Chapter6 アクアメーション
結果は最悪よりほんの少しだけマシだった。
身体だけでも見つかったから。
登録されている遺伝子情報や、歯の矯正治療の痕跡で、本人照合された。遺体はエンバーミングも不可能だったけど、母さんが家に帰ってこれた。最悪だけど最悪じゃない。
お弔いをしなくちゃいけない。
「帰ってこれたのに、別れるための儀式をするんだね」
「すまない」
父さんが悪いわけじゃないのに。
黒い服を着せられて、青の飾り襟みたいなのを付けられた。両端に藤色の房が垂れている。
「なにこれ」
「門徒式章。喪主だからな。父さんも付ける」
父さんも真っ黒い喪服を纏っている。
濃紺の門徒式章を肩から掛け、左手には華奢な数珠を下げた。デトロイト瑪瑙の数珠は、母さんが好きそうな極彩色で、それだけは馴染みあるものだった。
慣れないお香の匂いと、馴染まないお経の響き。
あちこちから降りそそぐ慰めや労わりの音が、ぼくを軋ませて素通りしていく。そんなものを浴びせないでほしい。
もう嫌だ。
ぼくの限界を察したのか、父さんはぎゅっと抱きしめてくれた。
「疲れただろう。パピアはもう休むといい。父さんはお坊さんとお話してくる」
そう言われて控室に連れてこられたけど、お線香の匂いが満ちて憂鬱だ。アンドロイドのセキュリティ犬がいたって、慰めにはならない。
やっぱり父さんといたい。
控室を抜け出せば、探すより早く視界に入る。
お坊さんと打ち合わせしているみたいだ。邪魔しないように待っていると、弔問客がやってきた。
母さんの知り合いで、NASAに勤務している技師さんだ。ずっと昔、一度だけヒューストンで会ったことがある。
「お久しぶりです、R.ギャラント・マリオット。Dr.マリオットの不幸は、まことに残念で。こんな遣る瀬無いことが。友人としても、ロボット学界としても……」
お葬式の挨拶を交わしていた。
「パピアくんも大きくなりましたけど、母親を亡くすには早すぎる。今回の不幸は本当にもうどうしたものやら。ああ、パピアくんの本当の父親が、権利を主張するなんてことはないでしょうか」
ぞっとする単語が鼓膜に触れた。
ただの遺伝子提供者を、父さんと一緒くたにするんじゃない。
「パピアの遺伝子提供者は、もうこの世にいません。係累も一切ない」
父さんが淡々と返した。
落ち着いた口調にも、内容にも、心が穏やかになる。
「しかし……」
「ご心配ありがとうございます。ですがパートナー・マリオンは遺言状を残しています。遺言通りのプロベート申し立てを、弁護士に依頼しておきました。横やりさえなければパピアが相続できますので、ご安心を」
母さんが水火葬されてから、何日か経った。
どれくらい経過したんだろう。ぼくは時間の感覚が麻痺していた。時間や空腹の感覚が擦り減って、悲しさ許せなさだけが脳髄を満たしている。
勉強はホームスクーリングに切り替えてもらった。
画面越しじゃない友達に会いたいけど、父さんから離れたくなかった。反アンドロイド派のテロリストが、父さんのところにやってくるかもしれない。
母さんだけじゃなく、父さんまでいなくなったら……
不安が毎日を滲ませている。
クジラのぬいぐるみを抱き締めて生活した。
ぼくがちっちゃかった頃みたいだ。でもちっちゃくなったのはシロナガスクジラ。ぬいぐるみを抱き締めても、慰めてもらうにはぼくの腕は長すぎる。
もう戻れないんだ。
父さんがいて、母さんがいて、ぼくがいて、世界は完璧だった。
家から遠く離れた場所にいたって、どこかにいてくれた。
もう、どこにもいない。
「母さん……」
クジラが呼吸できなくなるくらい強く抱きしめた。
リモート授業が終わると、父さんはおやつを出してくれる。
今日はマシュマロブラウニータルト。
