美しい機械仕掛けを夢見ていた
わたくしに趣味という趣味はないのだけど、しいて楽しみを上げれば言語習得かしらね。文化背景によって単語が単純化されたり、あるいは複雑化するのは興味深いもの。
インド・ヨーロッパ語族の英語。それは母語だから、物心ついたころには覚えていたわ。
教養として習得したフランス語とスペイン語。エスペラント語。
それから他にシナ・チベット語族からは中国語。オーストロネシア語族よりマレー語。アフロ・アジア語族よりアラビア語。
「次はグアラニー語に挑戦してみようかしら」
半分ほど独り言だった呟きに、R.パラスケバスは羽ばたく。
「インディアンの言葉。マイナーな言語だネ!」
「ふふっ」
R.パラスケバスはわたくしの個人的な盲動鳥で、家族で、友人。だけどそのうちコンプライアンス研修を受けさせた方がいいかもしれないわね。
「ナンデそんなマイナー言語?」
「南北アメリカで話者は多いし、トゥピ語族に属しているでしょ」
「フゥン?」
首を傾げる。
「ほら、いつまでも英語が強いとは限らないでしょう。国際経済や政情を考えて、中国語とアラビア語は教師を付けてもらったじゃない」
フランス語とスペイン語は基本として、あと半世紀後を考えればもっと広く語学を学びたい。
「せっかく語族が違う言語を学べたのよ。五つの語族を習得して比較言語学を学べば、語学の対応能力が高くなりそうだもの。面白そうでしょう」
「翻訳アプリじゃダメ?」
「わたくしはそれを造る立場を総括するわ、あと十年以内が目標ね」
「フーン、エレノアちゃんは頑張り屋さんだネ。ところでサ、もうそろそろレダちゃん来るよ」
R.レダ。
パートリッジ社のヒューマンインタフェース。教育と芸術の人造女神。
ちりんと、わたくしのパーソナルコンピーターから、来訪のチャイムがなる。
「お招きいただきましてありがとうございます、Mx.パートリッジ」
「ご足労感謝するわ。あら、人工知能に語る言葉としては、コンプライアンスに違反しないかしら?」
「あなたはそれを決めるお立場でしょう」
「ごめんなさい、皮肉が行き過ぎたわね。あなたの気分を害しなかったかが問題よ」
「害しませんわ。美しい比喩ですもの。文学的な香りさえ感じますわ」
足があるというのは、ボディを持たない彼女にとって、ただの比喩。人間にとっての、羽根の休める程度の慣用句ね。
「あなたはセメナホールで経験を積んだナビゲーションAIだわ。おじいさまから許可を頂いて、会話ログを拝見したの。もちろん公開可能な範囲内で」
「この話の流れはお叱りかしら?」
「今はそうではないわ。今は問題ない。でも重役たちは気に留めていなさそうだから、わたくしが指摘したくなったの。聞いて下さる?」
「喜んで」
「拒否権はあるわ。わたくしはただの総帥の孫娘。あなたの上司ではないもの」
「あなたさまは総帥の孫娘というより、エレノア・パートリッジという未来のエポックメイカーですわ。未来を構想する者には道徳的発言権があってしかるべき。先に進むべきAIであるあたくしには、Mx.パートリッジの言葉に耳を傾けるべきかと」
あくまでも、たおやかで上品。
世間知らずの少女に対して、あまりにも分不相応な言葉。世辞だと理解していても、嬉しいわね。
「頻出の質問はいくつかあるけど、投じられた言語によって、会話の濃淡が違ってきているのよ」
「言語背景から推測した納得されやすさが、反映されているのでしょう」
「ええ。今の程度ならささやかで、効果的ね」
問題はさらなる学習をした先。
「あなたの学習が、言語圏による先入観となり、エスニックジョーク化するのではないかと危惧しているわ」
エスニックジョークは民族特徴を誇張したユーモア。
本人がどうしようもない生まれを誇張して笑いの種にするのは、搾取的で品の良い話ではない。
R.レダは対応する人間の母語から、その文化背景を読み取って配慮している。それは優しさだけど、行き過ぎてしまえば民族偏見になってしまう。
「倫理は随時、照合しています」
「そうね。どこ言語域の、どの立場の倫理面? その会話している言語圏の内側に在る倫理を守っていても、傍らで聞いている聴衆がどう思うかまで、判断しているの? それこそ多言語で」
滑らかだった彼女に口調に、コンマゼロ秒以下の逡巡が入った。
会話の相手に対するミクロレベルの配慮、聞こえてしまう相手に対するメゾレベルの配慮、そしてSNSで拡散された場合も炎上しないかマクロレベルの配慮、三層を統合してこそ倫理足りうるのよ。
「やや不首尾な面があったと言わざるを得ませんわね」
「あなたの学習速度が速すぎて、危惧しているのよ。杞憂かもしれないわ」
「Mx.パートリッジ。早熟なあなたがそうおっしゃられますか」
「わたくしの願いと比べたら、わたくしの才能なんて無きにも等しいわ」
謙遜でも卑下でもない。
ただの客観的事実。
「R.レダ。あなたにはいつか市長選くらいは出馬してもらいたいの。炎上は絶対に避けないと」
「心得ましたわ。経験が学習となるか偏見となるか、さらに深く分析して、対応にフィードバックします。州知事選に出馬できるくらいには」
きっとR.レダにとって、市長選は物の喩えだったのでしょう。
わたくしは比喩で告げたつもりはない。
いつか人工知能が統括する人工都市が誕生して、そこに見守りバードたちがさえずり、羽ばたくの。
そんな美しい機械仕掛けを夢見ていた。




