レイクキャンプ
夜も更けて、帰ってこれた。
懐かしの我が家、シロナガスクジラが待つ家に。
「うわああ、懐かしい! ぼくのうちだ!」
Mx.スミスのアパルトマンに十二日滞在させてもらって、キャンピングカーに十二日同行させてもらった。
二十四日間も留守にしていたなんて。
なのにのんびりしている暇はない。
明日の朝には、スイミングスクールのレイクキャンプへ出立だ。
「慌ただしいな」
「ほんとは三日前に帰る予定だったからな」
父さんの言う通り、予定ではそのはずだった。
キャンピングカーは自由で奔放。
だけど自由の代償は、いつだって自分自身で支払わなくちゃいけない。たとえば自宅でゆっくりチョコレートチーズケーキが食べられないとか。
「なんでコードウェルいるの!」
ミシガン湖でのレイクキャンプ。
そこに見知った大柄のクラスメイトが混ざっていた。
一般のスイミングコース以外、夏季集中講座の生徒も入る。レイクキャンプに知らない子がいるのは普通だ。
でもコードウェルは祖父のいる日本に留学している。日本の学校が夏休み中は、京都か台湾あたりを旅行しているはずなのに。
「ひさしぶりです、イアン・モラレスです」
あっ、コードウェルの兄さんか。
そっくりな上に久しぶりだから、てっきりコードウェルかと勘違いしてしまった。
勘違い二度目は恥ずかしい。
「兄弟で日本に留学してたんじゃ……」
「……亜熱帯の気候についていけなくて」
「アトランタより暑いんだって、日本」
「ええ。体調を崩して、結局、弟の出産母さんにずっと看病されました」
コードウェルって兄弟で出産母が違うんだ。
たしかに年子を代理出産とか負担が高そうだし、出産母は別か。
「ミシガンは涼しくて生き返る。ほんとうに日本の暑さは死神だった」
深刻な顔つきだった。
イアン・モラレスくんの表情の底には、もう二度と亜熱帯地方に行かないという決意があるように思えた。
自然の波がうねるミシガン湖。
ぼくたちは立ち漕ぎボートをエンジョイする。
プールで基礎は習ったけど、ほんとの波はたまに不意打ちしてくる。風だって気ままだ。だけどその分、波の手ごたえを感じてわくわくする。
リアムと並んで、波間を漕いでいく。
「広いところをぐんぐん進むの、解放感がある」
「パピアくんの行った湖は、木がいっぱい生えてたね」
「ああ、カドー湖! すっごい神秘的でかっこよかったよ! あそこも立ち漕ぎボートで遊べたらよかったのに。やっぱりアリゲーターがいるから、だめかな」
「そもそもアリゲーターのいる湖でエンジョイできないよ」
リアムが小さく呟く。
ここはミシガン湖なのに、近くにアリゲーターが潜んでいるんじゃないかってくらい、声を潜めていた。
「アリゲーターで死んだひとはいないらしいよ」
「初めての事故者になりたくない。怖いじゃないか」
「見守りバードいるよ」
「いても怖いよ!」
突然、波底に黒い影がひとつ。
ざぶぁっと、飛沫が上がる。
「ウィルソンくん、マリオットくん。ナニかありましたか?」
R.ショーン。
アシカ型アンドロイドで、ライフセーバーの役割を果たしている。
ぺちんとヒレと手を合わせる。バイタルチェックだ。
「アリゲーターが来たら怖いねって話してたんだよ。ぼくがカドー湖に行ったから。テキサスの」
「ああ、カドー湖。風光明媚ですが、危険度の高い水域ですね。アンドロイド・ソングバードも警備レベルの高いペリカンが務めています。ワタシもカドー湖でライフセーバーはムリですね」
語りながら、リアムのバイタルチェックもする。
「R.ショーンがライフセーバーできないところあるんだね」
「アリゲーターがいますからね。ある程度の抑止力を持ってるアンドロイドが派遣されます。アンドロイド・ブラウン・ペリカンは、マリオットくんの学校のアンドロイド・フラミンゴと同程度の抑止力があるんですよ」
