虹二重
近頃の私は日のあるうちはなんだか頭に霞みがかかったようにぼんやりして、日が落ちてからようやく思考がはっきりしてくるような、そんな日々をおくっておりました。漠然とつまらない昇華の日々。別に死にたいとも思いませんが生きていたいとも思えない砂を噛むような毎日に嫌気がさして、できることなら、ずっと眠っていたいと、心の内で願ってはいるものの、色の無い日常のために仕方なく働いておりました。
今朝も起き抜けに宿酔いの頭でそんなことを考えながら夕暮れ近くまで布団の中で過ごした後、これといった用事もありませんでしたが、惰性の日々に生き長らえている我が身へのささやかな戒めのつもりで外出することにしました。馴染みのバーに行くつもりで夕陽を受けて黄金色に輝く住宅街をとぼとぼと歩き始めました。
近所の小学校の傍にある旧家の前を通りかかったとき、その庭の大樹を見上げるつもりで私は視界を上へ向けました。
別段、なんの期待もしていなかった私の眼に飛び込んできたのは大きな、鮮やかな虹でした。久しく目にしていなかった神聖な七色に私はうっとりと見とれてしまいました。言葉はなんにもありませんでした。ただただ、自然だか神だか、わからない大きな存在が与えてくれた幸運を享受することしかできずにいました。
私は歩みを速めて国道へ出ると、歩道橋の階段を上り始めました。振り返ると、空に薄く雲がかかって、くっきりした虹がスクリーンに投影されているようでした。階段を上りきった頃には水晶の欠片みたいな小雨が西日に煌めいて金箔のごとく降り注いでいました。夕日を背にして空を仰ぐと美しい七色の孤が二七〇度ほども展開されておりました。歩道橋には誰も上ってきません。私はなんだか天上の主が、大切にしている宝物を、秘密裏に、それも特等席で見ているような、そんな贅沢な心持ちにありました。それほどまでに金箔降り注ぐスクリーンに映し出された虹は見事だったのです。私は雨足が少し強まって眼鏡にいくつもの雫が現れるのを気にもしないでしばらく愉悦に浸っておりました。
西日が一層傾いてスクリーンが暗転を始めた頃、私はようやく歩道橋を下りました。地上から振り返ると、先刻よりわずかに薄い虹がやはり神々しいままでそこに在りました。
我ながら、単純だとは思いつつも、生きていてよかったと心の底からそう感じました。
住宅街へ続く通りへ一歩入ると、古い一軒家から六十がらみの女性が小雨に眼を細めながら、小手をかざして虹の方を見ておりました。私は無性に嬉しくなって
「随分と綺麗に出ていますね」
と、声をかけずにはいられませんでした。
「ほんまになあ。家の中からちょっと見えたから、急いで出てきたんよ。孫にも言うてやろうと思うたけど、今からやったら遅いわなあ」
「ええ、そろそろ消えそうですね」
「なあ。残念やけどな。でも、虹見るの久しぶりやから、子どもみたいにはしゃいでまうわ」
そう言ってにっこりとした笑顔を見て、私は歩道橋の特等席で見た虹以上に、尊い虹を見たような、そんな気がいたしました。