その耳は優しさを聴くために
スクールバスでゆらゆら揺られて学校へ。
降りて玄関に向かえば、マウンテンバイクが横切っていった。
ダコタだ。真新しくて真っ赤なマウンテンバイクに跨っている。
「えっ! ダコタ、自転車通学させてもらえるの?」
基本、通学はスクールバス。
自転車や徒歩なんて、ほんとに近所で事務員から許可をもらわないといけない。
「おれんち、セキュリティ犬を飼ったんだ」
マウンテンバイクの近くに控えているのは、耳がピンと立って、真っ黒くてつやっとした犬だ。真っ赤な首輪をつけている。
空港や警察とかでも働いているセキュリティ犬、アンドロイド・ドーベルマンだ。
会話は出来ないけど、俊敏で護衛能力が高い。
「名前はシュヴァルツ!」
「かっこいい! 一般でも飼えるんだ」
「ARTのフルオーダーアンドロイドより買える」
たしかにうちの父さんの方が不思議だよね。
ARTのアンドロイドそのものが出回っていないから。
「こいつが付き添ってくれれば、自転車で遠出できる」
「いいね。でもR.シュヴァルツはダコタが学校にいる間は、どうするの?」
「ソーラーハウスで昼寝」
それは一般的に充電と呼ばれる行為だった。
父さんも充電のことを昼寝って言うけどさ。
「学校で充電していいんだ」
「アンドロイド倫理基金ってのに寄付していると、公共の充電施設も使用させてもらえるって。たぶんお前のとーちゃんも充電できるんじゃないか」
「フルオーダーだからどうかな……?」
カフェのある中庭から、くるっと西校舎に沿った小道を歩いていく。
裏庭には、硝子の小屋が建っている。温室、というか鳥かごというか、華奢な銀のフレームに銀硝子が張り巡らせていた。あれがアンドロイド用ソーラーハウスだ。
副担任のR.アニストンや、カウンセラーのR.エマソン、警備員のR.フローベールもここで充電している。
R.シュヴァルツも充電に向かっていった。
「こいつ、フリスビーも得意なんだ。お前んちの近くの公園って、フリスビーで遊べるよな!」
「うん」
土曜日。雲の切れ間から涼しい風が吹いていて、お出かけ日和だった。
R.ロビンの棲む公園で待ち合わせる。
約束の時間から五分くらい過ぎて、R.シュヴァルツといっしょに、ダコタがサイクリングしてきた。
黒いペットバックを肩から下げている。
「子犬はアイゼン」
ひょこっと子犬が首を出す。
おそろいの赤い首輪だ。
「……? えっ、えっ、? 幼体型のセキュリティ犬? いるの?」
「天然モノ。耳がぺたっとしてるだろ?」
「て、天然っ! タンパク質!」
「生まれて三か月だ」
「赤ちゃんだ! なんでフォト上げてないの?」
こんなかわいい子犬がきたら、スクールラインなりなんなりフォトをUPするだろうに。
「アイゼンはデバイス向けられるの嫌がるんだよ。あんまり巧く撮れなくて…でもそろそろ外出させていいから、慣らしに来たんだ」
子犬のアイゼンをバックから出して、そっと芝生に置く。
見知らぬ場所に置かれたせいで、戸惑っているのかな。くんくんと臭いを嗅ぎ、R.シュヴァルツのおなかの下にもぐる。まるで親子みたいだ。
「両方飼ったんだね」
「つーか、天然の犬が欲しかったんだよ。で、じいちゃんがおれのためにホームセキュリティ向上させるって話になったんだけど、見守りバードは自己洗浄機能がないじゃん。でもセキュリティ犬は野外運用が基本だろ。だからうちは衛生的にセキュリティ犬にした」
「セキュリティ犬の方が衛生的なの?」
「自分で衛生メンテナンスする。子犬のおしっこかけられても平気だ」
そうか。天然の子犬って排泄するものな。
見守りバードのクリーニングって、アンドロイド病院かパートリッジ社に出すんだよね。
「天然の動物とアンドロイドの行動圏を共有した場合の衛生管理か。大変そうだね」
「お前のとーちゃんほどじゃねえけど。赤ちゃん時代からいるんだろ、お前のとーちゃん」
……乳幼児だったぼくのおむつを替えたり沐浴させたのは、父さんである。
たしかに赤ん坊の世話するフルオーダーアンドロイドなんて、天然動物と精密機械の組み合わせだ。海水より禁忌対象なんじゃないか。
「アイゼンだっこしてみるか?」
「いいの?」
ぼくはそっと近づく。
「だっこしていいですか?」
子犬に話しかけてみたけど、言葉が通じてないのか、黒い瞳を向けているだけ。天然ものの知性とどう会話するんだろう。
戸惑っていると、ダコタがしゃがみ込み横抱きする。
「こう、尻を支える感じで、抱っこする。背骨と地面が水平にな」
「うん」
暖かい。柔らかい。この柔らかな下に、機械じゃなくて胃とか腸とか心臓とかが入っているんだ。
子犬はおしりをもぞもぞさせていた。
……いきなり排泄するんだろうか?
「……」
「かわいいだろ」
「うん」
ぼくはそぉっと子犬を返す。
触るのはちょっと不安だけど、かわいいな。
同じドーベルマンだけど、子犬のアイゼンは耳が垂れ耳だ。成犬だと耳が尖がっているのに。
「大きくなったら、耳が立つの?」
「シュヴァルツのピンッて立った耳は、美容整形だよ。むかしのドーベルマンは耳を美容整形されて、かっこよくしてあったんだ」
「犬に美容整形なんて……どうして?」
ぺったり垂れていても可愛いのに。
「すっごい昔は噛まれて感染症にならないようにって理由あったらしいけど、近代だと美容整形に成り果てちまったんだと。今は天然モノにんなことしたら、動物虐待だけどな」
R.シュヴァルツは美容整形されていた時代の犬の姿なんだ。
アンドロイドなんだから痛ましいはずないのに、胸に圧迫感を覚える。
「なんでこんな形にしてるんだろう……」
「さあ? かっこいいからじゃないのか?」
事情を聞いたら、かっこいいと思えないんだけどな……
「アイゼンも遊びだすと夢中になるから、お前がすかさず撮ってくれ。おれだと嫌がるんだよ」
ダコタはアイゼンを抱えて、R.シュヴァルツを引き連れ、ボールやフリスビーができる広場へと行く。
バックから真っ赤なフリスビーを引っ張り出した。
「シュヴァルツは思いっきり投げても、空中キャッチできるんだ。すげーんだぞ」
ダコタはフリスビーを上空へ投げて、素早くしゃがむ。
R.シュヴァルツはダコタの背中を駆けた。高らかにジャンプして、咥える。
そしてダコタのもとに持って帰ってくる。アイゼンも後ろをちょこちょこ追いかけていった。
ぼくはそっと離れて、その光景をデバイスで撮る。
子犬は素早すぎるけど、まあまあかわいい写真が何枚か撮れたな。
「ありがと、パピアもフリスビー投げてみるか?」
「うん!」
ぼくは赤いフリスビーを受け取って、R.シュヴァルツへと投げる。
古い姿を模したアンドロイド・ドーベルマンは、生き生きとフリスビーへ駆けていった。




