Chapter2 海洋哺乳アンドロイドたち
海洋科学館オートマタ・オーシャン。
エリー湖の水面に建っていて、イルカとかいっぱいいて、すごいんだ。
薄暗い円形ホールで、壁はぐるりと水槽になっていた。すごく高い天井まで水槽になっていて、アンドロイドのイルカたちがすいすい泳いでいる。
ここにいるアンドロイド・ドルフィンたちは、任務を終えて老後を過ごしているんだ。マリアナ海溝や北極南極で大冒険したり、海難救助として防災を果たしてきた英雄たち。
金属の膚をきらきらさせながら、ゆるりと泳ぐ。
奥の方で大きな銀色が揺れた。
アンドロイド・ホエールだ。
超大型海底探査型アンドロイド。
「母さん、あれはアンフィトリーテーCタイプだよ。超臨界CO2の噴気孔でもへっちゃらなんだ。カッコイイ!」
「親子そろってイルカが好きね」
「父さんもイルカ好きなんだ」
左隣の父さんは頷いてくれた。
「パピアが笑顔になるからね」
「でもあなた、昔っからイルカ好きでしょ。ボディが無い頃、イルカになりたいって言ってたじゃない」
ボディがないころ?
想像もしてなかった言葉に、ぼくはびっくりしてしまった。
「父さんは最初からぼくの父さんじゃなかったの?」
「ああ、次世代インターフェイスAIとして開発されたんだよ。ナーサリープログラムとボディは後付けだ」
「父さんにも子供時代があったんだ……」
考えもしなかった。
母さんの子供時代は、父さんから聞いている。飛び級した天才だったって。
でも父さんはアンドロイドだから、子供時代があるなんて思わなかった。
ぼくのために生まれたと思っていたのに。
がっかりした気分とわくわくした気分がぐるぐる回る。
「じゃあ子供の頃の夢はイルカだったの?」
「確かにお前に言う通り、将来の夢だな。父さんのボティ無い時代は、海洋アンドロイドの開発が最も盛んだった。イルカそのものに思い入れはないかな」
それは母さんも初めて知ったらしく、ぼくと同じような相槌を打った。
「進路希望イルカって意味で、イルカ好きだったのね……」
「ああ。エコーロケーション通訳システムに組み込まれるのが、最適解だと思っていたよ、あの頃は」
そっか。
もしかしたら父さんは、ここにいるアンドロイド・ドルフィンになっていたかもしれないのか。
ぼくの父さんになってくれてよかった。
イルカはかっこいいけど、手を繋いでくれる父さんの方が好きだ。
海洋アンドロイドのゾーンから、マリンチューブの廊下を進む。
ここではアンドロイド・タートルたちが泳いでいた。ドルフィンと違って、現役で働いている。エリー湖の汚れた成分を食べてくれているんだ。難しい言葉だと、えっと、PCBの無害化処理だったかな。
タートルに手を振っていると、アンドロイド・ペンギンたちが巡回してきた。大きな襟に紺色スカーフを付けた水兵ルック。てちてち歩いて、落とし物や不審物を探している。
ハンカチを落としたら拾って返してくれるんだ。
ちっちゃいころはわざとハンカチとか帽子を落として、ペンギンたちを困らせたんだっけ。
「パピアは落とし物を拾ってもらうの好きよね」
恥ずかしい記憶を、母さんは覚えていた。
「……三歳のぼくは大変こどもでした」
瞬間、母さんが咳き込むように震え、父さんが小声で何か言っている。
「こどもの発言を笑うな」
「でもカワイイ、カワイイ……」
母さんが呼吸困難になったみたいだ。
悶えていると、白熊タイプのアンドロイドがやってきた。海洋科学館の警備隊長さんだ。
「こんにちは、パピアくん」
優しくて野太い声が降ってくる。
ちっちゃな頃にいっぱい落とし物をしたせいなのか、警備隊長さんはぼくのことを覚えていたみたいだ。
「Dr.マリオン・マリオットは具合が悪いのかな?」
名前は呼ばれた母さんは、背筋を伸ばす。
「平気よ、何でもないわ。ちょっと息子の可愛……いえ、成長に感動していただけなの」
「そうですねえ、大きくなりましたね。この前はおててが、わたしの小指くらいだったのに」
白熊の警備隊長さんは、手のひらを触らせてくれた。
にぎにぎする。
おもしろい感触。
「パピア。そろそろランチを取らないと、イルカショーの時間と被ってしまう」
父さんに促されて、頷く。
おなかも減ってきた。
「じゃあごはん食べる」
「席を予約しておこう。何がいい?」
科学館にはシーフードレストランがある。
父さんはアプリで、席の予約と料理の注文をしてくれた。
「クジラプレート!」
「了解。マリオン、きみは?」
「そうね、今日の気分はシャンパンかしら。ブルーキュラソーの入ったシャンパンがあったわよね。それにオイスターオードブルとムール貝のワイン蒸しとか合わせて……」
「本日は休肝日だ」
「でもせっかくお出かけしているんだし……」
「パートナー・マリオン。今日は、休肝日だ」
父さんから真顔で言い切られ、母さんはおとなしくシャンパンを諦め、ウニのパスタと生牡蠣にした。
シーフードレストランは高い天井に、いろんな帆船が走っている。天井からテーブルへ帆船が降りてきた。
乗っているのは、クジラプレートだ。
大きなクジラプレートには、帆立グラタン! 海老フライ! 蟹クリームコロッケ! サーモンタルタル! リングイネのボンゴレビアンコ!