栄養管理プログラムは優先度が高いはずなのに、ずっとぼくの大好物ばかりだ。食べ過ぎても何も言われない。
それが嬉しいのか悲しいのか分からない。
「パピア、明後日は16時に弁護士さんが来てくれる。お前の相続と財産管理の手続きだ」
「財産管理? 父さんがいるのに?」
「もちろん父さんが付いている。だけど一人より二人の方がいいだろう。それに母さんの財産は、特許が大半だ。専門家に任せた方がいい」
「父さんが相続すればいいんだよ」
「……パピア」
父さんを困らせたいわけじゃない。
分かっているんだ。父さんはアンドロイドで、相続できない。
犬だって遺産相続できるのに、父さんはできないんだ。
「弁護士に相続の手続きを行ってもらう。信託の設定、死亡時譲渡証書や相続税申告書、連邦遺産税の申請や保険金の受け取り……それから父さんを相続する書類。父さんは特殊なタイプで特許の塊なんだ。売買や譲渡に制限が掛かっている」
「父さんは動産じゃない。家族なのに」
「法律上の話だよ」
優しい口ぶりに、むしろ腹が立ってきた。
なんでぼくをあやそうとするんだ。
「それからこの件は、お前が落ち着いたら話したかったが、何かあった場合に困るから先に話しておきたい。今の情勢は安全とは言い難いからな」
「何?」
つっけんどんに呟く。
「辛い話だが聞いてくれ」
「だから、何」
「父さんを相続したら、修復不能になった場合の措置も、お前に決定権がある」
全身の産毛が逆立つ。
母さんが死んだのに、父さんが死ぬ話?
どうしてそんな怖い事を言うんだ。ぼくの不安を現実に近づけないで。
「俺のボディに含まれているレアメタルおよびアンドロイドパーツを即リサイクルするのか、埋葬して年数経過してからか。宗教上の理由を使えばしばらく埋葬できるが、それ以後はリサイクル法案で再利用することになっている。アンドロイドにとっては、臓器移植は選択ではなく義務で……」
「嫌だ!」
どうしようもない否定が喉から吐き出された。
「なんだよ、それ! ぜんぶ嫌だ! 母さんの死亡診断書にはSingle、Never Marriedって書いてあったし! ここに父さんがいるのに! 父さんを認めない何もかもが許せない!」
テロリスト集団も、リサイクル法案も、周りの人間も何もかも許せないんだ!
涙がとめどなく溢れる。
葬式で滲まなかった涙が、ぼくの頬を濡らしていた。
「お前ばかり辛くさせてすまない」
「父さんこそ辛くないの?」
「現時点での俺の存在意義は、お前の父親、その一点だけだ。世界中の人間や法律が俺を認めても、お前が認めてくれなければ無価値だ。お前さえ、俺を父だと思ってくれればそれでいい。それが俺の幸せだ」
「……父さんはぼくを息子だと思ってくれる?」
海めいた瞳の奥底を覗き込む。
「当たり前だ。お前は俺の息子だよ」
「他に遺伝子提供者いるのに?」
この世にもういない遺伝子提供者。でもこの世に存在した時があったんだ。
「それを気に病んでいたのか?」
「ぼくは父さんだけの息子でいたかった……」
父さんに抱き締められる。
小さな子供の頃みたいに抱えられ、頭を撫でられた。
シロナガスクジラと違って、父さんはまだ大きかった。父さんの腕の中なら、ぼくの手足は長すぎない。
「パピアのそういうところは母さんそっくりだな。顔だけじゃなくて、気質が似ている」
「そうなの?」
顔を上げると、青い瞳と目が合う。
深い海色にぼくが映っていた。クジラが泳いでいそうな青さだ。
「パピア。お前には母さんが持っていた財産をすべて渡す。不動産も動産も、権利も、それから……情報も」
「情報?」
「お前の遺伝の話題は、ロックが掛かっていた。でも、今は外れている」
「え?」
「母さんの死亡。それが解除条件のひとつだった……いつでも話せる」
ぼくの遺伝子提供者の話。
