蝶々が結ぶご縁 氷の令嬢と呼ばれるお嬢様が、この度お見合いをなさることになりました
私のお仕えするシュブラン伯爵家のお嬢様――アマリア様はとても美しい少女である。
艶のある白銀の髪はゆるくウェーブを描き、紫水晶の輝きを宿す瞳はきらめきを宿し、黙って座っていらっしゃるお姿は、名工の作り出したお人形のようだ。
性格は控えめで、それがまた奥ゆかしい。
あまり感情的になられることもなく、日常でお話をする必要がある際も、微かに頷くか首を振ってお返事なさることが多い。
だからこそ、たまに微笑まれるお顔を見ることができたときは、とても嬉しくなる。
アマリア様のお世話をする私、エマ・バルテルは、男爵家の生まれだ。
髪は茶色く、瞳は薄い鳶色をしており、よく可愛らしいとは言われるけれど、自分ではあまり目立たない容姿だと思う。
行儀見習いとして、三年前からこの伯爵家にお世話になり、年齢が近いからと伯爵家にお世話になってから、割と早い段階からアマリア様のお世話をさせて頂いている。
今では気軽に話しかけていただけるけれど、最初は声を聞くこともほとんどなかった。
当時、まだ十歳になられたばかりのアマリア様は人見知りで、私に慣れて頂くまでに一年程いただいた。
シュブラン伯爵家に来て一年を少し過ぎた頃の話である。
もともと、侍女の私にも分け隔てなく優しく接してくださっていたが、実家にいる弟が風邪で寝込んだときには、私に休みを取らせるように手配し、お見舞いにと高級な果実まで持たせてくださった。
やんちゃな弟が珍しく寝込んだと聞いたものだから、心配でたまらなかった私には大変ありがたかった。
なお、弟はただの風邪で、普段口にすることができない珍しい果実に興奮し、風邪などすぐに治ってしまったようだ。
おかげで予定より早く戻ることができた。
アマリア様は、仕事へと復帰した私に『もう、大丈夫なの?』と、お声がけまでしてくださった。
それは、心配げながらも私が戻ってきたことを喜んでいらっしゃるご様子で、私はさらにアマリア様のことが好きになった。
そんな大好きなアマリア様のことについて、一つ気がかりなことがある。
昨年から奥様と共にご参加なさるお茶会で、同年齢の子供たちに影で『氷の令嬢』と呼ばれているのだ。
初めて参加されたお茶会で、緊張のため、うまく表情を作れずにいらしたのが原因のようだ。
こわばった顔になるよりはと、無表情を貫かれたのがよくなかったのだろうとは思う。
そのような呼びかけを直接されたことはないが、それでも、噂として自然と耳に入ってしまうのである。
奥様はアマリア様に『そういうところ、あの人に似ているわ。あなたの微笑みを武器にできれば、きっともっと素敵なレディになれるわ』と言われるけれど、なかなか極度の人見知りは治らないようだ。
ちなみに、奥様の言われる『あの人』というのは、アマリア様のお父上の伯爵様ことである。
シュブラン伯爵家の家長であり、アマリア様の髪色も瞳の色もお父上譲りだ。
ご当主様は、昔からあまり表情が変わらず、奥様曰く、当時の社交界では『シュブラン伯爵家の氷の貴公子』といわれて、未婚の女性たちから人気だったそうだ。
人気ではあったそうだが、無口で、誰と話す時もほとんど表情が変わらず、ご令嬢たちからは遠巻きにされていたという。
それは、当時はまだご婚約者だった奥様に対しても同じで、他のご令嬢への対応とほぼ変わらなかったそうだ。
そんな話を、私はアマリア様と共に庭のテラスでお茶をしながら、奥様から伺っていた。
私以外の侍女は下がっており、侍女の中では私だけ同席するように言われ席に座っている。
最初は良いのだろうかと思ったけれど、奥様のお話に引き込まれて、次第に気にならなくなっていた。
「奥様は、ご結婚にご不安などはなかったのでしょうか?」
思わず尋ねた私に、奥様は優雅に微笑まれる。
