奇蹟をひとつくれたから
ぼくの父さんはアンドロイドだ。
推定されていたボディ寿命はもう過ぎて、あとは静かにゆるやかに終わりへ向かっていた。
アタッチメントで悪あがきして、少しでも別れの日を遠ざけようとしていた。
だけど母さんの友人、Mx.スミスが奇蹟をひとつくれたんだ。
「R.ギャラント・マリオットはフルオーダーアンドロイドとして製造された、単一かつ不可逆的な技術遺産であります。二十二年間、人間社会の構成員として活躍してきました。工学史においても、社会史においても、希少なアンドロイドであります。古文書修復、歴史的建造物の保存の如く、R.ギャラント・マリオットの手術は未来の技術者や人間社会への財産となるでしょう」
Mx.スミスはNASAを説得して、父さんの手術に漕ぎつけてくれた。
ぼくのやるべきことは何もない。
………と思いきや、結構あった。
ぼくの弁護士やNASAの法務、ARTの科学者が立ち会って、さまざまな誓約書にサインをしていく。
法律上、父さんは動産。ぼくの財産だから。
「R.ギャラント・マリオットの老朽化した回路を取り除くのは、設計上の困難が予想されます。暗視センサーなどデバイスで補助できる機能を、優先的に切り捨てさせていただくことになるでしょう。そしてシステムも再編成が必要になります」
ひとつひとつ丁寧に説明されていく。
これだけ煩雑な書類に囲まれて、ひたすらサインをしていくのは母さんが死んだとき以来か。あの時は悲しくて苦しくて、綴っているうちに、自分の名前さえ文字なのか模様なのか分からなくなっていた。
だけど今は、違う。
父さんの未来のための署名だ。
ぼくは祈りを込めて、はっきりと名前を綴っていった。
父さんはNASAのメンテナンスルームで、横たわっていた。さまざまな機械につなげられて、状態を測定されている。
精密な内部回路を確認して洗浄、あるいは交換、そして構造の統合調整。
そのために父さんはNASAで何度もスキャンを繰り返されて、体内の状態を検査されていく。そのデータを元に、手術の計画が組まれるんだ。
つまり検査入院。
「父さん。体調はどう?」
「悪化しようがない。空調も整備も何もかも非の打ち所がない。だたお前が何かあった時に駆けつけられない状況なのが苦しいな」
「骨休めしてよ」
他愛もない会話を繰り返す。
父さんが喋り、瞬きして、身じろぎするたび、測定している機械たちが微かに明滅する。
数珠が巻かれた手を握る。赤いデトロイト瑪瑙が、機械の明滅を映して艶めいた。
「うまくいくといいね」
「うまくいくさ。NASAの威信をかけた公開手術だ。NASAが科学技術の最先端を走っていると、世界に知らしめるためのデモンストレーションである。俺の手術が成功すれば、軌道上衛星サービスと同じく、ISS参加国家の宇宙滞在ロボットの修復代行を務めるだろう。だから技術的にも、警備的にも万全を期している」
「………ああ、うん。そうだね」
ぼくの不安はふたつ。
まずは手術の首尾だ。
世界最高峰の技術者と潤沢な予算、そして万全に準備するための時間。すべてが揃っている。それでもフルオーダーアンドロイド手術は困難だろう。
そしてもうひとつ。
反アンドロイド主義によるテロ。
もうアンドロイド修復計画は世間に発表している。
手術を狙ってテロが起きないか、ぼくの不安はそれだった。
わたくしは大学に入学してから、起業した。企業や個人のウェブサイトを、視聴障害モードへの変換サービスする会社を立ち上げたの。
在学中に軌道に乗って収益を誇れるようになった。
何の業績もなくパートリッジ社に入社しても、ただの総帥の孫娘。社内派閥で食い物にされるだけ。
わたくしはわたくし自身の人脈と成果を得なければいけない。
卒業後、育てた会社はパートリッジ社に売却、それを手土産に入社した。
わたくしの盲動鳥、R.パラスケバスが囀った。心地よい音色で。
「ニュース、ニュースだヨ、エレノアちゃん。NASAがアンドロイド公開手術するって。ライブ手術カンファランスだよ。手術の責任者はね、Mx.スミス」
「NASAのMx.スミス……!」
マイクロ・ソルダリングの頂点技術者。
人間も機械も至れない精緻の領域、そこに辿り着いた熟練の技師だわ。
ずいぶん昔、パートリッジ社がヘッドハンティングしようとして、NASAと待遇釣り上げ合戦になったことがあったわね。引き抜かれては困るNASAと、高い技術を求めたパートリッジ社。
水面下で札束を積み上げ続け、結局、Mx.スミスは古巣を離れなかった。
