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海のとなり




 ぼくはアパートの一室で、ため息をつく。

 大学生になって、独り暮らしに挑戦してみたものの………

「家事が気晴らしってタイプじゃないと、やってらんないよな」

 ゴミを集めゴミ捨て場へ、たまった洗濯物は共有ランドリーに持って行き、その間に自室に掃除機をかける。

 部屋そのものは広くはない。寝室にはベッドとデスクが詰め込まれて、サーフボードで満員だ。料理する気も起きないコンロひとつの小さいキッチン。あとシャワーとトイレ。

 アパートじゃなくて寮に住めば、雑用はやらなくてよかった。

 だけどアパートを選んだのは、近くに海があるからだった。週末にサーフィンするのに最高の浜辺が、窓から眺められる。イルカやクジラと繋がっている。

 そんな理由だけど、譲れない理由だった。

「そろそろ春服を取りに行くか」

 ぼくは窓辺のイルカ目覚ましと、ベッドにいるシロナガスクジラに話しかけた。

 



 アパートは狭いから、私物は置ききれない。季節ごとの服を取りに、そしていらないけど捨てられないものを押し付けに実家に帰る。

 飛行機含めて二時間の帰路だ。

「ただいま、父さん」

「パピア、お帰り」

 広げられた両腕に、ぼくはぎゅっと包まれた。バイタルチェック完了。

 父さんは変わらない。

 最近は移動に電動椅子を使っているし、排熱が衰えて体温は高めだけど、蒼い眼差しは色褪せない。母さんの好きなエーゲ海の蒼さ。

「春服を取りにきたんだろう。用意しておいた」

「相変わらず何でも見透かしてくるね」

 ソファの上に長袖のTシャツがある。

「あれ、このTシャツ……ぼくがむかしお気に入りだったイルカだ」  

 海洋科学館オートマタ・オーシャンで買ったんだ。オリジナルのシャツで、アンドロイド・ドルフィンのかっこいいイラストがついている。

「お前とお揃いで買った。父さんは三回しか着ていない」

「物持ちが良いね」

「思い出のよすがだからな」

 家族の思い出。

 ぼくが独り立ちしたのは、ぼくが独りでも十分に生きていける人間だって、父さんを安心させるためだ。いつまでも父親にべったりなんて、ちょっと恥ずかしいし。

 だけど、父さんはアンドロイド。

 存在意義は母さんの夫であること、ぼくの父親であること。

 そのふたつが無くなって、父さんは気落ちしてないだろうか。

「……父さんは時間もできたし、何か趣味とか出来た?」 

「写経している」

「写経?」

「正信偈が終わって、今は阿弥陀経を写経している。墨を擦って、筆でな」

「へ、へえ」

 充実しているのか、虚無なのか。あるいはそんな区別、仏様の前では何の意味もないのか。

「パピア。ところで食事はしていくだろう」

「うん。父さんの身体の調子が良ければ、手料理が食べたいな」

「お前に料理が作れなくなるほど、老朽化していない。ちくわとカニカマだけでは心配だ」

「えっ………誰から聞いたの?」 

 ちくわとカニカマ。

 日本の魚料理のひとつだ。冷蔵庫に入れて、封切るだけで食べられる。しかも片手で。お手軽で美味しい。

 あまりに便利で、最近の一人で食事や夜食はそればかりだった。

 父さんは少し笑う。

「カマをかけただけだ」

「なっ……ええっ?」

「お前の行動範囲と嗜好と思考からすれば、ちくわとカニカマが選択肢になる。正直、暖かい料理も食べてほしいが、アルコールは摂取していないようだから口うるさくは言わない」

