あなたが誰にどう呼ばれるか
スイミングスクールのレクリエーショナルクラスは、今日は水中ダンスだった。
音楽に合わせて踊るけど、水って重い。
「つかれたねー」
そう言ったのは、ぼくの友達のリアムだった。
ちょっとふわっとしたからだつきで、丸顔をいつもにこにこさせている。
ぼくは水泳のタイムを縮めるのも好きだからスポーツクラスだったけど、母さんが死んでから何となくレクリエーションクラスに替えてもらった。
そこで仲良くなった男の子がリアムだ。
リアムはいつもにこにこしていて、穏やかで、あんまり動いてない。
「ダンスの時、リアムはぷかぷかしていただけじゃん」
「波がきていい運動になったよ」
レクリエーションはダンスしてもいいし、しなくてもいい。
自由だ。
リクリエーションが終わって、着換えて、ロビー。
広々としたロビーは壁一面がガラス張りになっていて、駐車場が見渡せる。自分ちの自動車が来たらすぐ分かるから、待っているのにちょうどい。
お喋りしていると、うちの自動車が駐車場に入ってきた。父さんがロビーに入ってきて、職員にぼくの受け取りサインをしていた。
「父さん。もうちょっといていい? リアムの父さんはまだだから」
「構わないよ」
しばらくお喋りしていると、リアムのお父さんのMx.ウィルソンが駆け込んできた。
なんか焦っている?
十分も遅れていないのに。
「リアム、すまん。仕事でトラブルが発生した」
「え? そうなの」
「支社に行く。今日は帰れそうもない。シッターさんを探す余裕もないから、お前はじーさんの家に………」
Mx.ウィルソンがそこまで言いかけて、リアムの顔がしわくちゃになった。いつもにこにこしている顔が、尾を踏まれたブルドッグになり果てている。
「じーちゃんちはイヤ」
「だから、すまん」
「イヤ」
「気持ちは分からんでもないが、お前を独りで留守番させられんだろう」
10歳を一晩放置していたら、虐待通報待ったなしだ。
警察に言い訳は聞いてもらえない。酌量の余地があるのか判断するのは、裁判所だけの特権だから。
「俺が預かりましょうか?」
父さんが静かに切り出して、Mx.ウィルソンは瞳を丸くする。
「R.マリオット。そりゃもうそうして頂ければ願ったりですが、ご迷惑では……」
「明日は土曜で学校もお休みです。ナーサリーアンドロイドへの託児は、親と本人の合意があれば問題はありません。指定家庭医の連絡先と事故損害賠償保険は必須ですが、預かり終了後にデータは抹消します。アレルギーデータも頂ければ、こちらで食事も対処します」
「リアムは泊まっていけばいいよ!」
「うん。ボク、パピアくんち行く!」
三対一。
時間がないらしいMx.ウィルソンは、躊躇いがちに頷く。
「お願いします。こいつ、アレルギーも好き嫌いもないんですが、他人の三倍は平らげる大食らいです。食費はきちんと払います。ケチャップパスタでも食わせておけばいいんで!」
Mx.ウィルソンはリアムとリアムの荷物を預けて、そのまま支社へと旅発っていった。
「パスタソースは何が好きかい?」
「たくさん食べていいなら、なんでも好きです」
本気で好き嫌いのない人間の回答だった。
「リアムくんはボンゴレビアンコは食べられるかな?」
「ボンゴレビアンコ?」
聞いたことない単語を耳にした反応だ。
パスタを食べるのにボンゴレを知らないって、リアムのうちってシーフード食べないご家庭かな。
「ぼくの大好物でね、あさりがたくさん入ったパスタだよ。貝は好き?」
「好き。クラムチャウダーとかあるだけ食べるよ」
リアムがうちに到着したから、ルームツアーのはじまりだ。
玄関横の手洗い場に案内する。洗面所と、大きな窓と天窓に取り囲まれた個室。
「ここで手を洗うんだよ。これがバイキンバイバイライト」
玄関から真っすぐ入る。
ディスプレイと、ソファのフルセット。
「ホームパーティーするときはここね。右行くとキッチン。こっちがぼくの部屋だよ」
