やさしさのレイヤーを積み重ねた午後
うららかな土曜日の午後、ぼくはケルシーの家のホームパーティに招かれた。
ぼくは小さなプレゼントを片手に、玄関で姿勢を伸ばした。
白鳥型アンドロイドに挨拶する。
ケルシーの家のセキュリティを担当する見守りバード、R.ジークフリートだ。ヨーロピアンな鋳鉄の玄関を守る白い姿は、おとぎばなしの騎士のようだった。
「こんにちは、R.ジークフリート。ぼくはケルシーのクラスメイトのパピア・マリオットです」
「ようこそ、マリオットくん。お久しぶりだね。ソレはケルシーへのプレゼントかな。ワタシも見たい」
R.ジークフリートは長い首をきょろきょろ動かす。
プレゼントはクラッカーバルーンに入れてある。もこもこペンでメッセージと花を書き、リボンでラッピングした。
くちばしの前にクラッカーバルーンを差し出せば、白い翼を羽ばたかせて、匂いを嗅ぐような挙措をする。嗅覚模倣センサでドラッグや爆発物のチェックしてるんだけど、動きが可愛いから悪い気はしない。
「キレイだ。きっとケルシーも気に入る」
案内されて、おうちに入る。
アイボリーホワイトの壁には、世界のいろんなの絵画が飾られている。原寸大で。
吹き抜けのてっぺんにある天窓はステンドグラスだから、日が降ってくるたびに壁や床に極彩色の模様が描かれる。有名な大聖堂のステンドグラスを真似したらしいけど、どこか忘れた。たしかフランス。
天窓の光を眺めていると、ケルシーがやってくる。
ロングのワンピースは、カラフルに染色されたステンレスオーガンジー。下にアンダーワンピースを着ていた。ステンドグラスの光を集めたみたいな服だな。
「いらっしゃい、パピアくん」
「グランマ回復おめでとう、ケルシー」
プレゼントのバルーンを渡す。
「ありがとう!」
ケルシーはリボンについているピンで、クラッカーバルーンを割る。
ぱちんと割れて、花びらめいた紙吹雪が舞う。登場したのは手のひらサイズの小瓶。小さな薔薇のブリザーブドが一輪、咲いている。
「サイコーね! グランマは薔薇が好きなの」
とびっきり嬉しそうにブリザーブドフラワーを受け取ってくれる。
今日のホームパーティーは、グランマの快気祝い的な集まりだ。膝の調子が悪かったそうだけど、臓器移植で回復したんだ。
リビングに案内される。
フレンチドアから芝生の庭へと続いていて、庭木に咲いている小さな白い花が眺められた。絵がたくさん飾られているから、絵画の続きみたいだ。
庭を眺めていると、お客さんがやってくる。
近所のひとや、ケルシーのバレエ仲間、まったく知らない相手ばかりだ。
礼儀正しく挨拶して、友達になれそうな感じなのか間合いを図っていく。仲良くなれそうな気配があれば、メッセアドレス交換だ。
お喋りしていると、奥から甘い香ばしさが漂ってきた。
ケルシーとグランマが、大皿をもってくる。
「自信作のアップルカスタードパイよ」
ケルシーの趣味はお菓子作りだ。
グランマに教えられて、果物入りお菓子を作っている。
とびきり大きなアップルパイが、テーブルに鎮座した。迫力と焼き目たっぷりの巨体から、果物と小麦が折り重なった厚みのある香ばしさを漂わせている。
美味しそう。
絶対的に美味しい。魂にどすんと伝わってくる。
ケルシーのグランマが切り分けてくれて、バニラアイスを好きなだけ添えてくれた。ぼくたちはあつあつアップルパイと冷たいバニラアイスを楽しむ。
さくさくのパイ生地からあふれる、甘く煮られたリンゴと火傷しそうな熱さのカスタード。でも止まらないくらい美味しい。
グランマが微笑みと一緒に、冷たいオレンジジュースを運んでくれた。
「たくさんあるから、ゆっくりね」
「ありがとう」
アップルパイをまたかじる。
あれ、なんかさっきよりおいしく感じる。
首を傾げていると、芝生の庭をR.ジークフリートが横切っていった。鋳鉄の柵に絡まる花を嗅ぐように、ときどき羽ばたき、優美に歩いている。
そうか、香りだ。
ケルシーのグランマの近くに、蜂蜜色のジュレが入ったグラスがあった。きらきらとしたラメに、何種類もの花びらが入っている。
あれはカクテルディフューザー、アンドロイド用カクテルだ。
「いい香りですね」