 バイタルチェックで血液状態も読まれている。

 飲むとサーフィンできないから、基本的に飲まない。付き合いでバドワイザーくらい嗜むけどさ。

「作れるメニューはサーモンチャウダーだが、構わないか」

「大好きだよ」

 久しぶりの手料理だ。

 父さんしかいない家に、食材は必要ない。そろそろぼくが来るから、材料を揃えて待ち構えていたのかな。

 ぼくは食器を出していく。シチューのお皿が手前に来ていた。それに食糧棚に、真空ドーナツや真空ベーグルが置かれている。秘密基地にあるはずの非常食だ。

「お客さんでも来たの?」

「先週、Mx.スミスが出張に来て、うちに泊まった」 

「そうだったね」

 メッセで聞いたっけ。

 Mx.スミスは母さんの友人だ。

 ぼくたち家族にすごく親切にしてくれる。

 ものすごく有能なロボット技師らしい。子供の頃は知らなかったし、説明されても分からなかっただろうけど、マイクロ・ソルダリング技術と分析は、世界最高峰って聞いた。

 宇宙船とアンドロイド、そのふたつには共通点がある。

 どちらも限られた空間内で、複雑な回路を搭載しなければいけない。宇宙では僅かな質量が慣性に大きく影響し、アンドロイドは人体の輪郭に人体以上の能力を組み込む必要がある。

 そこで要するのが、マイクロ・ソルダリング技術。

 はんだ付けだ。

 ごく一般的なアンドロイドや宇宙船なら、システム化されたロボットがはんだ付けを行っている。でも最高峰ともなれば、いまだに人間の熟練工だけが作る。

 世界でも僅か数名の技術者。

 それがMx.スミスだ。

「父さんに公開手術の話を持ってきてくれた」 

「うん? ………え?」

 公開手術?

「父さんはフルオーダーアンドロイドだ。治癒は難しいだろう?」

「うん。それは、知ってる」

 特注だからこそ保守は困難だ。電動椅子や冷却ジャケットというアタッチメントで、ごまかしている。根本的な改善ができない。

「NASAがMx.スミスの技術や対応を広めたいらしく、アンドロイド公開手術を計画している。本当だったらNASAのアンドロイドが対象だろうが、二十二年も前に製造された他組織のフルオーダーアンドロイドという困難な存在を癒したいとMx.スミスが提言した」

「父さんを、手術」

「そう。NASAの最新技術と予算で、俺を回復させたいと言ってくれた」

「ほんとに!」

 信じられない。

 呑み込めない幸運にびっくりして、心臓がどきどきしている。破裂しそうだ。

 今までずっと不具合を誤魔化し続けていた。

 でも回復するんだ。 

 父さんが、治る。

「パピア。フルオーダーアンドロイドは回路が特異だ。失敗の可能性もある。Mx.スミスはそう懸念していた」

「でもこのままだったら、悪化する一方なんだよね」

 蓋をしていた事実を、口から吐き出す。

「ああ。そうだな。悪化するだけだ」

 淡々と呟く。

 何もかもすっかり受け入れている口調だった。

「辛くないの?」

「下肢駆動の鈍化も、排熱の劣化も、ささいなことだ。どれだけ老朽しようが俺が俺である根幹……お前の父という根幹を揺るがすものでないだろう。俺のボディが朽ちたとて、お前の父である事実は絶対だ」

 アンドロイドの純粋さは、たまに人間を打ちのめす。

 父さんの真っすぐな眼差しに耐え切れない。

 ぼくは項垂れ、父さんに縋りついた。

「父さんはどうしたいの?」

「お前の幸福だけが、俺の願いだ。だから手術を受けたい」

 優しい蒼さの焦点は、いつだってぼくだ。

 ぼくのために手術を受けたいと望んでいる。

 今のままゆるりと悪化していけば、ぼくにとって精神的にも経済的に負担だ。だから父さんは完治か、あるいは廃棄を望んでいる。アンドロイドとしてごく普通の思考だ。

「成功するよ、きっと」

「だといいな」 

 ぼくは父さんを抱き締める。

 バイタルチェックできないぼくだけど、ぎゅっとぎゅっと祈るように抱きしめた。


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