ことのは、さらさら
R.ロビンたちがさえずる午後。
総合文化館の手前には、とびきり大きな噴水がいつも空気を潤していた。
噴水に宿っているのは、総合文化館の館長R.レダ。ボディを持たない彼女は、いつも噴水に姿を投影していた。
水飛沫の届く縁には、知っている相手が座っている。
ケルシーだ。
R.レダとお喋りしていた。
フランス語で。
なんでフランス語で会話しているんだろう。
ぼんやりしているとR.レダが気付き、続いてケルシーもぼくに気付いた。愛想よく手を振ってくれる。
「ケルシー、いっつもフランス語で喋ってるの?」
「聞いてたの? R.レダやドードーたちとは、フランス語で話しているのよ。鈍らないように」
鈍る?
その意味を掴みかけていると、ケルシーが先に口を開いた。
「通っているアートスクールって全部、フランス語なのよ。教師も生徒もフランス語以外禁止。鈍らないようにグランマにもフランス語レッスンしてもらっているけど、色んなひとと喋った方が身につくじゃない」
意図は掴めた。
R.レダやドードー職員たちは、多言語対応だ。
しかも館長のR.レダは、20か国語対応。手話言語もASLやBSLから、ヨーロッパ系の手話もできる。読唇も可能。なんだったらモールス信号でも喋れるらしい。
モールス信号の機能が必要かどうかはさておいて、多言語対応は文化館の館長として相応しい。
だけど。
「そういう利用の仕方っていいの?」
フランス語はフランス語が母語の来館者のためで、フランス語レッスンのためじゃないと思う。
「なによ。R.レダには最初に許可取ったわよ。他の来館者がいない時、せいぜい五分くらいだし」
「R.レダがいいなら、いいんだけどさ」
館長が認めたなら、それでいい。
ケルシーの目的は美術展で、ドードー学芸員にフランス語で解説してもらっていた。ドードーは普通に応対しているし、迷惑じゃないんだろう。
ぼくはクジラの物理書籍のある棚を目指した。
フランス語、か。
次の学年からは、授業が増える。第二言語を選択しなくちゃいけない。
翻訳アプリはあるし、多言語対応AIに通訳してもらえばいいけど、教養として不可欠だ。
うちの学校はフランス語とスペイン語、どっちかだ。どちらでもいいなら、フランス語って感じ。カナダの国際キャンプでレッスンの時間があったから、スペイン語より馴染みある。
そういえばコールドウェルって日本語ペラペラなんだよな。おじいちゃんが日本人で、毎年、日本の国際学校に留学しているから。
外国語の勉強、か……
家に帰ると、父さんが銀食器磨きに精を出していた。
「お帰り、パピア」
「うーん……第二言語だけど、ぼくはどっち向いてると思う?」
「カナダでサマーキャンプしているから、フランス語がお勧めだな。聞き慣れているだろう。ただテキサス州に興味があるなら、スペイン語を選ぶのも悪くない」
唐突な質問にも、しっかり答えてくれる。
スペイン語よりフランス語の方が耳に触れる率は高い。フランス語で歌える歌もあるし、無難にフランス語。
だけど夏に行くテキサス州、ヒューストン。そこではスペイン語が三割くらい飛び交っている。スペイン語に挑戦するのも、価値がある。
「ただ言語を学べば、その言語背景を汲む必要がある。自分が好きだと思う文化を選びなさい」
「別にそこまで熱心にやる気はないよ。いまどき翻訳アプリがあるし」
翻訳アプリは一般的、アンドロイドは多言語対応。
現代じゃ外国語は必需品じゃない。ただの教養。
「翻訳アプリがあるからこそだ。もう現代において、言語は情報処理能力の拡張ではない。特に英語なら、どの言語の情報も文学も読める。だが母語と異なる文学に触れた時、母語で思考しながらと、異言語で思考しながら読むのとでは、感想が変わる。使う語彙が世界の捉え方に影響を与えるからこそ、合う文化を考えた方がいい」
「異なる言語で思考すると、思う事が変わるの?」
「俺は変わらん。母さんの受け売りだ」
受け取りか。
亡くなった母さんを想う。
アンドロイドと人間なら、たぶんぼくは人間のメカニズムに寄るだろうしな。母さんの経験則は貴重だ。飛び級して、アンドロイドと結婚して、クローン産んだ母さんだけど。
どう考えてもファンキー……というかクレイジー………
ま、なんだかんだ言っても、ぼくの母さんだし、母さんの実感は大事。たぶんね。
「父さん。母さんは、外国語が上手だったんだっけ?」
「フランス語とスペイン語のトリリンガルだったな。それで学会発表ができる。あとはドイツ語とロシア語とイタリア語とギリシャ語と中国語とマレー語。それなら日常生活は不自由してなかったな。ヒンディー語も少し」
「もうそれマルチリンガル」
トリリンガルが謙遜になる領域。
通訳アプリ不要ってレベル。
「母さんとしては、学会でケンカできなければ意味がないらしい。だからトリリンガル」
「それは母語でもむずかしいです……」
なんかカタコトになってしまった。
「父さんって多言語対応だよね?」
「ああ、国連六か国語対応だ」
国連の公用語って、英語の他には……中国語、フランス語、ロシア語、スペイン語。あとアラビア語か。
でも、だったら、どうして。
「ぼくをバイリンガルやトリリンガルにしなかったの?」
両親ふたりとも語学が堪能だ。
もしバイリンガルなら、第二言語とか悩まなかったのに。
「その件は母さんと相談した。バイリンガル教育に失敗すれば、母国語喪失してカタコト二か国語の人間が出来るだけだ。もちろんそれぞれ家庭には事情があり、結果的にバイリンガルになるのは良いと思う。両親がその文化的文脈を内在しているなら、自然な成り行きだろう。あるいは少数言語の家庭が、子に英語やフランス語を学ばせるのは、将来的な選択肢を広げるための生存戦略だ」
思ったより真剣な話になってきちゃったな。
自分から降った話題だから、遮るわけにもいかず拝聴する。
「だが両親とも英語の文脈しか持っていない上、マジョリティな言語圏ならば、故意に子供をバイリンガルにさせるのはギャンブルだろう。子供の将来はギャンブルできないと、最終的に英語一本に絞った」
「父さんと母さんが、教育を失敗するの……?」
想像つかない。
「分は悪くなくとも、ギャンブルだろう。子にすべてを伝えるより、子のために何を選ばないかが大事だ」
「そういうものかな……」
ちょっともったいない気がする。
「ただ発音だけは学習臨界があるから、フランス語は合唱で学習させた」
「あ、合唱やらせていたの、そういう理由」
「そういう理由だ」
カナダの国際キャンプで、フランスのお歌の時間は必ずあったけど、あれ幼児期の言語学習だったんだな。
言語学習をやらなかったわけじゃなくて、させなかった。でも最低限は学ばせた。
父さんと母さんがぼくを想って真剣な相談した選択だ。ぼくは幸せだし、たぶん間違いじゃないんだろう。
こつこつと学ぶか。
「とりあえずフランス語をヒヤリングするよ。『アンドロイド・ジャーニー』で」
言語選択して、いつもの日常を少し変える。
でもやっぱり、バイリンガルなら楽だったろうなと思わなくもなかった。




