鳥たちはいつでもそこにいてくれた
ダミー・スワンの鎮座する玄関のチャイムを押す。
「招待ありがとう、リアム」
「いらっしゃい、わ、手土産、バターケーキとコーラケーキ、両方?」
父さんの作った金のバターケーキと黒のコーラケーキに、リアムの瞳が輝く。どっちもリアムの大好物だ。
「やった。入って入って!」
14歳にもなれば、友達の家のちょっとしたパーティーに独りで参加できるし、ホストの家に親が不在の時もある。
招かれた持ち寄りパーティーには、イアンくんもいた。リアムの学校の友達を紹介されたのは嬉しい。
だけど、ぼくは早めに帰宅した。
父さんが迎えに来てくれた。自動車の助手席に乗り込む。
「早かったな。騒々しい音楽だったのか?」
「ううん。BGMはゆったりとしたピアノジャズだったよ。騒がしかったけど、そこまで騒音じゃなかった」
ぼくは助手席に身体をうずめて答えた。
窓の外はすっかり更けていて、流れる風景にはライトが煌めいている。
「リアムの家さ、見守りバードじゃなくてダミー・スワンだけなんだ。セキュリティ犬とかも。しかもMx.ウィルソンも出張中なんだ」
「ああ」
父さんは相槌を打つ。
リアムの父親のMx.ウィルソンとはシングルファーザー同士で仲がいいから、出張の話は聞いていたかもしれない。
「怖いなって……」
この言い方は大袈裟だっただろうか。でも本音だ。
「見守りバードがいないんだよ」
街中にはいつも見守りバードのR.ロビンがいる。
他の家庭もぞれぞれにいる。ケルシーの家の庭にはR.ジークフリート。エデンのうちにはR.キグナス。コールドウェルの家だと、たしか家庭教師兼任のR.ミネルヴァ。
うちはいないけど、父さんがホームセキュリティも担っているから問題ない。
だけどリアムの家には模倣の白鳥、それだけだ。
リアムの家の近くの街灯にも大通りにも、見守ってくれる公平な知性がいないんだ。
「ダミー・スワンだけだとさ、持ち寄ったお菓子にドラッグが入っていたり、誰かが拳銃を持ち込んでも分かんないんだなって思ったら、なんかぞっとしちゃって………」
話しているうちに、自宅近くまできた。馴染みの公園を通る。
木々の合間には、ソングバード型のR.ロビンたちが澄み渡った声でさえずっていた。
その響きに落ち着く。
安全のさえずりだから。
もしも見守りバードがいなかったら、誰が悪いか何が危険か、自分でずっと判断しなくちゃいけない。
それってひどく心が疲れる。
「見守りバードがいるから、のびのび過ごせるんだよね」
「それでも……いつか鳥のいないところまで行くことになる。独りで」
「分かってる。でも今日は疲れたんだ」
いつか鳥たちのさえずらない、未踏の空白へ進まななくちゃいけない。
自分の心のコンパスだけを手掛かりに。
大人になるって、とんでもなく大変だな。
澄んださえずりに耳を傾け、ぼくは目を閉じた。
澄んださえずりに耳を傾け、わたくしは目を開いた。
色彩の洪水。
輪郭のない世界で、わたくしは生きている。
盲導鳥のR.パラスケバスと、盲導犬のR.レイノルド、このふたりが傍に控えていてくれるから、つかみどころのない世界でもわたくしは自由に進んでいける。
世界では、きらきらと輝く金と銀、数えきれないほどの白いドレスと黒いスーツが踊っている。
弱視の眼でさえ美しい光景だけど、そろそろ飽きたわね。
16歳になってからここ一年ばかり、ニューヨークやボストンの社交界に挨拶し続けていた。輝きも、ワルツの音楽もお喋りも、シャンデリアの乱反射ささえ、慣れてしまえば色褪せる。
色褪せたものに興味はないのよ。
そう言って舞踏会など抜け出せればよいのだけど、わたくしが誰より優雅に振る舞えると周囲に知らしめる必要がある。仕方がないわ。
有力な家の将校とダンスをして、ソファで休む。
「ピギュ」
R.パラスケバスは短く低く鳴いた。
この子ときたらお喋りだけど、公式の場では黙っている。その代わり、わたくしだけに通じる鳴き声で周囲の状況を教えてくれるわ。
このさえずりは、わたくしのあまり好ましくない人物が近づいているという声ね。