「手術するアンドロイドは、R.ギャラント・マリオット」
そちらも知っている。
量子AIの天才、Dr.マリオン・マリオットがパートナーとして連れまわしていた男性型アンドロイド。たしかフルオーダーアンドロイドだったはず。
なかなかのネームバリューね。
一般への吸引力は低くても、専門家にとって話題性は十分過ぎるほどだわ。
「ボクのトモダチのおとうさんだね」
「……ともだち?」
「パピア・マリオットくんサ! R.サンダースの飛んでる空港で会って、エレノアちゃんが海洋科学館オートマタ・オーシャンへ行ったヨ。楽しかったネ! ペンギンどもうじゃうじゃイタ!」
一拍後、少女時代の記憶がよみがえる。
ほとんど視力の利かないわたくしにとって、そこはただひたらす青い揺らぎの世界だったわ。
淡い青と目映い蒼、深い紺、そこに時折混ざるきらめく白………
水の波紋を伝うようにアンドロイド・ホエールが鳴いていた。
「美しかったわ……そう、おじいさまにおねだりする気分になって」
デトロイトにある海洋科学館に行きたいとねだられて、多忙なおじいさまはちょっと困りながらも、喜んでくださった。あれは最後の家族旅行。それから間もなく、おじいさまは具合を悪くされたもの。
もう戻れないはずの過去が、あまりにも鮮やかに蘇る。
刹那、手が届くかと錯覚するほどに。
………家族。
パピア・マリオット。たしか金髪の男の子だった。
弱視の網膜に映るほど、目映い金をきらきら振り撒いていたわ。
あの男の子の家族が、手術をするのね。Dr.マリオットが反アンドロイド組織のテロによって亡くなり、今はもうアンドロイドだけが身内なのかしら。
わたくしはそっとR.パラスケバスの背中を撫でた。大切な友人であり、かけがえのない家族だわ。
「NASAのセキュリティに疑いはないけど、広範囲警備についてパートリッジ社が協力したいものだわ。セキュリティ部門担当に賛成してもらえなければ、わたくしが個人で参加するわ」
パートリッジ社が提携できなければ、わたくしが赴く。
わたくし自身には高セキュリティが掛かっている。
弾道弾か核兵器でも使われない限り、わたくしが存在する、ただそれだけで反アンドロイドテロは防止できるはず。
「エレノアちゃん。パピア・マリオットくんに会うの?」
「いいえ」
即座に否定する。
「でもあなたの友達だもの。少しくらいの応援はさせてね、R.パラスケバス」
「エレノアちゃん、大好き! ピピッ!」
ヒューストンの空は底抜けに青かった。
雲一つない天気を、ぼくは祈るように眺めていた。
何に祈っているんだろう。
仏さまに祈ったら、絆は尊いが我執はよくないって言われて、絆だけ残して父さんが消えそうな感じがする。
神さまに祈っても、アンドロイドに奇蹟を恵んでくれそうにない。
それでも何かに祈らずにいられない。
ただ父さんの無事を祈る。どれだけ祈っても祈り足りない。
「母さん……」
もし母さんの時みたいに、爆弾を積んだヘリコプターが落とされたらどうするんだ。その時のテロリスト集団は逮捕されたけど、似たような組織はいくらでもある。
涙を拭って、空を見上げる。
底抜けの青さを切るように、猛禽が旋回していた。
白い頭に、金のくちばし、そして褐色の翼。凛々しく巨大な猛禽だ。
あれは、まさか………
「アンドロイド・ボールドイーグル!」
信じられない。
どうしてヒューストンの空を飛んでいる?
対テロのために配備される最強の見守りバード、アンドロイド・ボールドイーグル。アメリカ合衆国軍に属して、すべてのアンドロイド・ソングバードからデータを採取できる。
ホワイトハウスと大領領のためにしか翼を広げないはず。
呆然と眺めていると、Mx.スミスがやってきた。
「パピ……」
「Mx.スミス! アンドロイド・ボールドイーグルが飛んでましたよ。大統領が来てるんですか?」
「あ、あれか。パートリッジ社が貸してくれたよ」
「貸し、て?」
問いかけがたどたどしくなってまう。
最強の見守りバードを、貸してくれるってどういうこと?
「R.ギャラント・マリオットの手術には、アンドロイド学界だけじゃなくていろんな分野の研究者も来てるし、パートリッジ社も視察している。何事もないように、航空警備網を敷いてくれたんだよ。アンドロイド・ボールドイーグルの運営実験という名目でね」
合衆国最強の見守りバードが、ここを守ってくれるのか。
けしてテロを許さない、力強い翼が空を統べる。奇蹟そのものが羽ばたいているみたいだ。
ああ、ぼくの祈りはどこかに通じたんだろうか。
天国でも、浄土でもない、どこかへ。