「そう。私も、当時、あの人に好かれてはいないようだと思っていたわ。だから、もし私のことがお好きではないのならと、結婚前に『婚約解消をお望みでしょうか』と、お尋ねしたのよ。
当然、反応はなかったわ。だから『解消をお望みでしたら、私も従います』とだけお伝えしたの。
私の気持ちさえ伝えておけば、あとはあの人がなんとかすると思っていたのね。だから、私からは何もしなかったんだけれど、次にお会いする時にね、――」
昔を思い出すように、奥様は庭のバラ園を眺められる。
「この庭だったわ。
バラの盛りで、色とりどりのバラが咲いていた。
その中で、赤い十二本のバラの花束を持って、ひざまずいて、求婚されたの。
『口下手で、いつもうまく想いを伝えられていなかったけれど、私にとってはあなたは唯一の人だ』って。
その顔が真っ赤で、どうやら私は嫌われてはいないってそこでようやくわかったわ」
「素敵ですね」
「そうなの」
奥様は、はにかむように微笑まれる。
とてもかわいらしいご様子だ。
アマリア様も、おそらくは初めて聞くのだろう、ご両親のなれ初めを目をキラキラさせて聞いておられる。
「それでね、承諾の返事をしたら、とても嬉しげに微笑まれて、その表情に、私は胸を打ち抜かれたわ。
だからね、あの人に似ているアマリアも、もう少し表情を作れるようになれば、味方が増えると思うの」
奥様はそこで、表情を引き締められた。
「アマリアも、もうすぐ十四歳になるわ。
知っていると思うけれど、今度、婚約者候補のジェレミオ・オレール様とのお見合いがあるの」
「はい」
「もしそこで問題がなければ、そのまま婚約は結ばれる。
もちろん、アマリアが嫌なら無くなる話だけれど、お相手の方もオレール子爵家にも嫌な話は聞かないし、きっと大丈夫だと思うわ。
アマリアも今まで努力しているのは知っているけれど、できたら、その日のためにもう少しだけ頑張ってほしいの。
できるかしら?」
「はい」
「エマも、アマリアをできるだけ支えてあげて」
「かしこまりました」
ちなみに、エマというのは私の名だ。
うなずいたアマリア様と私に、奥様はご満足された様子だ。
そうして、その後も少し奥様のお話を聞いてから、お茶会は終わった。
この話をするために、奥様は私たちを呼ばれたのだろう。
アマリア様と共に部屋に戻ると、アマリア様が覚悟を決めた表情で私を呼ばれる。
「エマに、お願いがあるの」
「何でございましょう」
その張り詰めた様子に、私も緊張しながらお話しを伺う。
「笑顔の、練習に、……つきあって、ほしいの」
アマリア様のお声は緊張のためか、少し震えている。
「笑顔ですね! もちろんでございます」
私の返事に、アマリア様はほっとされたようだ。
奥様は、表情を作る練習と言われていたけれど、お見合いまで十日程しかない。
聡明なお嬢様は、表情を笑顔のみに絞ることになさったのだろう。
笑顔の練習といっても、何をしたらよいだろうか。
まずは、鏡の前で、笑顔を作って頂く。
ほんの少し、口角があがるだけで、お嬢様の表情が柔らかく見える。
「ああ、春の日差しのように柔らかな微笑みですわ!」
心のままに褒め称えると、アマリア様の微笑みが消え、不安そうなアマリア様と鏡越しに目が合う。
「エマはいつも私を褒めてくれるけれど、お世辞ではないのよね?」
「まさか! 心からの賛辞です!」
「では、お母様は、これで良いとおっしゃると思う?」
「そうですね……僭越ながら、私には破壊力が絶大でしたが、奥様の前ではもう少し深く微笑まれる必要があるかもしれません」
「深く……?」
「もう少し、口元のこの部分を引き締めるのです」
鏡越しに、私は自分の口角を指さして、微笑みを作る。
「こう、かしら……?」
それを真似て、アマリア様が再び笑顔をお作りになる。
今度は、先ほどよりも口角があがり、ただでさえ可憐なアマリア様の雰囲気がさらに華やいだ。
「ああ!春の日差しで、雪どけが……!
アマリア様の至高の微笑みを拝見できて、天にも昇る心地です!
