バースディ・イブ
とっても長い夏休み。
誰だってサマースクールに通う。
予約してくれたサマースクールは、ケルシーやエデンといっしょだ。父さんも泊まれるから嬉しいな。
父さんはアンドロイドだから、ぼくとふたりで行ける場所や泊まれる施設が限られている。その中で、すてきなところを選んでくれたんだ。
「カヌーに乗れるの!」
広々と波打つ湖。そこを小さなカヌーでぐんぐん進む。
これって大冒険じゃないか。
湖にはアンドロイド・タートルたちが、ひれを動かして泳いでいる。すいーっと浅いところから深いところへ進む。特殊合金の甲羅が、日光を跳ね返してぴかぴかしていた。
「タートルたちも夏休みかな?」
「水質保全のパトロール・タートルだよ。お仕事中だ」
父さんがパドルで波を掻き分けて、タートルたちのいる方向に進んでくれる。
湖にきらきらが増えている。
ぜんぶタートルだ。
「パトロール・タートルは外来種を逮捕しているよ。他に異常を発見したら、専門のタートルに通信する。PCBの無害化処理タートルや、産廃運搬タートルが出動するんだ」
「出動するのいつ?」
「人類が失敗したり、悪い事をしたら出動する」
「だったら、出動しない方がいいね」
アンドロイドたちに嫌われたくない。
「そう。出動なんてしない方がいいんだよ」
父さんは優しく囁いて、パドルを大きく漕いだ。涼しい風が舞い上がり、水飛沫たちが跳ねる。雫は青空と水面に跳ね返って、光といっしょに散っていった。
サマースクールでキャンプ体験。カヌーに、ハイキング、釣りやバードウォッチング、日暮れにはキャンプファイヤー。
あんまり天気が良くないと、工作したり、フランス語のレッスンになる。フランス語でゲームや合唱はいまいち。
でも父さんといっしょだし、サマースクールで仲のいい友達もできた。
母さんとは会えないけど。
もうすぐ、ぼくの誕生日なのに。
サマースクールで誕生日を迎える子は、みんなで祝ってくれる。それは楽しそうだけど、やっぱりなんか寂しい。
キャンプ施設のリクリエーションルームは、やたらにカラフルだ。
でも窓の彼方は、曇り空。
明日、雨降りだったら、またフランス語でゲーム大会か合唱かな。あんまりおもしろくない。ちょっとの雨降りくらい、カヌーやればいいのに。
そんなこと考えていると、父さんがやってきた。
「パピア。明日は雨だし、父さんとキャンプを抜け出すか?」
キャンプを、抜け出す?
「だめだよ! 叱られるよ!」
ぼくだって抜け出したいけど、そんなことしたら父さんが怒られる。
「実子でも誘拐になるよ。そうしたらパトカー来ちゃうんだよ!」
「お前は賢いな」
父さんはいつも通り穏やかに微笑む。
ぼくは真剣に話しているのに、どうしてそんな暢気なんだ。誘拐になったら刑務所なのに。
「実はキャンプの責任者に話を通してある。きちんとな」
「ほんと?」
「もうすぐ誕生日だろう。母さんも会いたがっている」
「最初から言ってよ!」
「……母さんが忙し過ぎたら、会えないかもしれないから、つい」
「そんなこともう分かってるよ。母さんは天才科学者で、すごいひとなんだ。知ってる。ぼく小学生なんだよ!」
「すまない、パピア」
父さんは静かに謝ってくれた。
まったく、なんてこった。
ぼくはまだ物分かりの悪い幼稚園児だと思われているんだろうか。心外だな、とっても。
「誕生日、母さん来るの?」
「明後日の誕生日は来れない。だけどバースディ・イブに、小さなパーティー会場を用意した」
バースディ・イブ。
なんかわくわくする響きだった。
「母さんと父さんしかそこに行けない。遠いから。お前が望むなら、明日はそこに行こうか」
「うん! 行く!」
ぼくはわくわくしながら、寝床に入る。
明日はバースディ・イブなんだ。前夜祭。母さんがぼくのお誕生日を祝ってくれるぞ。
とろっとした眠りの中、一瞬だけ寒い。でもすぐふわふわしてきた。
なんだろう。
揺れる。パタン、って音。
自動車のエンジン音がまくらの下から響く。どうして。
眠い。
目を覚ましたら、そこは王さまの部屋だった。
ぼくの寝てるベッドは広くて、でんぐり返し連続で出来る。それに、ほら、王さまが寝てる時にかけてるテント。それが掛かってる!
