表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/100

八月の禁酒日



 デバイスの通話に、エデンが映っていた。

 背景はヨーロピアンな室内って感じだ。

 エデンは今、パリのアパルトマンホテルにいる。母親のひとりがフランスに出張して、そこで借りているウィークリーマンション的なホテルだ。

「おはよ、エデン。音声つながってる?」

「音声ばっちりだよ。そっちはおはようなんだ」

 エデンは笑う。

 パリは今、下がりすぎた昼だろう。あるいは夕方の一歩手前。

「今日のルーブルツアーは、ヘレニズム期の大理石彫刻がメインでね。すっごいかっこ良かった! ギリシャ彫刻だとヘレニズムが好きかも」

 エデンは語ってくるけど、よく分からない。

 友達が楽しそうにしていると嬉しくなるから、うんうんと頷いておく。内容は頭に入ってない。

「こういう彫刻!」

 ぼくがいまひとつ理解していないと悟って、動画アドレスを送り付けてきた。

 ギリシャ神話って感じの彫刻だな。

「明日はナポレオン時代の戦利品がテーマのツアーなんだ」

「エデン。またルーブルなんだ」

 母親は日中お仕事だから、エデンは毎日ティーンエイジャー用のガイド付きツアーに参加していた。

 おんなじ美術館を独りで毎日なんて、絶対に飽きそう。

「パピアくんはルーブルどれだけ広いと思ってる? アメリカひとつぶんの美術品はあるよ」

 真顔で言いきってきた。

 それは言い過ぎな気がする。アメリカにだって美術品はあるよ。

「ツアーのあとはラクシュミママとディナーするけど、外国のコミックの話しても尖がらないのがいい」

「尖がる?」

「ガブリエルママはコミックより勉強しろって空気を醸してくるし、ブリギッテママは興味なさそうだもん。でもラクシュミママは外国の文芸に興味を持つ一歩って感じで、コミックの話まで楽しそうに聞いてくれるんだ。ラクシュミママも少女コミックが切っ掛けで、フランス留学したんだって」

「へー、良かったね」

「……不思議だよ。趣味っていうか、感性も似てる。食べ物の好き嫌いも。育てられたわけじゃないのにね」

 エデンは母親が三人いる。

 出産母と養育母、それから遺伝母。

 ラクシュミママとエデンは目元や髪がそっくりで、血を継いでいるのが一目で分かる。食べ物や読書の傾向も似ているんだ。

「パピアくんの今日はこれからだよね」

「カドー湖でカヌーする予定。湖面から木が生えまくっている湖。木々の隙間を縫ってカヌーするんだ!」

「マングローブみたいな?」

「それと似てる。カドー湖に生えているのは、沼杉ってまっすぐな木でね、南部の木だからデトロイトやカナダにはないよ」

「あとで動画見せて」

「うん」

 キャンピングカーのドアが開く。ダコタが犬の散歩から帰ってきたんだ。

「朝飯できてるぞ。おっ、エデン。ひさしぶり」

「二か月ぶり? ダコタくんも日焼けすごいね。痛くない?」

「UVカットスプレーしてるから平気。おれ、日に焼けやすいんだよ、じーちゃんといっしょ」

 快活に笑う。

 日の焼け方だけじゃなくて、その笑い方も祖父譲りだ。

 ダコタは目鼻立ちが似ているわけじゃないけど、雰囲気とか笑顔は祖父似だった。

「じゃ、エデン、またね」

 通話を切って外に行けば、そこはビックフット伝説の森。

 杉の群生が立ち並び、スパニッシュモスが絡み合って自然の天蓋を織っていた。キャンピングカーだから、停車のたびに大自然が一変する。

 そこに父さんが、紙皿を広げていた。

 エーゲ海みたいな瞳に、整った顔立ち。すらっとした長身。

 ああ、さっきエデンが語っていたヘレニズムの彫刻そっくりじゃないか。

 ぼくは父さんに何ひとつ似てない。

 だって父さんはアンドロイドだ。仕方ないけど、たまに苦しい。

「パピア、食べごろだよ」

 カーサイドタープの影では、グリルが熱くなり、缶詰がそのままかけられていた。

 ベーコンビッツを山盛り入れたコーン缶、ハーブを足した肉入りのチリ缶、つぶしにんにく入れたオイルサーディン缶、黒コショウのスモークオイスター缶。

 豪快に並ぶ缶詰たち。

 うちのローリングストックの缶詰だ。

 父さんが切り分けてくれたバケットに乗せて、ひとつひとつ味わう。久しぶりの海の幸にぼくの味覚がダンスしている。

「このスモークオイスター缶、家でより美味しい。あったかさがぎゅっとしてる」

「そうか。直火の影響だろうな」

 食事できない父さんが分析していく。

 思考は分析に費やされ、手はライムの皮を剥いていく。

 柑橘の青くて爽やかな香りが広がった。香りのシャワーだ。

 いい香りだけど、アイゼンは鼻をひくつかせてから、R.シュヴァルツの腹の下へと潜り込んだ。お気に召さない香りだったらしい。

「ライム? それ缶詰に絞るの?」

「甘さ控えめジュースを作っている」

 父さんが出してきたのは、ミントと氷をこれでもかというほど詰め込んだピッチャーだ。ライムの皮をふたつぶん、実をひとつぶん入れた。トニックウォーターをそそいで、ガムシロップを入れる。 

 ミントライムのさっぱりウォーターって感じ。

「これ、牡蠣に合う」

 香りは胸いっぱいになるけど、酸っぱくない。夏って感じ。

「父さん。これ、好き。どうして今まで作ってくれなかったの?」

「これは八月の禁酒日に、外で牡蠣を食べるときに飲むドリンクだからだ」

 イースターを諳んじる口ぶりで説明してくれる。

 禁酒日……それって、つまり。

「母さんが好きだったの?」

「ああ、お前も気に入ってくれたみたいだな」

 八月の禁酒日に、外で牡蠣を食べるときに飲むドリンク。

 母さんのルールか。

 こんな素敵な飲み物もっと早く飲みたかったけど、それが母さんの作ったルールだったら仕方ない。父さんが守ってきたならなおさらだ。ぼくは父さんの守ってきたルールを受け継ごう。

 ミントライムを飲み干す。

 グラスの底越しで眺める空は、エーゲ海みたいに瑞々しかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