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五月病

 昔、うちの近所には小さな神社があった。敷地の一部が公園になっていて、隣はゴミステーションだ。普段は犬の散歩に来る人や、子どもの遊び場になっている。


 その日は朝の八時四十五分というタイミングのせいか、がらんとしていた。そして唯一の遊具である古いブランコの上に、缶コーヒーが座っていた。


(何でこんな所に置いてあるんだろう……?)


 当時、小学校三年生だった俺は他愛ない好奇心で、もう一つの空いているブランコに座り考えた。葉桜の下。水色のランドセルを背負ってぼーっとしていた、その時だ。


「あれぇ? そこ、君の席だったぁ?」


 声にびっくりして飛び上がりそうになった。

 知らない女の人が、公園の入り口に立っていた。


 背中まで届く長い黒髪に透けるようなベージュ色のニット。黒のミニスカートから細い足が思いきり出ていた。仄かに漂う甘い香り。上を向いた睫毛。要するにきれいな女の人が、コンビニの袋を片手に提げて俺に話しかけてきたのだ。


「近所の子かなぁ? こっちのブランコ使いたかった?」

「別に……いいです」

「あ、ここに空き缶捨てたりしないから大丈夫だよぉ。ちょっとタバコ買いに行ってただけなのぉ」


 女の人は赤いロゴの缶を手に取ると、俺の隣のブランコに腰かけた。


「お腹すいちゃってさぁ。お菓子も買ってきたのぉ。食べるぅ?」


 ショートブーツのつま先を地面につけてブランコを揺らし、コンビニ袋へ手を突っ込んでいる。

 黒目がちの大きな目が、ちらっと俺を見た。


「え……いらない」

「えらいじゃぁん。知らない人からモノもらっちゃいけないんだよねぇ」


 お利口さん、とでも言いそうな。妙に間延びした口調で喋りながら、女の人はにっこり笑った。ちなみに煙草もお菓子も袋の外には出て来なかった。ドギマギしている俺に、女の人は尚も人懐っこく話しかけてくる。


「学校はぁ? 体調悪いのぉ?」

「悪くない。これから行く」

「あちゃ~、遅刻かぁ。寝坊しちゃったぁ?」

「寝坊はしてないよ。いつもばあちゃんが起こしてくれるし。でも準備とか時間がかかって。登校班のみんなには先に行ってもらった」

「それで一人で登校なんだぁ」


 あはは、と笑った。

 何なんだろう……? と少しは怪しむ一方で、俺はそんなに拒否感なく喋っていた。相手が美人だったのが第一理由だろう。


「朝ってダルいよねぇ。私も子供の頃なかなか朝起きられなくてさぁ。遅刻して、親に怒られたなぁ」


 ブランコの錆びた鎖に細い腕を絡ませ、二十歳くらいと思われる女の人は明るく言った。並んだブランコの距離が安全に保たれているせいか、不思議な親しみやすさで俺も緊張が薄れて来る。


「うちのママも怒るよ?」

「ありゃ、怒られたのぉ?」

「めっちゃ怒るし怖い。この前も家でゲームしてたら『ママこんなに必死なのに、どうして無神経に遊んでられるの!?』ってキレてた。受験があるからさ」


 昨日もきつく怒られたばかりだった。

 ゲームに夢中になって、提出期限のプリントの準備を忘れていたのがバレたのだ。自業自得なのだが不機嫌になっていた俺を横から覗き込み、女の人が首を傾げた。


「……あれぇ? 君、何年生?」

「小学三年」

「だよねぇ。三年生でもう受験勉強なんだぁ。すごーい」

「でも勉強好きじゃないし、やりたくない」

「三年生じゃ、そうかもねぇ。ゲームの方が好きかな? それパラモンだよねぇ。やってるの?」


 目ざといというか。女の人は俺がランドセルに付けていた『パラレルモンスター』の反射材を見つけて尋ねてきた。むしろ彼女が見つけようとしたのは、この場を沈黙させないための話題だったのだろう。しかしそこに気付けるほど俺には人生経験がなかった。俺みたいな子どもとゲームの話しをしたがるなんて子どもっぽいお姉さんだな、とか思っていた。


