谷底のダミー
R.ロビンのさえずりが交わされて、緑の影が重なる、ル・デトロワ総合文化館。
玄関前の大噴水では白鳥が泳いでいた。
アンドロイド・スワンはセキュリティや初期消火をしてくれる見守りバードで、総合文化館にはR.ヘレナ、R.カストルの双子が巡回している。
でもどちらとも違う。
「新しいアンドロイド・スワンが入ったの?」
どんなアンドロイドだろう。
挨拶しようと駆け寄ったけど、黒い眼と視線が合えば、反射的に足が止まる。
わくわくしていた鼓動に、氷水をかけられたみたいに。
「……? アンドロイドじゃない?」
姿かたちはアンドロイド・スワンそのものだ。カメラを含んだ瞳も、伸びやかな首も、きれいで大きな翼も。
だけど挙措が違う。
目の動きが、知性制御されていない。ただのセンサー反応っぽい。
「こんにちは、R.レダ。このスワンはアンドロイドじゃないの?」
「ごきげんよう、パピアくん」
ぼくの問いかけに対して、大噴水から女神が屹立した。
館長のR.レダ。
ボディを持たないアンドロイドである彼女は、今期はミュシャの姿を模したヴィジュアルになっていた。髪には花が溢れんばかりに盛られていて、青ざめた碧色のドレスと、古代と近未来が融合したようなアクセサリーを纏っている。
「この白鳥はあたくしの子じゃないの。ダミー・スワン、パートリッジ社の新製品よ」
「ダミー? ダミー防犯カメラみたいな」
「ええ。ダミー・スワンといっても、防犯カメラとサーマルカメラはついているのよ。異常があればパートリッジ・セキュリティに自動通報するわ。スワン型カメラといった方が的確かしらね」
アンドロイド・スワンは白鳥を模している。
ダミー・スワンは、アンドロイド・スワンを模している。
「パートリッジ社も他社からの廉価なセキュリティ・アンドロイドに対抗する必要はあるけど、やっぱり性能は落とせないでしょう。だからアンドロイドではなく、新しい商品を開発したのよ。それがダミー・スワン」
「……見た目はそっくりだね」
「パートリッジ社製ですもの。防水も完璧だから、ミニ噴水の電源に繋げておけば優美よ」
R.レダは誇らしげに語る。
彫像でもなく、アンドロイドでもない。
機能と審美を一致させた美しい防犯カメラ。
白鳥と目が合う。
カメラの瞳を宿す白鳥に見つめられ、ぼくは見えない坂道を下っている気分に陥った。
家のリビングで、シロナガスクジラを抱きしめる。
ぬいぐるみを抱っこして落ち着くなんて子供っぽい。
「父さん。ダミー・スワンは見た目のきれいさは同じなんだよ。でも……ぐにゃって気分になった」
この気持ちを言語化できない。
だからずっともやもやしている。
「そうか」
「そうかじゃなくてさ、父さんは分析できてるんでしょ。ぼくの心理くらい答えてよ」
ぼくの父さんは超高性能アンドロイド。
ナーサリープログラムを搭載して、ぼくが生まれる前から世話をしている。ぼくよりぼくのことをお見通しのはずなのに。
「年頃の子の心理状態を分析するのは控えている」
「なんで!」
「強い反発をされて、精神状態そのものを否定される」
「しない!」
強めに叫んでしまった。
恥ずかしい。父さんは大好きなのに最近、ちょっと情緒が反抗的でイヤ。
もしかしてあのダミー・スワンにもやもやするのも、反抗期的な生理現象かもしれない。
父さんは三秒ほど熟考してから、口を開いた。
「パピア、お前はぬいぐるみもアンドロイドも好きだろう」
「そうだけど……」
「これは父さんの憶測だが……不気味の谷が生じているのではないか?」
不気味の谷。
アンドロイドが人間から遠いと愛らしく、近いと不気味で、等しいと愛しくなる。
中途半端に近い造形や挙措では、人間は受け入れられない。そういう状態を示す言葉だ。
「それ、統計的に胡散臭い疑似科学じゃないの?」
「統計としては怪しいが、心理状態を説明するのに通じやすい。ぬいぐるみとアンドロイドをひとつの流れでみれば、ダミースワンは情緒性の空白がある。パピアにとっての不気味の谷に棲んでいるモノかもしれない」
「ふーん……」
ぬいぐるみとアンドロイドの流れに横たわる不気味の谷……か。
ぼくはそこに転がり落ちてしまったんだろうか。
そんな寂しさを覚えながら、シロナガスクジラをぎゅっと抱きしめて、ソファに寝っ転がった。
赤煉瓦の中庭で、ランチを取る。
ぼくはお弁当、エデンは給食。いつも通りの風景だ。
「パピアくん。話題になってるダミースワンさ、ブリギッテママが買ってきた。またいつもの衝動買い。でもうちのR.キグナスの弟分だと思えばいっか」
「ダミー・スワンってさ……彫像でもアンドロイドでもないし、違和感あってぞわぞわしない?」
「ぞわぞわ? 動かないアンドロイド・スワンだなって思うけど、そういう感覚はないなあ」
エデンは平気そうだった。
エデンだけじゃなくて友達のダコタも気にしていないし、コールドウェルなんてむしろアンドロイドより好ましそうだった。
ただケルシーは慣れないみたいだった。
幼馴染で、ぼくと同じくアンドロイドに育てられた女の子。
一緒に遊んだりはしないけど、感覚は似ているから、たまに雑談や相談を交わしていた。
「……不気味の谷、それかもしれないわね。不快さがずっと残ってる感じなのよ。ぬいぐるみは平気なくせに、ダミーに違和感を覚えるのは、谷のせいかもしれないわね」
ダミースワンの棲む谷底。その谷が恐ろしいのは、魂の気配があるからなのか、魂の欠落しているからなのか。
でもぼくが落ちた谷に他の誰かがいるのは、どういうわけかほっとした。
日に日に、ダミー・スワンは増えていった。
防犯カメラとしては、サーマル付きの高性能でお値打ちだ。
あちこちの店舗の前や民家の庭先で見かけるようになったけど、父さんの指摘が正しいのか、やっぱりどうしても慣れない。
慣れる日はくるのかな。
ぼくはル・デトロワ総合文化館の前で自転車を停める。
大噴水に浮かぶダミー・スワンに挨拶して、ぼくはアンドロイドたちが息づいている文化館に入った。




