DNA配列は愛を宿すか?
9月から学校が始まる。
久しぶりに学校に通うとメッセしたら、最速で返事してくれたのは、エデンだった。
すぐにディスプレイ通信に切り替わる。
『パピアくん、三階図書室の海外文学の棚! 海外のコミックを入れてくれたんだよ』
「えっ、良いニュースだね」
『図書館が充実して楽しいよ』
「エデン、図書館通いに目覚めたんだ?」
『ブリギッテママ出張すると、お迎えがガブリエルママしかできなくて17時なんだ。それまでの時間つぶし』
そっか、独りで留守番させておけないから、学校に置いておいて迎えに来てくれるんだ。16時までだったら高学年の授業もあるし、そんなに孤独感はないな。
『9月からブリギッテママが出張予定入ってるから、図書館コミックが憩いなんだよ』
「じゃ、ぼくも付き合うよ。スイミングはない日だったら」
『いいの?』
「父さんがいいって言えば」
もちろん父さんは良いって言ってくれて、放課後用おやつまで持たせてくれた。
放課後、エデンとカフェでおやつを食べてから、図書室へ行く。
一階のホール横。ここでは騒ぎながら読んだりできるし、ボードゲームもおいてある。
あとは三階にある高学年向きな図書室。専門書が多い。静かに本を読むところ。
「一階のはいつも誰かが読んでるけど、三階にも同じの置いてあるんだ」
エデンは大きな瞳をきらきらさせて、リズミカルに階段を上っていく。
「ママたちはコミック、お小遣いでしか買っちゃだめっていうんだ。図鑑は高くても買ってくれるのにさ」
楽しい話題で学校に行きやすくしてくれたのかと思っていたけど、それはそれとして海外コミック入荷は、エデンにとっての大ニュースだったらしい。
三階図書館は落ち着いたグリーン系の色調で、座り心地よさそうな椅子とデスク付エアロバイクがある。空調の音が響くくらい静かだった。
「ぽうぽぅ」
司書ドードーが小さく挨拶。
言葉は最小限。
ここは音声より活字の方が多い空間だ。
「パピアくん。こっちにね、コミックたくさんあるよ」
カラフルな書籍がずらっと並んでいた。
外国の漫画だ。
エデンははしゃいでいたけど、漫画の面白さってよくわからない。
海洋やアンドロイドに関係している本がいいな……
ぼくは司書さんところに行く。
「すみません、海洋生物やアンドロイド工学に関係しているコミックってありますか?」
「ぽぅぽう。検索するよ」
検索してもらっていると、誰かが入ってきた。
コールドウェル(友達じゃない)だ。
またさらに背丈が高くなったな。
コールドウェルは黒い眼を、アンドロイド・ドードーに向けた。
「司書もアンドロイドなんだ……」
初めて見たようなリアクションだ。
三階図書館の司書はアンドロイド・ドードーだよ、ずっと前から。まさかこっちの三階図書室は初めて来たとか?
じっと見つめていると、コールドウェルがぼくに気付く。
「はじめまして」
「えっ? コールドウェル、記憶喪失になったの?」
「や、おれは……」
戸惑ったような反応された。
なんだ?
エデンがやってくる。
「パピアくん。そのひと、コールドウェルのブラザーだよ。年上の」
「えっ、いたの?」
めちゃくちゃそっくりだし、年もひとつくらいしか違わない。こんな瓜二つな兄弟が校内にいたのに、気付かなかった?
コールドウェル(兄)は控えめに微笑む。
「イアン・モラレスです。今年度から編入してきました。よろしく」
「……よ、よろしく。パピア・マリオットです。すみません、間違えて」
苗字が違うんだな。
じゃあ今まで別の学区で、別の家庭で育っていたってことか。
他人の家庭環境はまあいいや。友達じゃないんだし。
「あの、気にならないんですか?」
コールドウェル(兄)が困ったような顔と声をしていた。なんで困っているんだろう。
「何が?」
「事情とか。みんな誰も聞いてこないんです」
「話したいなら聞くし、悩みだったらスクールカウンセラーを予約するといいよ」
知らない他人の悩みを打ち明けられても困る。
ぼくは素早く自分のデバイスを出す。
「予約だったら、スクールアプリのホームから入れるからね。シークレット予約システムもあるよ。これは担任にも保護者にも見られないけど、時間割チャイムと連動してくれないから、自分で予約時間を記憶しててね」
自分のデバイスで、ホームからカウンセリング予約のボタンを示す。
だけどコールドウェル(兄)、いやイアン・モラレスくんは困ったままだった。
「悩みじゃなくて、いきなり苗字の違う兄弟がきたら、何があったんだと思うでしょ」
「……? 何かあったんだなぁと思うよ」
なんだろう。何かかみ合わない。
もしかして話したい内容はカウンセラー未満だけど、まだ話す友達が作れていないから、話し相手を探しているのかな?
