甲斐のない恋
父さんはNASAで手術する。
フルオーダーの高性能アンドロイドの手術なんて、前代未聞だ。
NASAだけでなく父さんの出身であるARTからも、技術者や研究者が訪れる。錚々たる面子が集まって、検査結果をデータとしてまとめ、解析して手術計画を立てた。
シミュレーションを何万回と繰り返している。
ぼくは祈るだけ。
「手術まで……あと………」
言葉が途切れた。
父さんとの最後の面会時間まで、あと二時間くらい。それから完全に面会謝絶され、手術。
手術。
その単語を思い浮かべるだけで、脳髄が軋む。
何も手につかなくて、ヒューストンの町並みをうろつき、ただひとりで公園のベンチでぼんやりする。勉強どころか、食事もしたくない。ああ、いっそ祈り以外、何もできなければいいのに。
摩天楼を見上げる。
ヒューストンの摩天楼は、夏の空を映していた。晴れも曇りも等しく。
「マリオン?」
不意に鼓膜を震えさせられた。
それは、母の名前。
母の名を呟いたのは、すぐに近くを通りかかった男性だ。五十代くらいだろうか。体格はいいのに、陰鬱な顔色をしている。顔色だけじゃなくて、雰囲気までも薄暗いひとだ。ホーンデッドマンションに暮らしていそうだな。
「………母の友人ですか? 以前、一周忌で会った記憶が」
紹介された気がする。
父のボディ製作者のひとりだ。
つまり父の手術に参加してくれる科学者なんだろう。
男性はひどく重そうに、ぼくのとなりに腰を下ろした。これからの手術の重圧まで伝わったのか、ベンチがやたら耳障りに軋む。
「失礼。マリオンときみを見間違えたわけではなく、ただきみの名前が思い出せなかった。なんだったかな。プランクトンではなく………」
「パピアです」
なんでプランクトン。パールなら兎も角。
小さな海洋有機物からの連想か。
「ああ、そうだった。パピア・マリオット、きみは何が専門かね?」
「………大学ではソーシャルロボティクスを学んでいます」
「そうか」
短い返事の句点としては、あまりにも重々しい溜息が吐き出された。
空が曇ってきたのは、あるいは風が肌寒くなってきたのは、このひとの溜息が原因なんじゃないか。そんな錯覚に陥る。
「工学は?」
「海洋工学大ですから、基礎は学んでいます」
「ではパピア・マリオットくん。ロボット工学者として語らせてもらう。これは客観的事実として、ギャラント………失礼、きみのお父上R.ギャラント・マリオットの手術は困難極まりない」
「伺いました。父さんのスペックの回路を量産型の技術で組んだら、自由の女神くらいのサイズになるって」
本来なら自由の女神ほどスペースを要するのに、それをどういう技術を駆使したのか、あるいは奇蹟かで、父さんは長身の男性くらいの体格に収められていた。
「過小な言い方だ。R.ギャラント・マリオットの体内は宇宙であり、四次元のパズルだ。あれが完成した時、私は正直、神の領域に踏み入ってしまったのではないかと恐れたよ」
陰鬱な横顔で、物憂げに呟く。
「この齢になって、神の領域に再挑戦するとはな」
男性は立ち上がった。
「パピア・マリオット。私はこの手術を成功させる。マリオンの信頼は裏切らない」
「ありがとうございます」
「成功させねば、私の人生の意味も失う」
そこまで研究に掛けているのか。
男性は憂鬱な表情のまま、唇だけを歪ませる。
「私はマリオンに三度求婚して、四度フラれた。せめて忘れ形見のために成功しなければ、まったく甲斐のない恋だろう」
「父さん。三度求婚して、四度フラれたって何?」
面会時間がもったいないので、唐突に聞く。
機械じみた寝台に横たわっている父さんは、眉間に皺を寄せた。
「Dr.ディンブルビーに会ったのか?」
「名前は聞いてない。雰囲気がホーンデッドマンションに暮らしていそうな大柄なひと。五十は過ぎてる」
それで通じたらしい。
眉間の皺は深くなった。
「パピア。これは母さんも同意見だったが、子育てというものは何を受け継がせないかが肝要だ。己のトラウマや偏見、悪しき習慣を与えない姿勢こそ、新しい世代を育むための……」
「ナーサリープログラム発動させないで。ぼくもう成人したんだから」
「……」
「そんなに生々しい話? そこまで沈黙したいなら聞かないけど………」
「そうではない。たぶん四度目は、お前を養子にしたいと俺に申し込んだときだろう」
「ぼくを養子に?」
そんなのまったく初耳だった。
母さんを好きだったひとが、ぼくを養子に……
「パピア。もちろん俺とお前の生活はそのままに、後見として支援できないかと提案されたよ。養育者がアンドロイドだけでは、射撃練習や自動車免許の取得も難しい。通院や事故、災害時にも難儀だろうと」
理屈としては、理解できた。
父さんがアンドロイドだから、いろいろと制限があった。ソーシャルワーカーだってこっちの生活を覗き見してきたし。
「で、断ったの?」
「お前を養子にしたら、父さんが彼の管理物になる」
それは嫌だ。
あの頃は、気持ちがちくちく荒れていた。
父さんが知らない人間のモノになると聞かされたら、ぼくは発狂していたかもしれない。
「お前の精神衛生上、良くないと判断して断った。そもそも人間の養父が必要だと思えば、マリオンが提案するだろうが、彼女は遺言にそんな指示を残していなかった」
遺言に残されなかった。
ぼくの養父に指名されなかった。
「それで、四度フラれた、か」
「たぶんな」
「母さんは意外にモテたんだね」
美人の部類には入るけど、ファンキーでクレイジーな科学者だったし。でも職場は全員、ファンキーでクレイジーな科学者が揃っているのか。
別に母さんがモテても嬉しくないけど、それでも父さん一筋だったのは嬉しいな。
母さんは父さんとぼくが大好きで、父さんは母さんとぼくが大好きで、ぼくはふたりが大好きなんだ。世界が完璧だったころの気持ちが、ふっと心を横切る。
万能感ともまた違う、溢れんばかりの幸福。
重苦しい気持ちが少しだけ和らいだ。
面会の時間が終わりに近づく。
ぼくは父さんの手を握る。デトロイト瑪瑙の数珠が小さく鳴った。
「良くなるように祈っているからね」
祈りが通じるように、ぼくはその数珠に触れた。




