表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/59

Chapter6 アクアメーション



 結果は最悪よりほんの少しだけマシだった。




 身体だけでも見つかったから。

 

 登録されている遺伝子情報や、歯の矯正治療の痕跡で、本人照合された。遺体はエンバーミングも不可能だったけど、母さんが家に帰ってこれた。最悪だけど最悪じゃない。

 お弔いをしなくちゃいけない。

「帰ってこれたのに、別れるための儀式をするんだね」

「すまない」

 父さんが悪いわけじゃないのに。

 黒い服を着せられて、青の飾り襟みたいなのを付けられた。両端に藤色の房が垂れている。

「なにこれ」

「門徒式章。喪主だからな。父さんも付ける」

 父さんも真っ黒い喪服を纏っている。

 濃紺の門徒式章を肩から掛け、左手には華奢な数珠を下げた。デトロイト瑪瑙(フォーダイト)の数珠は、母さんが好きそうな極彩色で、それだけは馴染みあるものだった。




 慣れないお香の匂いと、馴染まないお経の響き。

 あちこちから降りそそぐ慰めや労わりの音が、ぼくを軋ませて素通りしていく。そんなものを浴びせないでほしい。

 もう嫌だ。

 ぼくの限界を察したのか、父さんはぎゅっと抱きしめてくれた。

「疲れただろう。パピアはもう休むといい。父さんはお坊さんとお話してくる」

 そう言われて控室に連れてこられたけど、お線香の匂いが満ちて憂鬱だ。アンドロイドのセキュリティ犬がいたって、慰めにはならない。

 やっぱり父さんといたい。

 控室を抜け出せば、探すより早く視界に入る。

 お坊さんと打ち合わせしているみたいだ。邪魔しないように待っていると、弔問客がやってきた。

 母さんの知り合いで、NASAに勤務している技師さんだ。ずっと昔、一度だけヒューストンで会ったことがある。

「お久しぶりです、R.ギャラント・マリオット。Dr.マリオットの不幸は、まことに残念で。こんな遣る瀬無いことが。友人としても、ロボット学界としても……」

 お葬式の挨拶を交わしていた。

「パピアくんも大きくなりましたけど、母親を亡くすには早すぎる。今回の不幸は本当にもうどうしたものやら。ああ、パピアくんの本当の父親が、権利を主張するなんてことはないでしょうか」

 ぞっとする単語が鼓膜に触れた。

 ただの遺伝子提供者を、父さんと一緒くたにするんじゃない。

「パピアの遺伝子提供者は、もうこの世にいません。係累も一切ない」

 父さんが淡々と返した。

 落ち着いた口調にも、内容にも、心が穏やかになる。

「しかし……」

「ご心配ありがとうございます。ですがパートナー・マリオンは遺言状を残しています。遺言通りのプロベート申し立てを、弁護士に依頼しておきました。横やりさえなければパピアが相続できますので、ご安心を」

 

 