ベッドの周りも、すごい。
たっぷりとしたカーテンが掛かっていて、その間にお花がいっぱい飾られている。絨毯も模様たくさんだ。
きょろょろしてると、甘くてふわっとした香りが近づいてきた。
「おめざめ、私の真珠ちゃん」
「母さん!」
「お誕生日おめでとう、パピア」
優しい甘さが、ぼくをぎゅっと包んでくれた。
母さんはドレスじゃない感じのドレスを着ていた。すとんとした形で、夜明けみたいな紫。腰のベルトや手袋は真っ赤。孔雀の羽根を、ベリーショートの金髪に飾っている。
「お姫さまより強そう!」
ぼくの言葉に、斜め後ろから笑う声がした。
父さんもいた。
「強そうか」
「うん。強そう!」
ぼくの言い方おかしかったかな。
「じゃあお姫さまより偉そう!」
「そうだな。母さんはお姫さまより偉い」
うんうんと頷く父さん。
「褒めてくれて嬉しいわ。私の可愛いパピア、しばらく会えなくてごめんなさいね」
「でも誕生日は忘れてないよ。偉いよ」
「ありがとう」
ぼくはパジャマだったけど、父さんは新しい服を用意してくれた。
欲しかったジャケットや、かっこいいスニーカーも。
豪華な部屋のテーブルに、シンプルな朝ごはんがあった。トーストと目玉焼き。それからクラムチャウダー。
「父さんが作った朝ごはんだ」
「よく分かったな。キチネットだから大したものは作れなかったが」
だって父さんの焼いたトーストは、完璧にぼく好みの焼き加減なんだ。
キャンプだと父さんの手料理がなかったら、今日、食べられて嬉しい。
母さんといっしょに食べる。
ディスプレイじゃない母さんは久しぶりで、不思議な感じだ。母さんが同じ空間にいる。面白い。
ぼくはたくさんお喋りした。
カヌーでアンドロイド・タートルたちを追ったことや、天然の鳥や星空の観察。フランス語でやったあんまりおもしろくないゲーム大会も話した。
「ほんとは湖で泳げたらいいのに。アンドロイド・タートルと泳げたら面白いよ」
「そういう施設があれば、また探しておくわ。このホテルにプールはないけど、宿泊客限定のヴァーチャル・アクアリウムがあるの」
「アクアリウム! 行く!」
朝ごはんを食べて、部屋から出る。
高級そうな絨毯の廊下が続いていて、壁には魔法使いの杖みたいなランプが並んでいる。お城かと思っちゃうくらいだけど、ここはホテルなんだ。
エレベーターで地下へと降りる。
「わあ……」
薄暗い空間で、暗いせいでどこまで広いかも分からないし、天井の高さだって分からない。
とにかく水の柱がいっぱいあった。いろんな光に染められた水の柱の中で、魚たちが泳いでいる。
硝子に隔てられていないのに。
「あ、これ、噴水なんだ」
水飛沫と水蒸気のあいのこみたいなのが床から噴き上がっていて、そこに魚が映し出されているんだ。
母さんがやってくる。赤い手袋をした指先でそっと水に触れると、魚たちが寄ってきた。
「これはアクア・ボリュメトリック。水に三次元映像を映すのよ。きれいね」
「うん、きれいがいっぱいだ」
南国の極彩色の魚、北極の幻想的な魚、いろんな魚がいる。
水の中を泳いでいるのか、光の中を泳いでいるのか、分からなくなってくる。
そういえば静かに音楽も流れている。
ヴァーチャルシンガーの歌だ。人間には発声できない音声で、人類の言語じゃない歌詞。なんだかまるで陸に上がったクジラが歌っているみたい。
ぼんやり眺めていると、ギャルソンが音もなくやってきた。表情は柔らかいけど、アンドロイドっぽい雰囲気だ。
「いらっしゃいませ」
「私はシャンパンを、いちご入りで。パピアは何を飲む?」
あ、ここカフェなんだ。
「ココア! 誕生日イブだから、アイスクリームと生クリームの乗った冷たいココアにしていいよね。ぼくもいちご入れてほしい。でも氷は入れちゃだめ」
「畏まりました」
ソファに掛ければ、小さなテーブルにいちご乗せのココアとしゅわしゅわシャンパンが運ばれてくる。
うん、誕生日って感じの飲み物だ。
豪華なココアを飲みながら、ぼくは幻想の魚たちを眺める。
水の柱が動いて、細長くなる。泳ぎ出したのは、宝石細工じみたグッピーたち。
時間で魚が変わるんだ。
じゃあ、そのうちクジラやイルカが登場するのかな。
待ち構えていると、水の柱のかたちまで変化する。細長く立ち並び、魚もグッピーから熱帯魚に変化した。水が寄り集まって太い柱になれば、深海のシーラカンスへ移り変わる。
そして水は幕みたいになった。
「わあっ……!」
くじらだ!
幻影のシロナガスクジラが身を捩り、大きな水幕を横切っている。
ぼくが水族館の水槽の中に沈んだみたいだ。
意識が海に呑み込まれていく。
眠る直前みたいに心地よい。
「パピア、アスレチック広場もあるけど……」
「ここにいる」
ぼくは幻想のアクアリウムに沈む。
父さんと母さんはヴァーチャルシンガーの歌に合わせて、緩やかなチークダンスをしていた。
本当の誕生日はサマースクールで、賑わしいパーティーを開いてもらった。
カラフルなリクリエーションルームに、風船いっぱい飾り付けて、ビビットなカップケーキを食べる。みんなにハッピーバースデーを歌ってもらって、ぼくの好きなゲームをした。
友達とはしゃぐパーティーは楽しかったけど、あのアクアリウムで過ごした時間は忘れられない。
まるでこころの水底に、幻想の水槽をひとつ貰ったみたいだった。