「ええ。オールスパイスジンジャーの香りよ」
上品に微笑む。
皺まできれいな笑い方だった。
ケルシーがやってくる。
「グランマ。オレンジスカッシュにして。氷も入れて」
「はいはい」
グランマは上品に立ち上がり、オレンジジュースを炭酸メイカーにかけてから、クラッシュアイスを入れる。
ぼくはアップルパイを食べ終わる。
「ケルシー。あのカクテルディフューザー、いい香りだね」
「サイコーでしょ。うちのアップルパイってね、グランマがカクテルディフューザーを飲んでいる時がいちばん美味しく感じるの」
アップルパイにオールスパイスなんだから、相性ぴったりだろう。
でもたぶんそういう調香的な話じゃない。
グランマが味わっている。きっと、そこが肝要なんだ。
ぼくはオレンジを飲み干して、きらきらとした午後の空を見上げた。
わたくしはきらきらとした午後の空から、視線を落とす。
おじいさまが入院された個室は、おそらく高級なのでしょうね。絨毯も柔らかくて、ひじ掛けも座り心地がいい。
でも、どうあがいたところで病院特有の臭いが染みついていた。弱ったり老いたりした病人が放つ空気に、消毒液の臭いが混ざり、鼻を突く。
死の跫が無音でこだまする。
「エレノア、そう暗い顔をするな。大仕事がひと段落して、気が抜けただけだ。若いころと違って体力が衰えている。それだけだよ」
おじいさまの声は優しかった。そして弱々しかった。
アルゴ重工との技術提携。
各部門の意見を調整し、調整しきれない箇所はおじいさまが断行し、提携を結べた。
その心労と疲労はいかほどだったか。
「おじいさま。ゆっくりと養生なさってください」
「そうもいかんな。来月にはアンドロイド・ペンギンチックの一般販売を発表する。メセナホール計画も大詰めだ。全体の統括はわしでなければ」
「優秀な部下ばかりなのでしょう」
「だからこそだよ、エレノア。努力と才能で登り詰めてきた実力者は、やすやすと他者に利を譲らん。信念も崩れん、意思も折れん」
ため息をひとつ吐く。
「いっそわしがいなければ何もできんのならば、延期も考えられただろうか、いや、延期はやはり難しい。機を逃す。ペンギンチックには社運がかかっている」
おじいさまの声は弱々しくとも、固い決意に満ちている。
そう、きっとわたくしがどう進言しても、あるいは泣き落そうとしたところで無為でしょう。おじいさまは決意と決断を続ける。
静まり返る病室で、テラスからは白鳥の羽ばたきが響いてきた。
パートリッジ社の開発したセキュリティ、アンドロイド・スワンだわ。
アンドロイド・スワンはとても美しい姿と愛らしい挙措をしているそうで、多くの人間が望んでセキュリティチェックを受ける。検査行動を感情的負荷なく実行できるユーザーエクスペリエンスの成功例。
「おじいさまを守ってくださっているアンドロイド・スワン、お名前は何でしたかしら」
「R.アルビレオだよ」
わたくしはR.アルビレオに改めて挨拶をした。
今までそんな余裕はなかったもの。
おじいさまは無言でわたくしを見据えていた。
「エレノア。お前がペンギンチックの会議に出席するか?」
「わたくしが?」
ただの孫娘で完全な部外者が、コングロマリットの重役会議に?
それはさすがに反発があるわ。
「会議で発言する必要もない。ただペンギンチックの購買層に近い存在を置いておけば、会議の錨になるだろう」
「おじいさま。わたくし、そこまで幼くないのですけど……」
眉を顰めてみせる。
12歳の乙女に対して、幼児向けアンドロイドの購買層に近いなんて無神経な。
「すまん、出席させる方便だよ」
「いえ、おじいさまでなくとも世間からすれば、わたくしも幼児も大差ないのでしょう。だからこそ孫娘を会議に出席させるなんて、耄碌したと思われかねませんわ」
「それならそれで部下たちの動きが読める。本当に耄碌してしまう前に、判断しておくことがあるからな」
不吉なことをおっしゃらないでほしい。
だけどこれは決断し続けてきたおじいさまの覚悟だわ。
己が決断できなくなった後、どうパートリッジ社が流れていくか判断しようとしている。
その最初の一手が、わたくし。
誉れ高い先兵だわ。
「謹んで出席させて頂きますわ、おじいさま」