「今はそうでもない」

「えー、どうしてぇ?」

「昨日……学校でクラスのみんなとパラモンの話ししてたら『どれが一番カッコいいか』って話しになってさ。俺が『ルビーロードタイガー』って言ったら、植田が『古くない?』って言うし。磯村にも『今はアルカイスドラゴンだろ』とか言われて、ちょっと嫌な気分になったから……」


 クラスの友達に自分を否定された気がした。本音を言っちゃいけないのかなと、俺なりに結構悩んでいたのだ。俺は成績も底辺で、『出来が悪い上に手のかかる面倒な子』として担任の教師からも存在を無視されていた。友達まで失うのは、大問題だったのだ。

 すると女の人は薄い眉毛を八の字の形にして笑った。


「でもさぁ、最新版じゃなくてもカッコイイのってあるよねぇ。『カッコ良さ』だって好みの違いでしょぉ。次はそう言ってみたらぁ? 『俺は今もこれが一番カッコイイと思う』って!」


 意外と、真面目なアドバイスをくれた。生意気盛りの俺はちょっと嬉しかったが、まだふてくされた顔をしていた。


「うん……でも、そういう感じに色々あってさ。あんまり学校行きたくないんだけど、ママが怒るよなって……」

 そんな愚痴まで、ぽろっと零してしまったのだ。


「きっとママは心配してるだけだよぉ」

 うんうんと頷いた女の人は、瑞々しいピンク色の唇で可愛い曲線を作った。


「わかってるよ。俺が小学校受験失敗したから、ママ必死なんだよ。中学受験はすごく大事だってパパや塾の先生も言ってたし。それでも何か疲れたっていうかさ……」

「疲れちゃう日もあるよねぇ。それに今ちょうど五月でしょぉ。五月病だよぉ」

「五月病って何?」

「うわぁ五月病知らないかぁ……若いなぁ」


 女の人は喉の奥で、笑いを押し殺している。

 何だかそれを見ているうちに俺の内側の強張りや、心の蟠りは解けていた。


「お姉さん、会社は?」

「今ねぇ、春休みなのぉ」

「ふーん……迷子じゃなくて?」

「迷子ぉ!? 迷子で公園に来てるように見えた? あははは、違うって!」


 俺の質問に、正体不明の女の人は空を仰ぐと大口を開け、蹴られた空き缶みたいな声で笑っていた。嫌な気はしなくて、俺も一緒に笑った。と、そこで公園前の道を歩くばあちゃんを見つけた。


「あ、ばあちゃんだ!」

 思わず出た俺の声に、ゴミ袋を提げたばあちゃんもこっちを見た。


「あら、ユウヤ? まだこんなとこで遊んでたの? 早く学校行きなさい、また先生から電話かかって来るよ」

「はーい」


 ばあちゃんに叱られた俺は、仕方なくブランコを降りた。


「学校から連絡来るんだぁ? そりゃ来るかぁ」

 ばあちゃんに姿を見られても、女の人は相変わらず足でブランコをゆらゆらさせている。


「うん。でも、ばあちゃんが握り潰してくれるから、ママたちは知らない」

「おばあちゃんダイナミックぅ……」

 俺が言うと、その時だけは目を丸くしていたけど。


 ばあちゃんはうちの隣に住んでいて、俺には結構甘かった。厳しい時もあったけど、何をしてもあまり怒られなかったし俺もばあちゃん子だったのだ。共働きで忙しい両親に代わって、生活の殆どのことをしてくれていた。

 今も感謝している。


 ちなみに、ばあちゃんは俺が学校へ行った後、あの女の人と立ち話をしてどこの誰なのか情報収集をしていた。昔から何故かそういうのが上手いばあちゃんなのだ。


 ばあちゃん情報によると、女の人の名前は板垣凛。

 近所のマンションで二年前から一人暮らしをしていた。

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