どうしてこんなぼくの大好物ばかりあるんだろう。クジラプレートはとてもかしこい。
クラムチャウダーと、タコとイカの海藻サラダもついている。ゼリーは青くて、海を切り取ったみたい。
でもこの星形のにんじんは駄目だ。
嘘つきだから。
「にんじんは要らない」
「嫌いなの?」
母さんの問いに、首を横に振る。
「にんじん、嫌いじゃないけど、要らない」
「嫌いじゃないなら栄養があるし、食べてほしいわね」
そういうことじゃないんだ。
分かってもらえなくて胸の底がぐるぐるさせていると、父さんが身を乗り出した。
「パピアは人参を食べられるって、父さん知っている。キャロット・ラペもシチューの人参もよく食べていた。でも今は食べたくないんだね」
「うん。だってこいつ嘘つき」
「どんな嘘をつかれたんだい?」
見てわかることをどうして聞くんだろ?
「みんな海なのに、にんじんは土でしょ。ゼリーはアガーだから許すけど、にんじんはちがうからここに入ってちゃだめ」
「海プレートの雰囲気が崩れて、気に入らないのか」
父さんの言葉に頷く。
たぶんそんな感じの気分。
「五歳ってけっこう複雑なのね」
母さんは面白そうに笑って、星のかたちのにんじんを食べてくれた。
ごはんが終わったら、イルカショーを観る。
断然、水飛沫が掛かる最前列だ。
アンドロイド・ドルフィンたちが空中で宙返りしたり、バーチャルシンガーの歌に合わせて踊ったりする。跳ねてくる水飛沫が最高に楽しい!
ショーが終わったら、北極研究船を見学。最後に物販店に寄る。
記念スプーンとか、熱帯魚のサンキャッチャーとかきらきらと売られていた。ダンクルオステオスのくるみ割りもある。
おもちゃのコーナーには、いっぱい魚釣りゲームが並んでいる。ほんとの水を入れて、ロボット魚を釣るおもちゃだ。
ロボット工作のペンギンもある。
「ぼく、思うんだけどね。父さんと母さんがいるんだから、おもちゃ2個買ってもらってもいいと思う」
「1個だけだ」
「でもふたりとも、ぼくを可愛がりたいよね」
「そうだな、パピア。でも1個だけだよ」
父さんの声は優しいんだけど、これは絶対にワガママが通らない時のイントネーションだった。
1個だけか。
ぼくはおもちゃ売り場を歩き回る。
ぬいぐるみコーナーに入ると、『防水ぬいぐるみ』って書かれたコーナーに、イルカとかアシカとかグローラーベアとかいっぱいいた。ジンベイザメもシーラカンスもいる。あと首長竜とモササウルス。
お風呂とかプールに連れていけるぬいぐるみだ。
スイミングスクールにも連れていけるかな?
「ああ!」
てっぺんにすごく大きなシロナガスクジラ。
大きくて、かっこいい……
見た瞬間に、あのシロナガスクジラが部屋にいる様子が思い浮かんだ。
連れて帰らなくちゃ!
「ぼくあのクジラがいい!」
「さすがにあんな大きいぬいぐるみは誕生日……」
「1個だよ!」
父さんの足にタックルした。
膝を掴んで、足の甲に飛び乗る。
「父さんは1個って言った! あのクジラと帰る! 置き去りにしないからね! きちんとお世話するから!」
ぼくはシロナガスクジラのぬいぐるみを買ってもらった。
ぼくは父さんにだっこされて、自動車に乗る。
後部座席のジュニアシートに固定されると、なんだか手足が重くなった気がした。まぶたまで重いや。
もっと遊びたかったな。
寝てるうちに、母さんまた研究所に戻っちゃうかな。
一瞬、眩しいライトが突き刺さってきた。
目を開くと、車の外はネオンライトできらきらしている。
お星さまがぜんぶ地面に降ってきたみたいだ。
父さんと母さんの声が聞こえる。家にはまだ到着してないのかな。
「渋滞してるのかしら? 事故?」
「マリオン、速報が入った。反アンドロイドのデモで、幹線道路が封鎖された」
「はぁ? めんどくさい連中ね。なんでこっちの敷地内に入ってくるのかしら。うんざりよ」
母さんのこんな声、初めて聞いた。
苛立ってるとか怒っているとかごちゃまぜになったみたいで、皮膚がぎゅっと縮んだ感覚になった。
「次で左折する。迂回路は安全だ。帰宅予定より45分遅れるが、我慢してくれ」
「安全第一よね」
よく分からないけど、楽しくなさそうな会話だった。
せっかく今日は楽しかったのに、ちょっと怒っているみたいでなんだかぼくは目が潤んできた。
悲しいな。
手を伸ばすとさらさらしたものが触れる。
買ってもらったぬいぐるみだ。
ぼくは大きなシロナガスクジラをぎゅっと抱きしめて、もう一度、目を閉じた。