「広い……ああ、クジラとイルカばっかりだね。パピアくんの部屋って感じ」
「バスルームがこっち」
青いバスルーム。バスタブ横には、おっきなベルーガのステッカーが貼ってある。
「これはホワイトボードなんだ。このもこもこペンはね、入浴剤でお絵描きできるよ」
「パピアくんちはほんとうにお金……」
「うん?」
「……クジラがすごいね」
「うん!」
ルームツアーを一通り終えたら、キッチンからいい香りが漂ってくる。
新しいテーブルクロスが掛かった食卓には、リングイネのボンゴレビアンコの山ができていた。あと添えにプチトマトのマリネと、ブロッコリーガーリック。
たくさんあると、パーティみたいだな。
「貝殻ついてる! キャンプのご馳走っぽいね!」
リアムは丸い顔をさらにふっくらさせていた。
大喜びでリアムは食事にとりかかった。それはもう食べて食べて、食べ続ける。
Mx.ウィルソンが大食らいって言ってたのは、親のいらない軽口とかじゃなくて、本気の提言だったんだ。
………リアムってスイミングスクールに通っているわりに脂肪が多めだと思っていたけど、もしかしてスイミングスクール通っているからこの程度にとどまっているんだろうか。
そう思うくらい、凄まじい食欲だった。
ちょっと気おされつつ、ぼくもパスタを味わう。
「父さん。これいつもよりさっぱり食感だね」
「低糖質パスタだ」
へー、そんなのうちにあったんだ……
「リアムくん、Mx.ウィルソンから連絡がきている。ディスプレイに映そうか?」
「お願いします」
リアムは口元をぬぐった。
うちのディスプレイにMx.ウィルソンが映された。背景はどっかの工場っぽいな。
「すまない、リアム。復旧作業は社員総出で奮闘しているんだが、早くても明日の朝までかかりそうだ。下手すると帰りは明日の夜になるかもしれん」
「ボクはいいよ。楽しいし」
「お前はいいかもしれんが、急に預かってもらった感謝は忘れんようにな。R.マリオットに礼儀正しく振舞うんだぞ。食べ過ぎんようにな」
「………うん」
Mx.ウィルソンからは空っぽになり果てた大皿が見えなかったんだろう。
忙しそうに通信が切られた。
「………おかわりは我慢」
不穏な台詞が聞こえた気がする。
リアムは仕方なさそうに、トマトマリネを口に運んでいた。
「えっ、おいしい! 野菜なのに!」
「父さんの料理はぜんぶ美味しいんだよ」
特製カラフルマリネは、オレンジハチミツを隠し味にしていて食べやすい。ケルシーにも好評だった。
給食のマリネを食べてみたことはあるけど、酸味と青味がきつかったんだよね。やっぱり父さんの料理は世界一だ。
「俺の料理を気に入ってくれてありがとう。リアムくん。デザートのゼリーを出そうか?」
「ありがとうございます!」
ブルーハワイなアガーゼリーが、パーティ用のパンチボウルに満ちていた。魚のかたちをしたラムネが入っている。父さんはアガーゼリーも作ってくれていたんだ。
リアムはゼリーもするっと飲んだ。そう、ゼリーは飲む勢い。
五、六人分はあろうかというゼリーは、瞬時に消え去った。
Mx.ウィルソンはリアムをおじいちゃんちに泊まらせようとしていたので、着換えやタオルの一通りがナップサックに詰まっていた。あと大きなテディベアと大量の菓子。減塩&カルシウム増量のスナック菓子だ。
「リアム。なにして遊ぶ? うちにね『アンドロイド・ジャーニー』のアーカイブ揃ってるよ」
「『アンドロイド・ジャーニー』?」
「見たこと無い? じゃあいっしょに見よっか。一話からぜんぶと、ぼくのお勧め総集編とどっちがいい?」
「総集編」
ぼくが編集したお勧め回を再生する。
アンドロイド・ホエールの海底鉱床ダイヤモンドの採掘、アンドロイド・ドルフィンたちの海底探知機のメンテナンス。どれもこれも雄大でかっこいい。
最近、放映されたばかりの『マスストランディング追跡 アンドロイド・ドルフィンの200日』を最初に紹介してもいいな。ぜんぶ最高にかっこいいけど。
