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踏破ホライズン


 真っ青の夏空。 

 真っ白い気球。

 気球は膨れながら長く伸びて、ぐんぐんとヒューストンの空へ登っていく。

 気球型宇宙船が目指すは、成層圏。

 取り付けられたカメラが、地上のディスプレイに映像を映してくれる。どこまでもどこまでも急上昇していく気球。



 今期のNASAの宇宙開発サマースクールの実習は、気球型宇宙船の打ち上げだった。

 カプセルに触れたり、仕組みや材料工学を学び、打ち上げ準備の流れを勉強した。

 最後に空へ昇る気球の勇姿は、まさに圧巻だった。

 



 今夜はMx.スミスも早く帰宅した。もちろん夜遅くだけど、普段よりは早い。

「今日は気球型宇宙船の打ち上げ実験したんだ」

 動画を見せる。

 ぼくらが打ち上げした気球型宇宙船からの映像で、映っているぼくたちはどんどん小さくなっていく。そして雲を越えて、ついに地球と宇宙の水平線が見下ろせる成層圏までたどり着いた。

「ぼくも乗ってみたいな」

「そうですね……少し待ってください」

 真剣な顔になるMx.スミス。

「いや、ちょっと希望を口に出しただけです。本気じゃないんで!」

 気球型宇宙船なんで、大金持ちの乗り物だ。

 成層圏へ行って帰ってくるだけで、何十万ドルもする。一般家庭の年収に匹敵する日帰り旅行を、真剣に考えないでほしい。

「何年かしたらもっと値段が下がるかもしれません。技術は進歩していますから。その時は乗りましょう」

 技術の進歩の最先端で歩いているMx.スミスは、穏やかな笑みでそう語ってくれた。

「昨日はスイングバイの立体映像学習もしたけど」

 スイングバイの単語が鼓膜に触れるや否や、Mx.スミスは瞳を輝かせた。

「最高ですよね、スイングバイ。理解は簡単ですが、あれも実践に使おうと思えば途端に困難になって。NASAでもスイングバイプロジェクトできる方は、魔術師と呼ばれてるんですよ」

「……」

 Mx.スミスは母さんの友人だった。

 量子AIの天才と謳われた母の友人なのだから、母に匹敵する頭脳を宿しているんだろう。 

 良質な頭脳の持ち主ならスイングバイの理解はたやすいだろうけど、生憎、ぼくにとっては簡単ではなかった。 

 



 NASAの宇宙開発サマースクールが終わった。

 碧と蒼の水平線。

 テキサスの海に、ぼくとダコタが揺蕩う。大きなビニールボートにはセキュリティ犬のR.シュヴァルツと、ライフジャケットを着こんだ天然ドーベルマンのアイゼン。あとはクーラーバックだ。

 ダコタは夏休みに、祖父の運転するキャンピングカーで愛犬たちと合衆国横断する。国定公園や国定史跡ナショナル・モニュメント巡りだ。

 ぼくがヒューストンに滞在している時は、合流して遊んでくれた。

「打ち上げは感動したけど、途中の座学がもうさっぱりでさ」

「運転は楽しいけど、エンジンの仕組みは難しいもんな」

 ダコタの例えに、ぼくは頷いた。 

 ついでにアイゼンも頷いている。

「ローティーンにも理解できるスイングバイの講座もあったけど、そろそろ頭が限界だよ。AR立体映像で説明してくれたから、たぶん学校で習うより理解しやすいんだと思うけど、計算式はどこまでいっても計算式だし」