白以外のドレスの女性。
デビューした令嬢ではなく、保護者役の貴婦人だわ。
「ごきげんよう、Mx.エレノア・パートリッジ。何か不自由がありましたら、遠慮なくおっしゃって」
穏やかなソプラノは、この舞踏会の主催者。
Mx.オルドリッチ。
「ご安心を、くつろいでおります。パートリッジ社の盲導鳥を備えて不自由があるなら、わたくし、開発部門に進言しに帰らなくてはいけないところでしたわ」
「あらあら、ふふふ。勤勉ねぇ」
掴みどころのない笑みが返される。
パートリッジ社のアンドロイドを侮るなと釘を刺したのだけど、どういう意図で取ったのかしら。
「その美しいアンドロイドは、あなたの役に立つのね」
「ええ、とても。道順から天気まですべてを」
地に在るものから、天に在るもの、ありとあらゆる情報をわたくしにさえずってくれる。
今日のコーディネートを選んだのも、出席者との話題に事欠かぬようニュースを提示してくれたのも、すべてR.パラスケバス。
「まあ、優秀ね」
「パートリッジ社はいつでも、たったひとりのための小鳥をご用意できますわ」
「便利でしょうね。きっと手放せなくなるほど、便利でしょうよ。でも、あたくしのような古い人間は、テクノロジーに判断の委ねすぎてしまうのは怖いわ」
怖い?
判断力や警戒心といった認知的負荷をアンドロイドに委ねてしまえば、雑念を棄てられて、政治や経済に集中できる。
わたくしは自由になりたい。
現在に囚われず、未来を視る。そのために現在のことはアンドロイドに委ねた方がいいわ。
「Mx.エレノア・パートリッジ、あたくし思うの、アンドロイドは人類の揺り篭だって。良くも悪くも。誰しもアンドロイドの揺り篭で眠らずにいられない。Mx.パートリッジのように、アンドロイドに囲まれても美意識や知性を鈍化させない方は稀よ」
理解できても共感は寄せられないわね。
霊長類は手足ともに母指対向性があるけど、ホモ・サピエンスは足の母指対向性は退化して樹上生活が出来なくなってしまっている。足の母指対向性を失って嘆く人間はいないわ。
足の母指対向性を失ってしまったけど、手の母指対向性は優れている。
そうなればいいのよ。
アンドロイドと共にいて鈍化する機能なら、人類の未来に必要なかった。退化すべきだった。そして別の機能が発達する。それだけのこと。そう、それだけのことじゃない。
テラスでは小雀がさえずっている。
アンドロイド・ソングバード。安全だと報せる子守歌。
「鳥は怪しいものを見つけてくれるけど、少し気詰まりね」
Mx.オルドリッチはひそやかに囁く。
防犯カメラの瞳を宿す鳥たち。
まさに庇護だわ。
わたくしにとって服に袖を通すのは当然。でもアンドロイド・ソングバードと共に生まれ育っていない方にとっては、初めて服を着せられた動物のように窮屈なのかしら。
庇護に窮屈さを感じるなんて、少し哀れね。
「いえ、少し違うわ。気詰まりというより、そうね、監視社会が情緒的に受け入れられてしまっている現代そのものが気詰まりなのかしら?」
溜息をひとつ落とす。
「……Mx.パートリッジ。その首飾りはあなたのおばあさまの形見だったわね」
「ええ」
ミリアム・ハスケル工房で1950年代に製作された、フランク・ヘスのデザイン。
模造バロックパールをローズモンテ・ビーズが包み込むネックレス。
本物ではなく、あえて模造宝石で美を追求した作品。
「あなたたちみたいね」
「アンドロイドではなく?」
「夫が……テクノ・ナーサリーの子供たちを、人工知能に育てられて、倫理や道徳が形成された世代を、ポスト・シンセティック世代だと言っていたわ」
人工以後のの世代。
ただ|人工的に造られた天然宝石を連想してしまう。
美しい響きね。
人工と美は、相反さない。そして人造と真実もまた相反さない。アンドロイドに養育されるのは、人類が真実に至るための別ルートなのよ。
「詩情豊かな呼び方ですわ」
わたくしは無意識に、ネックレスに触れる。
おばあさまの形見のアンティーク・コスチューム・ジュエリーは、わたくしを守るように寄り添ってくれていた。