 母さんが水火葬(アクアメーション)されてから、何日か経った。

 どれくらい経過したんだろう。ぼくは時間の感覚が麻痺していた。時間や空腹の感覚が擦り減って、悲しさ許せなさだけが脳髄を満たしている。

 勉強はホームスクーリングに切り替えてもらった。

 画面越しじゃない友達に会いたいけど、父さんから離れたくなかった。反アンドロイド派のテロリストが、父さんのところにやってくるかもしれない。

 母さんだけじゃなく、父さんまでいなくなったら……

 不安が毎日を滲ませている。

 クジラのぬいぐるみを抱き締めて生活した。

 ぼくがちっちゃかった頃みたいだ。でもちっちゃくなったのはシロナガスクジラ。ぬいぐるみを抱き締めても、慰めてもらうにはぼくの腕は長すぎる。

 もう戻れないんだ。

 父さんがいて、母さんがいて、ぼくがいて、世界は完璧だった。

 家から遠く離れた場所にいたって、どこかにいてくれた。

 もう、どこにもいない。

「母さん……」

 クジラが呼吸できなくなるくらい強く抱きしめた。





 リモート授業が終わると、父さんはおやつを出してくれる。

 今日はマシュマロブラウニータルト。

 栄養管理プログラムは優先度が高いはずなのに、ずっとぼくの大好物ばかりだ。食べ過ぎても何も言われない。

 それが嬉しいのか悲しいのか分からない。

「パピア、明後日は16時に弁護士さんが来てくれる。お前の相続と財産管理の手続きだ」

「財産管理? 父さんがいるのに?」

「もちろん父さんが付いている。だけど一人より二人の方がいいだろう。それに母さんの財産は、特許が大半だ。専門家に任せた方がいい」

「父さんが相続すればいいんだよ」

「……パピア」

 父さんを困らせたいわけじゃない。

 分かっているんだ。父さんはアンドロイドで、相続できない。

 犬だって遺産相続できるのに、父さんはできないんだ。

「弁護士に相続の手続きを行ってもらう。信託の設定、死亡時譲渡証書や相続税申告書、連邦遺産税の申請や保険金の受け取り……それから父さんを相続する書類。父さんは特殊なタイプで特許の塊なんだ。売買や譲渡に制限が掛かっている」

「父さんは動産じゃない。家族なのに」

「法律上の話だよ」

 優しい口ぶりに、むしろ腹が立ってきた。

 なんでぼくをあやそうとするんだ。

「それからこの件は、お前が落ち着いたら話したかったが、何かあった場合に困るから先に話しておきたい。今の情勢は安全とは言い難いからな」

「何?」

 つっけんどんに呟く。

「辛い話だが聞いてくれ」

「だから、何」

「父さんを相続したら、修復不能になった場合の措置も、お前に決定権がある」

 全身の産毛が逆立つ。

 母さんが死んだのに、父さんが死ぬ話?

 どうしてそんな怖い事を言うんだ。ぼくの不安を現実に近づけないで。

「俺のボディに含まれているレアメタルおよびアンドロイドパーツを即リサイクルするのか、埋葬して年数経過してからか。宗教上の理由を使えばしばらく埋葬できるが、それ以後はリサイクル法案で再利用することになっている。アンドロイドにとっては、臓器移植は選択ではなく義務で……」

「嫌だ!」

 どうしようもない否定が喉から吐き出された。

「なんだよ、それ! ぜんぶ嫌だ! 母さんの死亡診断書にはSingle、Never Marriedって書いてあったし! ここに父さんがいるのに! 父さんを認めない何もかもが許せない!」

 テロリスト集団も、リサイクル法案も、周りの人間も何もかも許せないんだ!

 涙がとめどなく溢れる。

 葬式で滲まなかった涙が、ぼくの頬を濡らしていた。

「お前ばかり辛くさせてすまない」

「父さんこそ辛くないの?」

「現時点での俺の存在意義は、お前の父親、その一点だけだ。世界中の人間や法律が俺を認めても、お前が認めてくれなければ無価値だ。お前さえ、俺を父だと思ってくれればそれでいい。それが俺の幸せだ」

「……父さんはぼくを息子だと思ってくれる?」

 海めいた瞳の奥底を覗き込む。

「当たり前だ。お前は俺の息子だよ」

「他に遺伝子提供者いるのに?」

 この世にもういない遺伝子提供者。でもこの世に存在した時があったんだ。

「それを気に病んでいたのか?」

「ぼくは父さんだけの息子でいたかった……」

 父さんに抱き締められる。

 小さな子供の頃みたいに抱えられ、頭を撫でられた。

 シロナガスクジラと違って、父さんはまだ大きかった。父さんの腕の中なら、ぼくの手足は長すぎない。

「パピアのそういうところは母さんそっくりだな。顔だけじゃなくて、気質が似ている」

「そうなの?」 

 顔を上げると、青い瞳と目が合う。

 深い海色にぼくが映っていた。クジラが泳いでいそうな青さだ。

「パピア。お前には母さんが持っていた財産をすべて渡す。不動産も動産も、権利も、それから……情報も」

「情報?」

「お前の遺伝の話題は、ロックが掛かっていた。でも、今は外れている」

「え?」  

「母さんの死亡。それが解除条件のひとつだった……いつでも話せる」

 