「スイングバイな。結果はわかるけど、理屈はさっぱりなやつな」

「意味わかるけど理屈わからないシリーズの代表じゃないかな、スイングバイ。あとはシュレーディンガーの猫」

「その分からんの分かる」

「結局スイングバイって、惑星の重力に握ってもらって、公転って遠心力つけてもらって投げてもらうって理解でいいの?」

「おれは理数の成績お前以下だぞ」

「え……それはまずいよ、本当にまずい」

 潮風と波間に揺られながら、ぼくらは頭の悪い雑談を続ける。

 相手の知能が高すぎると疲れる。

 サマースクールの子たちも頭がいいんだ。

 学力の差とかは別にいいんだけど、講師の説明に反射的に面白がったり質問したり、思考の回転速度の差が歴然だった。

「南国で海水浴は楽しいけど、NASAのサマースクールはレベルが高くなってきて、ちょっとイヤかも」

 正直な気持ちを吐く。

 招いてくれるMx.スミスはありがたいけど、高度なんだよな。

「でもパピア。お前、アンドロイド冷媒の資格を目指したい言ってたよな」

「あー……そうだね」

 父さんを整備できるようになりたい。

 小さなころから、漠然と願っていた。

「ロボット工学系に進学したいんだろ。少なくともSTEM。だったら予習だと思って、だらっと聞き流しておけよ。何年か経って、記憶がよみがえるかもしれねーじゃん」

「聞き流し学習には、贅沢じゃない?」

 NASAのサマースクールはそれなりの値段がする。

「座学はイヤでも実習は好きだろ? 座学は睡眠学習にして、実習エンジョイすりゃ贅沢じゃねーよ」

「……いいのかな」

「いいんだよ」

 南国の波打ち際のように、ダコタは気楽に言い放ってくれた。

 R.シュヴァルツが低く唸る。

「やべっ、流されたな」

 彼岸流に巻き込まれたんだ。境界ブイも近い。

 ぼくがビニールボートに掴まり、ダコタがR.シュヴァルツの首輪にロープをつなげる。すいすいと犬かきして、海岸まで運んでくれた。頼もしいな。

「ありがとう、R.シュヴァルツ」 

 アンドロイド・ドーベルマンの頭をなでた。

 足がつく領域で泳ぐ。

 サマースクールは落ちこぼれかけているけど、友達や犬と過ごす南国の夏は手放したくなかった。

 



 

 バーベキュー可のPVパークでは、あちこちから肉の香りが漂う。

 夕食はダコタのグランパによる、ソーセージバーベキュー。

 カーサイドタープを張って、ソーセージを焼く。

 肉の焼ける香りが膨らんできた。調理の香りって、いつも心躍る。アイゼンもそわそわしている。

 限りなく薄く切ったパンでソーセージを包み、水にさらした玉ねぎを挟んでほおばる。

 父さんはアンドロイド用カクテルディフューザー、ビール缶バージョンを封切っていた。ダコタのグランパはノンアルコールビール。ホップの新緑に似た香りが、ソーセージの焼ける匂いに混ざる。脂がぱちぱち弾けて、香りがさらに増す。

「アイゼンは犬用ソーセージな。おすわり、おすわり、待て、よし」

 興奮して食べるアイゼン。

 ソーセージで満腹になれば、父さんがコロラド桃とバターを取り出す。バナナズフォスターならぬピーチフォスターだ。

 バターと砂糖でソテーされ、ブランデーでフランベされた桃に、好きなだけバニラアイスを盛って、木苺ソースをかければ完成だ。完璧って言ってもいい。

 ソーセージをあんなに食べたのに、桃とアイスはするするとおなかに入っていく。

 アイゼンもコロラド桃をひとかけらもらって、満足げだった。

 夕暮れが迫ってきた。

 アイゼンはいつの間にか寝ているし、バーベキューもお開きだ。

「R.マリオット。コロラド桃、Mx.スミスに持ってくかい?」

「よろしいのですか」

「買いこみすぎて食べごろを逃すのは、惜しいからな」

 ダコタのグランパはコロラド州で、段ボール二箱ばかり桃を買い込んだらしい。

「じゃまた明日な」

「うん!」

 父さんの運転するくるまで、Mx.スミスのアパートへと戻った。ふたりっきりの静かな夕暮れは、桃の香りが添えられる。

 ぼくは思っていたことに言葉にした。

「ね、父さん。ほんとはサマースクール、難しいんだ」

「そうか。来年は休んで、再来年にまた挑戦してみるか?」

「そういうの、いいの?」

「同じことを学んでいれば、行き詰りも生じる。母さんもそうだった。気分や視野の転換のため、ときには回り道だって必要だ」

 そうなのか。天才って言われていた母さんも、行き詰ったんだ。

「そもそもNASAのサマースクールは、理工学的に高レベルだ。難しいと感じて当然だろう」

「うん。でもテキサスの海水浴は好き。Mx.スミスとも会いたいし」

「ならヒューストンで別のサマースクールを探してみよう。海洋工学や歴史のサマースクールも開催されているからな」

「ダコタはカウボーイ体験で、乗馬したり投げ縄したって。来年はダコタといっしょでもいいかな」

「ああ、お前がそうしたいなら、観光牧場のサマースクールを調べておこう」

 父さんは優しく微笑んでくれた。

 全部許された気分になって、胸が軽くなる。

 母さんも回り道をしたんだ。

 ならぼくだってなおさら回り道したっていいだろう。険しい道で辿り着けないより、ぐるっと回った道で辿り着けた方がいいんだから。


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