したわけでもあるまいし、深刻な顔されても困る。

「俺のワガママだ。意図的な重複保持の副作用が出ていた」

「副作用?」

「マリオンの好物データはもう不必要なのに、思い出を消去したくないからお前の好物フォルダに突っ込んだ。その結果が記憶の混線だ」

「必要あるよ! ぼくが作ってほしい! 母さんの好物だって食べたいよ」

「そう。それならレシピだけ記憶していればよかった」

 父さんが記憶しているのは、レシピだけじゃないんだ。 

 きっと料理を作った日の気温や湿度、母さんの体調や感情認識、前に食べたものを考慮した膨大なデータ。それが残っているんだ。

 父さんはアンドロイドだ。味覚はない。

 どんな料理がおいしく感じるか、肌感覚ではなく蓄積データを総合して判断している。あまりに膨大なデータは負荷になる。だからあの大手術で長期記憶ネットワークを再構築した。

 延命のため必要な処置。

 だけど父さんは母さんの思い出を手放したくなくて、再構築中に消去すべきデータを、ぼくの方へ重複させて断片的に残したんだ。かすかな残響だけでも保存しておきたかったんだ。

「お前の食事は最初、湯煎ポットのレトルトを与えていた。お前の好みが育つにつれて、レトルトではなくてお前の味覚に特化した料理を作るようになった。お前の笑顔が、ナーサリープログラムの最優先だったから。そのうちマリオンにも料理を作って……」

 母さんに手料理を出すのは、ナーサリープログラムの項目にはない。

 だけど父さんにとっては、母さんの笑顔も喜びだったんだ。

「パピア。母さんとお前の好物、俺自身がもう区別できない。お前の知らない料理を出してしまったら教えてほしい」

「うん」

 父さんには元気でいてほしい。だけどアンドロイドだって老いるのは当然で、記憶が混線したっていいんだ。

 その混線こそ、母さんという家族がいたって証じゃないか。






 わたくしが屋敷に戻れば、執事のアンドロイド、R.ピンターが恭しく出迎えてくれる。

 おじいさまが入院してしまって、屋敷の主はわたくしになってしまった。もうおじいさまがこのお屋敷に帰っていらっしゃることはないもの。

 書斎に入り、把握しておくべき情報を聞いていく。

 NASAのニュースを耳にして、わたくしはR.レダに連絡を入れる。こんな夜遅くでもレスポンスが早いのは、AIの美点だわ。

「お呼びですか? Mx.エレノア・パートリッジ」  

「R.レダ。ARTのアンドロイド手術の術後経過は順調かしら?」

「守秘義務ですわ」

 当然の返答だった。

 そしてわたくしにとって満足いく返答だった。

 手術が成功したと発表されて、それは嘘ではないという証拠だもの。もしNASAからの公式発表に虚偽が混ざっていれば、公共に反する。守秘義務でロックされたR.レダでも黙っていられなかったでしょうから。

 あの親子はきっと順調なのでしょう。

 とても喜ばしいことね。

 R.ピンターが淹れてくれた紅茶が冷めないうちに、手を伸ばす。

 それを遮るように、デバイスが微かに鳴った。

 おじいさまが入院していらっしゃる病院からだわ。ぞわりと指先から這い上がる嫌な予感。でも応答しないわけにはいかない。わたくしが応えなくても、時間は容赦なく進む。

「halo」

「夜分に恐れ入ります。Mx.エレノア・パートリッジでお間違えございませんか?」

「ええ。おじいさまに何か?」

「率直に申し上げます。看取り期間に入りました。ご面会は24時間受け付けております」

「それは今日命が尽きるか、明後日命が尽きるか、まったく分からない容体になったという意味でいいかしら」

「はい」

 残酷な肯定ね。

 否定してほしかったけど、事実は事実だもの。

「お知らせ、ありがとう。すぐに面会をさせて頂きます」

 執事のアンドロイド、R.ピンターがやってくる。

「おくるまのご用意を致しました。その日のためのご準備は、すでに総帥から受けております。Mx.パートリッジは、どうかただお心のままに」

「ありがとう」

 わたくしが悲しみにひたれるように、おじいさまは死後の雑務も取り計らってくれたのでしょう。

 その愛の深さが、よけいに涙を重くした。


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