 ぼくの遺伝子提供者の話。

 未婚だった母だ。遺伝子バンクで死亡者との子供を作ったのか、それとも恋人と死別したのか。


「聞くよ」

 怖いけど、怖いものに蓋をしたままの方が怖い。

 恐怖が膨れ上がってしまいそうだ。

「今すぐ?」

「本当に最悪だったら、きっと母さんは伝えなかった。ぼくが大人になったら平気な話なんでしょ」

 じゃあ今、聞いたっていい。

 数秒、沈黙が落ちた。

 アンドロイドなんだから回答はもうアウトプットするだけなのに、躊躇っているみたい。

「母さんな……わりと倫理観がおかしくて」

 アンドロイドの父親から聞く前置きとしては、ちょっと意外だった。

 科学者だし、マッドサイエンティストの気質があったのかもしれない。

「お前を産むために、違法クローンに手を出したんだ」

「……え」

 一瞬、言葉を失った。

 意外だったからじゃない。

 むしろぼくにとってあまりにも都合のいい真実だった。

「……で、でも、おかしいよ。だってクローンって同性しかなれないよね」

「そうだな。母さんも女の子が生まれてくるだろうからって、女の子の名前しか考えていなかった。気に入っていたのだろうな。産まれたのは男の子なのに、そのまま付けた」

「ぼくの名前、女の子用だったの!」

 たしかに周囲の男の子たちと比べて、女の子っぽい響きだとは思っていたよ。

「たまに母さんが真珠ちゃんとか呼ぶから、由来はパールだと思っていたよ。誕生石だし」

「女性名というか、ギリシャ神話の女神の名だ。愛の女神アフロディーテの愛称が、パピアなんだよ」

 愛の女神さまか。

 でもエンジェルとかメリークリスマスみたいな名前と比べたら、良かったかもしれない。

「普通、クローンは同性だ。だが染色体転座が起きた。動物のクローンでもごく稀に起きる現象だ」

「染色体……細胞の中にあって、性別を決める要素だよね」

「そう、それに異変が起こった」 

 そっか。ぼくは母さんのクローンだけど、偶然、男の子になっちゃったのか。

「良かった……じゃあ遺伝子提供者は母さんだけなんだ」

 ずっと棘みたいに刺さっていたものが無くなった。

 胸が軽い。

「自身がクローンで不安はないのか?」 

「クローンって言っても、健康体なんでしょ。だったら問題ないよ」

 母さんはナチュラルヒューマンで、父さんはアンドロイド、ぼくはクローン。

 うん。しっくりきた。

 ぼくに滲んでいた不安を押しのけるくらい、腑に落ちる真実だ。

 母さんを喪った悲しみはまだ重いけど、不安が燃やされ流(アクアメーション)される。

「パピア、ひとつ頼みがある」

 父さんは手を差し出した。手首に巻き付いている数珠が鳴る。

 マーブル模様の数珠。初めて見た時、ネックレスかと思ったくらい華奢で、きれいな数珠だった。

「すべての遺産はお前のものだが、この数珠だけは俺にくれないか。これだけは……」

「当然だよ、母さんの形見だよ。父さんが持っていた方がいいんだから!」

 許しを請うみたいに言わないでほしい。

 ほんとは父さんに全部あげたいのに。

「うちが浄土真宗なのは、この州で唯一、ロボットの葬儀を挙げてくれるからだ。埋葬もしてくれる」

 それは薄々、知っていた。

 教会でロボット葬は挙げてくれない。教会の墓地って人間のお墓しかないんだ。鼻持ちならない。

 お寺はぬいぐるみのためにだって祈ってくれるのに。

「俺の可動年数は永遠じゃない。おそらく俺が先に逝くからと、母さんは俺のための数珠を用意していた。この数珠は、母さんが俺に魂があると信じた祈り、そのものだ」

 人工の色彩が重なるデトロイト瑪瑙(フォーダイト)

 地球の重力や熱じゃなくて、人間の技術が降り積もって生まれた美しさ。

 きっと父さんの魂にそっくりなんだ。

 数珠が巻かれた左手を握る。

「うん、父さんに魂はある。ぼくはよく知ってるよ」

 

 

  

 どれだけアンドロイドが嫌いな人がいても、認めない人がいても、今、ここに父さんが生きている。

 それだけはぼくの真実だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