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ハリケーンの爪痕


 

 「ここも久しぶりだな」

 ぼくはリュックサックを背負い、シロナガスクジラのぬいぐるみを抱えた。目覚まし時計のライトを灯らせて、狭い階段を一歩、一歩、下りていく。狭い。手持ちのライトがなかったら足を踏み外しそうな場所を、独りで降りる。

 行き着く先は、地下の核シェルターだ。

 ハリケーンのせいだ。

 イースターが終わったばっかりだっていうのに、ハリケーンが襲来した。

 警報が発令するや否や、ぼくは地下に追いやられた。

 地下五メートルの秘密基地なら、荒れる風も狂った雨も届かない。

 明かりをつければ、木調の壁に取り囲まれた部屋が、ぼんやりと照らされた。

 ここは人間一人が一か月、アンドロイド一体が一か月、不自由なく暮らせるようになっている。ハリケーンならライフラインの復旧も、遅くても三日か四日で終わるだろう。

 でも空調はかけてないから、肌寒いな。

 下着や着替えをつめてきたリックサックから、ウィンドブレーカーを引っ張り出して袖を通す。イルカの目覚ましとクジラのテッシュケースを、棚に置いた。

 手回し発電機をぐるぐるさせて、デバイス充電。

 目覚まし時計を見上げる。時計盤は蓄光して、ほんのりと浅瀬色に灯っている。

 ぱちぱちと、天井の明かりが明滅した。

 天井の電気が途切れ、一秒も経たないうちに非常用電源に切り替わる。

 停電したんだ。

 不安と、ちょっとした期待。

 だってうちは停電が終わったら、父さんがブルックリン風停電ケーキを作ってくれるんだ。あれはココア生地とチョコプディングを何層にも重ねた上に、余った生地をクラムにしてデコレーションする手間のかかるケーキ。停電のあとしか作ってくれないんだ。

「まだかな……父さん」

 父さんは、まだ上。

 真っ暗でも、父さんには暗視モードがある。窓にシャッターがきちんと下りているか確認しているんだ。

 警報によって自動でシャッターが下りるけど、何か挟まっていたり、センサー不調で反応していないと困るから、最終確認をしている。

 静寂の世界で、おやつを探る。バナナとチョコとマシュマロ。ほんとはバナナを切って、チョコとマシュマロを隙間につめてトーストする予定だったんだけど、警報のせいで材料だけ持ってくるはめになった。

 ぼくはシロナガスクジラに凭れる。手持無沙汰を噛むように、マシュマロを口に入れた。大好物なのに、今日は妙にすかすかした味わいだ。

 心細くなってきたころに、やっと父さんが下りてきた。

 片手に愛用の工具箱を下げ、エコバックを肩にかけている。エコバックにはタオルが詰められていた。貴重品の避難ついでに、そこらへんにあった日用雑貨も持ってきたのか。

「外はますますひどくなってきたな。屋根が吹き飛ぶかもしれない」

「うわあ……」

「地下は安全だ」

 ぼくは手回しラジオをぐるぐるさせて、ニュースを流しておく。

 やることはやった。

「トランプやる?」 

「ああ。トランプでも、フランス語の授業でも、なんでもできるぞ」

「う……」

 たしかに父さんなら、今ここでフランス語のレッスンも出来るわけだ。高性能アンドロイドは多言語対応だし。 

「冗談だ。そんな気分になれないだろう?」

「おもろしくない冗談を冗談だと言わないよ」

 口をとがらせると、父さんは楽しそうに笑う。

 国際キャンプでフランス語の授業があるけど、別に好きじゃない。

 ぼくと父さんはふたりきり、ページワンを遊びながら、世界が元通りになるのを待った。




 夜明け前にハリケーンは去ったけど、世界はあんまり元通りじゃなかった。

 停電は続行。

 断水もしてるし。

 屋根は吹き飛んでなかった。

 だけどガレージのシャッターが、酷いありさまだった。

 どっかから飛んできた太い木の枝が、シャッターをへこませていた。防風防弾の超強化シャッターなのに、こんなにがっつりへこむのか。

「どっから飛んできたんだろ」

「ま、自動車が無事なら、いいとするか」

 父さんは使い捨てカメラで、写真を撮っていた。

「記念撮影?」

「保険会社に出す写真だよ。デジタルよりアナログが推奨されている」

 だから使い捨てカメラがあったんだ。

 父さんは被害をあちこち確認して、記録していった。

 これって父さんが動けない状況だと、ぼくがやらなくちゃいけないんだよね。手順を覚えておかなくちゃ。 

「父さん。もうシャッターは開けていい?」

「そのままでいいよ。様子見だ。ダウンタウンから浮浪者が流れてきて、暴動が起きたり、火事場泥棒する可能性もある。シャッターが歪んで上げ下げできなかったら困る」

「そっか」

 ポケットのデバイスが、ぴろっと鳴った。

「あ、友達とメッセできる」


 『ひさしぶりにゾンビルームに籠った』


 『開かずの間で発見、最高級チョコレート!』

 