奥様も、きっと喜ばれると思います」
感動する私に、アマリア様もほっとされたようだ。
「……どうやって維持したらいいかしら」
「そういえば、同僚の者が、笑顔を自然に浮かべるためのトレーニングがあると申しておりました。
詳しくは伺っておりませんので、明日聞いて参ります」
頷くアマリア様に、なんとしても聞いてこなければと決意したところで、婚約者候補のジェレミオ・オレール様の名に聞き覚えがあることに思い至った。
「そういえば、今度お会いになるオレール子爵家のジェレミオ様は、以前、お茶会で助けて頂いた方ですね」
以前出席したガーデンパーティで、アマリア様の蝶が肩に止まった時のことだ。
お嬢様は虫が苦手で、私も、得意ではない。けれどおびえておられるお嬢様のためにも、なんとか追い払おうとしたのだ。
だというのに、ハンカチで払っても蝶はお嬢様から離れず、かといって、捕まえようとすれば羽を開閉させ、うまく捕まえることができない。
焦っていた際に、同席していた子爵家のご令息のジェレミオ様がさっと蝶を捕まえて離れたところに逃してくださったのだ。
パーティの後、ジェレミオ様にお嬢様がお礼状をお送りして、その後も文通が続いていた。
「よかったですわね」
おそらくは、アマリア様には、ジェレミオ様へのご好意があるのだろう。
頬をかすかに染めて頷く姿にキュンとなる。
これは是非とも、微笑み作戦を成功させねば。
それからお見合いの日まで、鏡の前で笑顔の練習をされるアマリア様にお付き合いをした。
笑顔のためのトレーニングも、毎日行って頂いた。
そうして、あっという間にお見合いの日となった。
オレール子爵の所有する邸宅を伯爵家ご夫妻とアマリア様とでご訪問されるそうだ。
私もアマリア様付侍女として、同行を指名された。
少しでもアマリア様の緊張をほぐすことができるようにというご夫妻の配慮のようだ。
確かに、あんなに練習を行ったのに、本日のアマリア様のご表情は硬い。
伯爵家の玄関に向かいながら、奥様がアマリア様に話しかけておられる。
「アマリア、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
「そうだ。ジェレミオ君とは文通をしているのだろう?
何も心配することはないよ」
伯爵様のお言葉にも、アマリア様は微かにうなずくと顔を伏せられる。
その様子に、奥様が私に目配せをなさる。
きっと、なんとしてもフォローしろということだろう。
私は、頭を下げ、無言の命令をうけたまわった。
オレール子爵家の邸宅は、小さなお城のようだった。
馬車を降りると、オレール子爵家一同の出迎えがあり、邸宅の中を説明されながら部屋へと向かう。
中の調度品が見事なことはいうまでもないが、それよりも気がかりがあった。
アマリア様の表情が硬い。
やはり緊張が強いのだろう。
その後、見事な天井画のある応接室に落ち着いて、少しお話をされた後、オレール子爵が言われる。
「ジェレミオ。私たちはしばらく大人だけで話をする。その間、アマリア嬢にお庭を案内して差し上げなさい」
「わかりました」
私は奥様にアマリア様についていくように言われ、共に席を立つ。
ジェレミオ様の方も騎士様が一人ついてくるようだ。
騎士様は短く刈り込んだ黒髪に、私よりも少し濃い鳶色の瞳だ。
そして、ジェレミオ様の案内の元、オレール家の邸宅の庭に向かった。
庭には珍しい異国の草木も植えられていた。
それを見ながら、ジェレミオ様がアマリア様に話をしておられる。
「この間の手紙にも書いたけれど、この花は、去年この国に入ってきたばかりの品種なんだ。
花のある時期にアマリア嬢に見せることができてうれしい」
「……美しい花ですね」
答えるアマリア様は、練習の成果もあり、口元に微笑みは浮かんでいるが、どこか表情が硬い。
はらはらするけれど、問題なく会話を続けておられる二人の間に割り込むわけにもいかない。
救いは、ジェレミオ様がアマリア様の硬い表情をあまり気にしたご様子ではないということだろうか。
「手紙でも、花が好きだといっていたものね。
ここもきれいだけれど、カントリー・ハウスの方は、もっとすごいんだよ。
きっと気に入ると思う。それに、あっちには、温室もあるんだ。
アマリア嬢が良ければ、いつかそちらも案内したいな」