「ストランディングは海の仲間が座礁することなんだ。不審な大量座礁! 海洋生物保全条約に従って、アンドロイド・ドルフィンが任務を受け、イルカの集団に混ざり、謎を突き止めていくんだ」
謎を追うアンドロイド・ドルフィン、R.ドイル。
孤高にして峻烈な海の旅路。
「ふーん」
リアムは興味無さそうなリアクションしたけど、あえて聞かなかったことにして、ぼくは『アンドロイド・ジャーニー』を流した。
雄大なBGMと、イルカの鳴き声、泡ぶくの音。
いつだってわくわくする幕開けだけど、今日は隣でスナック菓子を食べる音が混ざっていた。
「リアムってムービー見るときお菓子たべるんだ」
「パピアくん……食べないんだ」
「ぱりぱりしてる音が邪魔じゃない?」
「別に」
慣れの問題なのかな……
ぼくは首を傾げ、リアムはスナックを食べ続けた。
ぱりぱり、ぽりぽり。
かりかり、しゃくしゃく。
「リアム。ぼくが『アンドロイド・ジャーニー』を視聴している時は、横で食べるスナックはチョコとかマシュマロにしてほしい」
そう告げて、チョコマシュマロ大容量パックを渡した。
『アンドロイド・ジャーニー』海洋アンドロイド総集編を半分くらい見終われば、さすがに眠くなってきた。
「パピア、そろそろ寝に行くかい?」
「あと一話だけ」
「じゃあここで寝られるようにしておこうか」
父さんはリビングにティピを吊るしてくれた。タオルケット付きだ。
ふたつの小さなインディアンテントに、お互い相棒を抱えて入る。ぼくはシロナガスクジラ、リアムはテディベア。
水筒にはミネラルウォーター。おっきなカンテラも出してくれたから、雰囲気はすごくアウトドアだ。
心行くまで『アンドロイド・ジャーニー』を視聴する。
「パピアくんのお父さん、すごく優しいね。今日は泊めてくれてありがとう……」
「ぼくも楽しいよ」
しばらく沈黙が続く。
「……じーちゃんは好きじゃないんだ」
「厳しいの?」
「ぜんぜん。ボクに甘い。お小遣いもくれる。ボクの名付け親で………本名を呼ぶんだ」
リアムの本名?
………えーと。
ウィリアム・ウィルソン。
………だったはず。
「ボクの本名、ジジ臭すぎる! ミスターが似合いそうな名前って、恥ずかしい!」
恥ずかしいかどうかはわからないけど、たしかにミスクよりミスターって感じの名前だ。
古風で凛々しいと思うけどな。
世界初の爵位持ちアンドロイド、Sir.ウィリアム・ウィンザーと同じ名前じゃないか。
「いいな、パピアって。Mx.が合う」
「そうかな?」
「そうだよ!」
勢い込んだ即答だ。
「しかもじーちゃんは、自分のことを周りの人たちにMr.ウィルソンって呼ばせているんだよ。もう恥ずかしいっていうか気持ち悪いっていうか、ボクの人生に関わってほしくない!」
たしかに、それは嫌だな。
Mr.って呼ばせている祖父。
「泊めてくれてほんとに感謝している。大感謝だから、ボクが失礼なことしたら言って。今日のリングイネめちゃくちゃ美味しかったら思いっ切り食べたけど、パピアくんの分とっちゃった気がして……」
「ぼくは普通に食べたから平気だよ。そもそもお客さんがたくさん食べるもんだよ」
「ホームパーティーとかでいつも食べ過ぎて夢中になっちゃうし」
「それはちょっと寂しいかもね。リアムとお喋りしたかった子が、肩透かしだよ」
「そっか、そうかも」
お喋りをしていると眠くなってきた。ぼくはシロナガスクジラをぎゅっと抱きしめ、タオルケットの海で寝た。
ぼくの名前、羨ましいんだ。
母さんが付けてくれた名前が羨ましがられて、胸の奥底がくすぐられたみたいな気分になる。母さんを思い出すたびに辛いけど、辛いのに混ざって甘いものがある。
──パピア、私の真珠ちゃん──
母さんの優しい記憶。
円やかな暖かな、そしてふっと消えてしまいそうな感覚を逃がさないように、シロナガスクジラをぎゅっと抱き締める。
ぼくは真珠だった。
真珠貝が自分の意思で孕んだ養殖の真珠。
貝に包まれた真珠のように、ぼくは目を閉じた。