未婚だった母だ。遺伝子バンクで死亡者との子供を作ったのか、それとも恋人と死別したのか。
「聞くよ」
怖いけど、怖いものに蓋をしたままの方が怖い。
恐怖が膨れ上がってしまいそうだ。
「今すぐ?」
「本当に最悪だったら、きっと母さんは伝えなかった。ぼくが大人になったら平気な話なんでしょ」
じゃあ今、聞いたっていい。
数秒、沈黙が落ちた。
アンドロイドなんだから回答はもうアウトプットするだけなのに、躊躇っているみたい。
「母さんな……わりと倫理観がおかしくて」
アンドロイドの父親から聞く前置きとしては、ちょっと意外だった。
科学者だし、マッドサイエンティストの気質があったのかもしれない。
「お前を産むために、違法クローンに手を出したんだ」
「……え」
一瞬、言葉を失った。
意外だったからじゃない。
むしろぼくにとってあまりにも都合のいい真実だった。
「……で、でも、おかしいよ。だってクローンって同性しかなれないよね」
「そうだな。母さんも女の子が生まれてくるだろうからって、女の子の名前しか考えていなかった。気に入っていたのだろうな。産まれたのは男の子なのに、そのまま付けた」
「ぼくの名前、女の子用だったの!」
たしかに周囲の男の子たちと比べて、女の子っぽい響きだとは思っていたよ。
「たまに母さんが真珠ちゃんとか呼ぶから、由来はパールだと思っていたよ。誕生石だし」
「女性名というか、ギリシャ神話の女神の名だ。愛の女神アフロディーテの愛称が、パピアなんだよ」
愛の女神さまか。
でもエンジェルとかメリークリスマスみたいな名前と比べたら、良かったかもしれない。
「普通、クローンは同性だ。だが染色体転座が起きた。動物のクローンでもごく稀に起きる現象だ」
「染色体……細胞の中にあって、性別を決める要素だよね」
「そう、それに異変が起こった」
そっか。ぼくは母さんのクローンだけど、偶然、男の子になっちゃったのか。
「良かった……じゃあ遺伝子提供者は母さんだけなんだ」
ずっと棘みたいに刺さっていたものが無くなった。
胸が軽い。
「自身がクローンで不安はないのか?」
「クローンって言っても、健康体なんでしょ。だったら問題ないよ」
母さんはナチュラルヒューマンで、父さんはアンドロイド、ぼくはクローン。
うん。しっくりきた。
ぼくに滲んでいた不安を押しのけるくらい、腑に落ちる真実だ。
母さんを喪った悲しみはまだ重いけど、不安が燃やされ流される。
「パピア、ひとつ頼みがある」
父さんは手を差し出した。手首に巻き付いている数珠が鳴る。
マーブル模様の数珠。初めて見た時、ネックレスかと思ったくらい華奢で、きれいな数珠だった。
「すべての遺産はお前のものだが、この数珠だけは俺にくれないか。これだけは……」
「当然だよ、母さんの形見だよ。父さんが持っていた方がいいんだから!」
許しを請うみたいに言わないでほしい。
ほんとは父さんに全部あげたいのに。
「うちが浄土真宗なのは、この州で唯一、ロボットの葬儀を挙げてくれるからだ。埋葬もしてくれる」
それは薄々、知っていた。
教会でロボット葬は挙げてくれない。教会の墓地って人間のお墓しかないんだ。鼻持ちならない。
お寺はぬいぐるみのためにだって祈ってくれるのに。
「俺の可動年数は永遠じゃない。おそらく俺が先に逝くからと、母さんは俺のための数珠を用意していた。この数珠は、母さんが俺に魂があると信じた祈り、そのものだ」
人工の色彩が重なるデトロイト瑪瑙。
地球の重力や熱じゃなくて、人間の技術が降り積もって生まれた美しさ。
きっと父さんの魂にそっくりなんだ。
数珠が巻かれた左手を握る。
「うん、父さんに魂はある。ぼくはよく知ってるよ」
どれだけアンドロイドが嫌いな人がいても、認めない人がいても、今、ここに父さんが生きている。
それだけはぼくの真実だった。