「……楽しみにしております」
なんとか答えるアマリア様に、ジェレミオ様はあっという顔をなさる。
「まだ婚約も結んでいないのに、気が早かったかな」
「いいえ」
自然体に近いジェレミオ様に、アマリア様は硬い雰囲気のままだ。
それは受け取りようによっては、拒絶を示しているようにも見える。
ジェレミオ様も、さすがにアマリア様の表情をはかりかねたのか、困ったように眉を下げている。
見かねた騎士様が、声を落として私に問う。
「シュブラン伯爵家のお嬢様は、若君と文通をなさっていると伺っていましたが、若君にあまりご興味があられないのですか?」
「いいえ。お嬢様はいつも若君からのお手紙を心待ちになさっております。
本日は、少々緊張をしていらっしゃるようです」
「そうでしたか」
私の答えを聞いた騎士様は、用心深くアマリア様を注視している。
他家の私の言葉だけを信用するわけにはいかないのだろう。
その時だった。
お茶会の時にアマリア様にとまったのと同じ種類の蝶が、ひらひらと飛んできた。
「あれは――」
「あの時と、同じ種類の蝶みたいだね。こっちに来そうだ。失礼」
そういうと、ジェレミオ様がアマリア様の肩に手を添えて、わずかに引き寄せられる。
「あ――」
アマリア様は突然のことに顔を赤くされている。
けれど、ジェレミオ様はアマリア様の様子に気づくことなく、視線は蝶の行方を追っていた。
そうして、蝶はアマリア様の近くにある薔薇の花に止まった。
「今日は、大丈夫みたいだね」
「ありがとうございました」
ほっとした様子でアマリア様に視線を向けたジェレミオ様は、頬を染めたアマリア様に気づかれたようだ。
「失礼。痛くなかった?」
「はい」
アマリア様に釣られたように、ジェレミオ様の頬も染まり、なんとなく甘酸っぱい雰囲気が満ちる。
騎士様は、そんな二人の様子に納得したのか『なるほど』と頷いている。
そうしている間も、蝶は蜜を吸いながらゆっくり羽を動かしていた。
アマリア様とジェレミオ様は立ち止まってその様子を見守られ、蝶はしばらくすると飛び立って別の方へと飛んでいった。
「行ってしまいました」
「あちらには花畑があるから、そちらに行ったのかもしれないね」
「花畑ですか」
「珍しい花はないけれど、今は一面に花が咲いていて、見事なんだ。よかったら、行ってみる?」
ジェレミオ様の花畑という言葉を聞き、アマリア様が頷かれる。
その表情からは大分緊張がとれており、ジェレミオ様からも先ほどの困惑は見えなくなっていた。
「そうだ。移動する前に花を切らせようか。
持って帰るといい。アマリア嬢はどの花が好きだろうか?」
「どの花も美しいです」
「薔薇は好き?」
「はい」
「では、せっかくだから、先程蝶が止まっていたのと同じ色のにしようか」
側にいた騎士様が進み出て、鋏をジェレミオ様にお渡しする。
ジェレミオ様は慣れた手つきで花を選ばれる。
そして、咲きかけの瑞々しい薔薇の花を選ぶと適度な長さに切り、葉や棘を落としアマリア様に差し出された。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
渡された薔薇の匂いを堪能したアマリア様が花がほころぶように微笑まれる。
奥様なら、そこに『園芸がご趣味なのですか』等、相手の話を促すような言葉を添えるよう指導なさるだろう。
けれど、言葉がなくとも、アマリア様の自然な微笑みはジェレミオ様の琴線にも触れたようだ。
ジェレミオ様は衝撃に固まっておられる。
けれど流石と言うべきか、すぐに持ち直されたようだ。
「……父の趣味なんだ。
僕も手伝っているうちに得意になって。変かな?」
「いいえ……その、とても素敵だと思いました」
アマリア様は、ジェレミオ様の様子に気づかれてはいないようだ。
それに、いつもよりも口数を増やそうと頑張っておられるのが伝わってくる。
アマリア様の添えた一言に、ジェレミオ様も嬉しげだ。
きっと、もう大丈夫だろう。
私は、お二人の幸せな未来を予感した。
隣にいる騎士様も同意見のようで『どうやら大丈夫のようですね』と頷いている。
後日、吉日を選んで、お二人の婚約は結ばれた。
お二人が結婚される際は、私もアマリア様と共にオレール子爵家に向かうと決めている。
可能な限り、おそばでお二人を見守らせていただきたいと思っている。