手のひらの湖
ぼくの入りたい大学は、テストスコア免除でテストはまったく考慮されない。それより高校の成績すべてと、提出エッセイ、ボランティアやグループ活動が重要だ。
重要視されているボランティア活動は、スイミングスクールの環境保護運動でクリアできている。
ただ学校の成績が、うっすら低い。
父さんに家庭教師してもらって、苦手科目を克服していく。地道な作業だ。
「もっとたくさん勉強していればよかった」
「後ろ向きな発言だな」
父さんは微苦笑しながら、カフェオレを入れてくれる。
「パピア。もし過去に戻れるなら、どの時間を削る? お前が繰り返し視聴していた『アンドロイド・ジャーニー』は海洋工学や環境の理解を深めてくれていたし、水泳を続けていたからこそ体力がある。それとも削りたいのは、友達や父さんと他愛もなく遊ぶ時間か?」
「削れないよ、そんなの」
「ああ、お前の人生に無駄は無かったよ。だから、これからもっと勉強しようと言った方がいいな」
笑顔も口調は優しいんだけど、手厳しい。
たしかにまだまだ勉強できる環境なのに、勉強してこればよかったって後ろ向きかも。
カフェオレを飲み、ぼくは勉強に取り掛かった。
日曜日、朝一番で友達のキャンピングカーに乗せてもらい、ミシガン湖に向かう。
レイクサーフィンだ。
ほんとは苦手科目を克服しないと駄目だし、エッセイの表現力を上げるために読書を増やしたい。やらなくちゃいけない事は膨大にあるんだけど、息抜きは肝心だ。
真っ白い波と、真っ青の水面がボーダーになっている。
波は真っ黒い岩に叩きつけられて、空を覆うほどの飛沫になって散っていった。
「良い感じの波具合だね」
真っ先に波に乗ったのは、ドーベルマンのアイゼンだ。赤いライフジャケットと赤いサーフボードで、軽快に波乗りしていく。
「うちのアイゼンはかっこいいだろ」
「さすがドックサーフィン第3位」
「おう」
飼い主のダコタは誇らしげだった。
ぼくも水に揉まれながら、波に乗っていく。
ボードに立てば、足元には力強い波、周りには風、あとはもう空だけになった。
あー、久しぶりに全力で波に乗ったな。
「じゃぼくはまた勉強に戻るよ」
「おう、気張れ気張れ」
頷いてくれたのは、ダコタとアイゼン。
不服そうな顔をしたのは、リアムだった。
「えー、もう? パピアくんは成績悪くないんだから、がむしゃらやんなくてもいいじゃん。入りやすい二年大学から三次目指せば?」
「ありがと。でも今やれるだけやって挑戦したいから」
チャンスはある。無理して勉強に青春を費やさなくていい。
でも、やっぱり早く父さんを整備できるようになりたいんだ。アンドロイド冷媒交換の資格、あれは大学で工学を学ばないと取れない資格だから。
レンタルボードを抱えて、サーフイン専門店に戻る。
サーフボードとかウェットスーツの販売店だけど、初心者向けにいろいろなボードを貸してくれる。レンタルボードを返す手続きをしていると、店員が雑貨ゾーンに新しい商品をディスプレイしていた。
海の蒼さや碧が結晶化したみたいな宝石だ。ところどころクリアなラインが入っている。
「COOLだね」
「これはサーファイトって宝石なんですよ。いかがですか?」
サーファイト。
大きな雫形を手に取ったみる。すごく軽い。
この軽さといい感触といい、懐かしい。
「デトロイト瑪瑙……」
「そうそう、それと同じです。自動車じゃなくてサーフボードの塗料のかたまり」
母さんの好きだったデトロイト瑪瑙と似ているんだ。
でも重厚感のあるデトロイト瑪瑙と違って、サーファイトは透明感がある。それにラメも入っていて、角度を変えるときらきらする。
手のひらに乗る湖みたいだ。
ぼくはデトロイト瑪瑙より、こっちの方が好きかも。
ずっと眺めていると、手元に影が落ちた。
視線を動かせば、父さんがいた。迎えに来てくれるの早いな。
「パピア、俺が買おうか?」
「えっ、高いよ」
思わず遠慮してしまう。
買えないわけじゃないけど、衝動買いの値段にしては高い。
「いい。買わせてくれ」
お言葉に甘えて、蒼とクリアのサーファイトを買ってもらった。
自動車が発進して、自宅への道路を進む。
「今日は奮発してくれたけど、珍しいね」
「お守りだと思えば安いものだ。無理に諦めると、心残りが強くて集中力を欠く」
父さんは運転しながら、嘯く。
ぼく、そんなに欲しそうな顔をしていたかな。
「お前と母さんは別個体だ。だが、そっくりだったな」
「母さんに?」
「気に入ったデトロイト瑪瑙を目にしたとき、マリオンはあんな表情をしていたから」
母さんの名前を、静かに発する。
ぼくが母さんに似て、嬉しいのかな。
子供の頃は父さんに似たかった。似ている子が羨ましかった。けど、今は、母さんそっくりでよかったと思う。
………正直、外見や表情より、頭脳を受け継ぎたかったけどさ。
父さんの運転に揺らされて、ぼくは眠くなってきた。久しぶりのレイクサーフインは、思ったより体力を使ったみたいだ。それとも勉強の疲れが一気に噴き出したのかな。
ぼくは目を閉じて、さざ波めいた揺れに身を任せた。




