Chapter1 風船クジラはラグマットで泳ぐ
年長になってハーネスがなくなった。
背中が軽くなって、園庭で遊ぶのも楽しい。カラフルサンドの砂場で、ぼくは青だけ集める遊びをしていた。
「パピアくん、工作の時間だよ」
「うん、行く」
カラフルサンドをポケットに詰め込んで、館内に入る。
保育士さんが膨らませた風船を配ってくれた。
「今日はカラークラフト紙を貼ってお魚を作ってね」
カラークラフト紙は、青や赤、マーブルや金や銀や虹色。すてきな色ばっかり並んでいる。これをぜんぶ好きに使っていいんだ。
作るのは、クジラがいい。
イルカもアシカも好きだけど、かっこよさなら断然クジラだ。
魚でいちばんかっこいい。
夢中で青や紺や水色のマーブルクラフト紙を貼っていると、女の子が話しかけてきた。遊んだこと無い子だから、名前が思い出せない。
「パピアくんのお父さんって、モデルしてるの? パパの購読サイトで見たの! かっこいいのね!」
「モデルじゃないよ。主夫。でもこの前、ロボットの論文に出たよ」
ぼくは喋りながら、カラークラフトに糊をぬりぬりする。
「主夫で論文書いてるの?」
「父さんは家庭用アンドロイドなんだ」
「へー。綺麗過ぎるのに人間っぽいの、すごいわね。あたしのウチはね、グランマがアンドロイドなの!」
グランマって父さんか母さんの、お母さんだったっけ。
「あたしと血の繋がっているグランマって、いつもすごく意地悪言うの。それ意地悪だって言っても、全然、意地悪言ってるつもりないとか言うのよ。あたま悪いのよ。だからパパがね、サイコーのグランマをカスタムメイドしてくれたのよ」
血の繋がっている、家族。
ぼくには父さんと母さんがいる。
母さんはぼくをおなかで育てて、産んでくれた。
でも父さんはアンドロイドだ。
「せっかく素敵なグランマがいるのに、たまに血の繋がってるグランマに会わないといけないの。嫌な日。サイアク。パピアくんは血の繋がってるパパに面会しなくていいの?」
「いないよ。ぼくの父さんは、父さんだけだよ! ……血の繋がったなんとかなんて、いないよ」
「それってサイコーね! あたしもそうなりたい」
うちのリビングに、糊の匂いがいっぱいになっている。
父さんはぼくの風船クジラを真似て、風船イルカを作っていた。
風船に青いカラークラフトを貼りながら、幼稚園の話に耳を傾けてくれる。
「……父さん、ぼくにも『血のつながった何とか』っている?」
「遺伝上の父親か」
「そういうの言っちゃだめ! ぼくの父さんは父さんだけでしょ!」
父さんの膝を叩く。
血縁とかそういうオマケを付けたって駄目だ。許せない。
ぼくの父さんは、今いっしょに風船イルカを作っている父さんたった一人だけ。
「じゃあ遺伝子提供者って言えばいいかい?」
「うん。それなら、許す」
ぼくは頷いたまま、父さんに抱き着く。
「父さん。イデンシテーキョーシャがきたら、追い払ってくれるよね! ぼくを面会させたりしないよね!」
「それは心配しなくていい。この世にいないんだから」
「ほんと? 絶対?」
「ああ、絶対だよ。お前は父さんと母さんの子だ」
ハグされて、背中を撫でられる。
撫でられるたびに、ちくちくしていた気持ちが、ぱらぱら剥がれてどっかに消えていく。
イデンシテーキョーシャなんて、いらない。
でも、やっぱり、ちょっとだけ気になる。
「父さん。そのイデンシテーキョーシャは意地悪? 最悪なひとだった?」
「うーん……その話題はロックされているんだ」
「お話にもチャイルドロックあるの?」
「あるよ。映画やゲームにだってあるし、話題にだってある」
「じゃあ15歳になったらいいの?」
「もう少し先だな。お前が成人するか、大学に合格するか、あるいは……」
父さんは小さく吐息を漏らした。
「どの解除条件もずいぶん先の話だ。お前が飛び級して大学に行くのが、いちばん早い解除条件だな」
大学へ飛び級なんて出来るわけがない。母さんじゃあるまいし。
母さんは頭がいいから、頭悪いひとをイデンシテーキョーシャにしないんじゃないかな。
もしかしたら世界でいちばん賢くて、強くて、かっこいいひとだったかもしれない。でもそんなひとより父さんの方が好きだ。
「さ、イルカが完成したよ」
細長いフォルムに、隙間も皺もなく貼られた青のクラフト紙。
ぼくはソファからラグマットへ飛び降りる。
ラグマットは北米地図になっていた。五大湖以外の湖や河川もきちんと印刷されている。
「父さん。母さんは今どこにいるの?」
「マサチューセッツ州だ」
ぼくの自宅から、父さんが指を指したところへ進む。
「エリー湖ぐんぐん進みます。オンタリオ湖からモントリオール経由~セントローレンス湾に到着!」
地図通りにクジラとイルカを泳がせる。
「右手に見えますのが、かの有名なプリンスエドワード島です」
なんで有名なのか知らないけど、みんな知ってるプリンスエドワード島。そこから南下。
「マサチューセッツ到着!」
ラグマットの海を泳ぐ、風船クジラと風船イルカ。
こんな風に母さんのいるところまで、一瞬で行けたらいいのに。
研究で忙しいって分かってる。論文も書いているし、講演会やチャリティーもある。外国の学会にも行かなくちゃいけない。
でもぼくが起きてる時間にリモートでお喋りするのも少なくなっちゃった。それは寂しい。
不意に、父さんの耳に付けているデバイスピアスが、急き立てるように明滅した。
「パピア、母さんだ。金曜の夜に帰ってこれるみたいだ」
「えっ、ほんと?」
帰ってきてくれるなんて!
「何か月ぶりかな!」
「二十日ぶりだな」
父さんが困ったような笑いを浮かべ、ディスプレイを開いてくれる。
しばらく待っていると、母さんが映った。
金髪のベリーショートに、真っ赤な口紅。赤や白のマーブル模様のピアスは、大きくて目立つ。音楽チャンネルのひとみたいな恰好なんだけど、一応、白衣を羽織っている。
いつもの母さんだ。
「パピア! 私の真珠ちゃんったら、ほんとにカワイイわね。クレヨンの絵、送ってくれてありがとう。素敵な色だわ」
ものすごくニコニコしている。
お仕事ひと段落した顔だ。
「ね、週末には帰れるの、ほんと?」
「ええ。金曜の夜に到着予定よ。晩ごはんまでに帰れないけど、土曜日は久しぶりにお出かけしましょうか? みんなで出かけるならどこがいい?」
「イルカショーがいい!」
「また海洋科学館でいいの?」
「うん! 絶対にイルカショーだからね! 約束!」