 自分ちの地下シェルターのこと、みんな好き勝手に呼んでるんだな。うちも秘密基地って呼んでるけど。

 ぼくもクラスメイトに無事を知らせる。

「おなか減ったな……」

「冷蔵庫が復旧していなさそうだな」

 うちの冷蔵庫は停電モードに入っていた。 

 災害警報が出ると自動的に急速予冷して、停電したら蓄電池に切り替え。開け閉めゼロなら二十四時間、冷蔵と冷凍機能を維持する。野菜室は切り捨てだけど。

 蓄電型の冷蔵庫は助かるけど、このまま復旧しなかったら、発電機に繋げなきゃ。

 やらなくちゃいけないけど面倒だ。やり方は二度くらい習ったけど、できるかなー……

 発電機を持ってくる。

 父さんが心配そうにのぞき込んできた。

「パピア、自分で出来そうか?」

「やってみる」

  







 昼過ぎには電気は通り、世界は元通りになってきた。

 でもハリケーンの齎した影響はまだあった。


 それは被害とは言わない。

 だけど、ぼくにとって、それが最悪の被害だった。




 児童福祉機関から、ソーシャルワーカーたちがやってきた。

 大学生くらいの人と、かなり年配の女性だった。どっちも堅苦しいスーツ姿で、ハリケーンが通り過ぎた後の荒れて水気を含んだ世界には、なんだかやけに異物じみていた。

 唐突の訪問に、父さんはケーキ作りを中断して、礼儀正しく対応する。

 ぼくはこっそりとリビングを覗く。

 年配のソーシャルワーカーは姿勢を正し、父さんを真っすぐ見据えていた。

「R.ギャラント・マリオット。警報が発令した時点で、パピア・マリオットは学校の避難室に預けるべきでした。災害時、ナーサリーアンドロイドのみでの対応は違法だとご存じでしょう」

「いいえ、学校の避難所までの距離から算出して、我が家の核シェルターの方が安全性が高いと判断しました。お手元の資料にあるでしょうが、俺の稼働空間レベルは3とはいえ、緊急判断システムは都市部限定・非戦闘状態4まで許可されています。これを違法と呼ぶのは法解釈の相違以上のものがあります」

 父さんは淡々と答えていく。

「この家の核シェルターが、子供の権利を守れるという保証は?」

「では、どうぞ確認を。整備と物資はご覧いただけますし、耐性機能は保険屋が保証してくれます。政府の助成金で建てたので、提出資料が残っていますから」 

 父さんが年配のソーシャルワーカーを、地下の秘密基地に案内する。

 あれは父さんとぼくの秘密基地なのに。

 なんて図々しい。腹が立つ。

 ぼくがむかむかしていると、もうひとりのソーシャルワーカーがにこやかに話しかけてきた。

 スーツが着慣れてない感じだし、大学生のインターンとかボランティアかもしれない。笑顔や口調は親しげって言うんだろうけど、今のささくれ気分だと馴れ馴れしいとしか感じない。

「マリオットくん。ハリケーンは大変だったね」

「父さんがずっと一緒だったから、普段とおんなじでした。地下ならまったく風も聞こえないし、キャンプみたいで、こんなこと言うの不謹慎だけど楽しかったですよ。ページワンをしてました」

「ページワンか。停電のときに懐中電灯でやったな」

「懐中電灯だけで?」

 ぼくは和やかなふりをする。

 どうせこのソーシャルワーカーは、父さんの不備を探してるんだ。

 でも礼儀正しく応対しなくちゃ。ぼくの成熟度が低いと判断されたら、施設に連れていかれるかもしれない。

 ソーシャルワーカーと喋っていると、年配のソーシャルワーカーが戻ってきた。

「設備の耐性は、保険屋から伺います。では今日はこれで失礼致します。お時間を取らせました、R.ギャラント・マリオット」

 慇懃無礼と馴れ馴れしいコンビは、やっと去っていった。

「父さんは何も問題なかったのに!」

「それを確認しにきただけだよ。俺だって自動シャッターは信頼してない」

 父さんは自動シャッターじゃない。

 同じ機械だけど、違う。

「あのソーシャルワーカーは、最初から父さんが違法だって決めていた」

 なんて失礼なんだ。

 またいらいらしてきた。

「パピア。たしかに俺に難癖つけにきたかもな」

「絶対そうだよ! もう二度と、家に入れないでほしい!」

「大丈夫」

 父さんの手のひらが、ぼくの頬に触れる。

 指先で撫でる手つきに、ちょっとくすぐったくなった。

「ふたりがかりで難癖つけてきたけど、きちんと追い返しただろう」

「……うん」

「お前は俺が育てる。お前が自分の意思で巣立つまでは、何も心配いらないよ、パピア」

 優しくて柔らかな囁きに、ぼくの口許と涙腺が緩む。

 ぎゅっとハグをして、涙を誤魔化した。

 

  

 ハリケーンは過ぎ去っても、爪痕は多い。

 汚れて、歪んで、へこんで、傷まみれ。

 それでも明日は変わらずやってきて、その傷跡たちを癒してくれるだろう。

 時間がかかっても、きっと。     

  

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