「強いんだね」
R.ショーンは頷いて、また水中巡回に戻る。
穏やかさが戻った湖面には、腰を抜かしているリアムが残されていた。
マリンスポーツは紫外線の弱い朝と夕方のみ。
強い昼日中は、バンガロー内。低学年は昼寝で、ある程度の子たちはボランティアやチャリティーの授業だ。
国連海洋科学史、海洋生物レッドリスト、海の骨粗鬆症と言われる海洋酸性化、海洋貧酸素化、そしてそれらに対する環境対策。
13歳にもなれば、地球や社会をよくするために、どんなボランティアやチャリティーを計画すればいいのか。どうすれば効率的かつ倫理的なのか、計画の立案から実行までを任される。
ボランティア公式活動点が高くて、入試でボーナス点がもらえるから一生懸命な子もいる。
どんな理由だって、クジラやホッキョクグマたちのためになればそれでいい。
ミーティングで話し合って、ボランティアは湖岸清掃になった。
アイディアを出しても、実行する手間と予算に阻まれ、毎年、最終的にゴミ拾いなんだ。
効果的かつ安価。
地道な作業が、結局は王道。
「チャリティーはゴミ拾い作業をムービーにして、動画で収益募金とかどうかな」
ぼくは力いっぱい発言した。
反応は芳しくない。
「動画はいいけど、顔だしはゼッタイヤダ」
「ぼくはクジラのぬいぐるみを持ってきてるんだ。その子にナレーションさせればいいよ」
やっぱり反応は芳しくない。
「マリオットくんに監督させるとまんまアンドロイド・ジャーニーになっちゃいそうだね」
それの何がダメなんだ。
疑問に思っていると、他の子が発言する。
「パペット形式ならいいかも」
「んじゃー、ゴミでパペット作る?」
ぼくたちが話し合っていると、ミーティングルームの隅っこで、リアムとイアンくんが親しそうに喋っている。
このレイクキャンプで、リアムとイアンくんが仲良くなっていたのが意外だった。リアムは内気な方だし、イアン・モラレスくんだって積極的な印象じゃなかったのに。
夕食後、消灯前の短いくつろぎタイム。
談話室からあてがわれた部屋に戻る中、聞きなれた声した。リアム……それからイアン・モラレスくんの声だ。廊下のベンチで何かおしゃべりしていた。
何を話しているんだろ。ぼくは誘ってくれないし。
「でもここのクラブのみんな、自分のことお金持ちだと思っていないんだよ。無自覚なんだ。だからそういうリアクションすると、「経済的虐待かな」みたいな憐れんだ空気になるから、「それは詳しくない」とか「経験する機会がなかった」って言い換えるとクラブや学校に馴染めるよ」
リアムが真剣なアドバイスをしていた。
「みんな、お金持ちの自覚がないんですか」
「ないよ。芝生付きの一軒家と自家用車数台とクルーザーとセキュリティ犬を抱えていても、平気で「少し足りないくらいがちょうどいい。平凡がいちばん」って言ってくるからね。そこで嚙みつくと馴染めないから、我慢」
「……でも腹が立ちませんか?」
「だってぼくらも、自宅に自動車と冷蔵庫あるからってお金持ちだと思えないよ。世の中に自動車が買えなくて、バスしか使えないひとたちがいるのを知っていたってね」
思ったより深刻そうな雰囲気だった。
ぼくはすっとその場を去った。
リアムとイアン・モラレスくんが仲良くなったのは良いことだけど、ちょっと寂しかった。でもたぶんあのふたりには、お互いに必要な友人なんだろう。
レイクキャンプの間、思いっきり立ち漕ぎボートをエンジョイする。
力いっぱい漕いでいくたびに、身体から何か悪いものが抜け落ちていく。
独りでいけるとこまで行き、ボートの上で寝転がる。
空も波も、蒼さは澄んでいた。