「打ち明けたいなら聞くけど……」
そうつぶやくと、図書室にでかいやつが入ってきた。
今度こそコールドウェル(弟)だ。
「これおれの兄貴」
「うん、似てるね」
「おれはずっと遺伝両親の家庭で育ってんだけど、今まで兄貴は出産母のところで育ってたんだ。でも今度からうちで暮らすんだ。おれ、兄貴が欲しかったんだよな」
満面の笑顔だ。
出産母が養育していたから、苗字が違うのか。よくある当たり前の話だったな。
「よかったね……あ、ごめん。モラレスくんは大変だったかもしれないよね」
家庭が変わるとなると、深い事情がある。
勝手に軽々しく良かったねなんて言ったら、モラレスくんも不愉快だろう。
「いえ、いいんですよ。なんだかんだって言って、結局、血の繋がった家庭で育つのが、いちばんだろうし」
「……は?」
「……は?」
ぼくとエデンの呻きが合唱した。
じわっと嫌な沈黙が滲む。
ぼくとエデンの視線に、モラレスくんは戸惑ったようにきょときょとした。コールドウェルが口元をゆがませ、モラレスくんの肩をぐっと握る。
「悪かったな。兄貴の住んでた地区って、トラディショナル家庭ばっかの地区だったんだ。じゃ、な」
コールドウェルはお兄さんを強引に引っ張って行ってしまった。
トラディショナルな家庭ばっかり。
多様性を欠いた地区。つまり古めかしい宗教区、保守層の排他的な高級住宅街、あるいは経済的に体外受精やアンドロイドが選択できない区。
「トラディショナルオンリーから引っ越してきたって、慣れるの大変そうだね」
「慣れればどこより幸せだよ。ここは自由なんだから、さっさと慣れればいいんだよ」
エデンはちょっと唇を尖らせていた。
ちょっとで済んで偉い。
ぼくは極秘の非合法クローンだからそこまで腹が立たなかったけど、これで遺伝子提供者がいたら腹に据えかねていた。ケルシーがいたら露骨に眉を吊り上げていただろう。
血のつながりとか、そんなモノを基準にされるなんて許せない。
エデンはコミックをもって、隅っこのエアロバイクに乗る。漕ぎながら読書できる。
足だけ動かして、コミックを読む。
「……でもさ、やっぱり血統幻想ってあるよね」
エデンはぽつりと呟く。
「そりゃ21世紀まではメジャーな思想だったし……」
「ぼく、ラクシュミママが遺伝の母親だと思う」
「そっくりだったからね」
海外を行き来してるから一度しか会ったことないけど、目元や髪質はくっきりとした血の強さを物語っていた。
「だから、たまにしか会わなくても平気なのかな。血が繋がっているから、放置したって親子って思ってるのかな……ブリギッテママやガブリエルママは、いろいろしてくれる。うっとうしいけど、たぶん心配だからだろうし」
項垂れながら語る。
「ぼくはブリギッテママが好きなんだ。料理以外は」
ああ、あのピーナツバターとジャムのサンドイッチしか食べない母親か。
「ガブリエルママは好きじゃないけど、正しいなって思う。頭がいいし、授業で分かんなかったこと分かりやすく教えてくれる。好きじゃないけど」
真面目そうなひとか。
「ラクシュミママはどんなひとか知らないのに、ママって呼んでるの変な感じ」
「……ラクシュミママのことは好き?」
「いてくれたから嬉しいけど、好きとか嫌いとか言えるほど知らないよ」
「……もっと話したい?」
ぼくの問いに、エデンは首を傾げる。
「しゃべるんだったらブリギッテママがいるから、別にしゃべりたいとかそういう気分じゃないな。ただ考えてみればあんまり知らない相手なのに、血が繋がってるからってママって呼んでるのが奇妙だなって思っただけ」
「そっか」
「うちはモダンだと思ってたけど、結局、ぼくも血統幻想にいるかもしれないね」
エデンはエアロバイクを漕ぎながら、そんなことをぽつりと呟く。
どこにいくでもない車輪は、ブンブンと小さな音を図書室に響かせていた。




