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丘の観測者

 男がひとり、歌っていた。丘に立ち、鍵盤を叩き、弦を弾き、ハモニカを吹き、そして歌っていた。男の歌は鼓舞であり、祝福であり、否定であり、善の肯定であった。男は丘に立ちながらにして、何処へでも行くことができた。あるときは排気ガスの充満した高速道路の上、あるときは太古から不変の原生林の奥地、果ては六畳の安アパートの隅。どんな場所にも男は行くことができた。男は人間ではなかった故、これらいくつもの場所に同時に存在することができた。空間だけでなく、時間すらも彼にとって障害にはなり得なかった。男はどの時代のどの場所にも存在し、そしていつでもただ一心に歌っていた。男の正体は思念であり、空想であり、妄想であり、キミであり、そして私であった。

 男は観測者でもあった。正確には見届ける者であった。生命の誕生と死、そして再生を、魂の分岐と選択を、理想と現実の狭間を。男にできることは歌うことと、見届けることの二つしかなかった。

 あるとき、男は若者の傍にいた。根拠の無い不明瞭な自信が若者に絵筆を握らせて放すことを許さなかったのである。若者は夢想家と言われていた。周囲は若者を愚かな、才能の無い夢追い人だと嘲笑した。あるいは理想に惑わされた凡人として憐れんだ。そして若者を望まぬ苦悩の道に進ませようと、ありとあらゆるノイズを生んだ。

 そんなのは才能のある一握りの人間にしかできぬことだ。

 現実を見ろ。

 七難八苦に最適化せよ。

 苦悩礼賛者たれ。

 このような一見、真理のように思える、最も恐ろしい狂気的思想が若者を少しずつ蝕んでいった。

 しかし、このノイズすら、男の歌であった。男の眼はあらゆる次元へと通じる幾千幾万の分岐を観測していたのである。そのうえで、若者にとってノイズは避けて通れぬ関門であると知っていたのであった。ノイズを歌いながらも、男は若者の味方であり続けた。男の眼に映る分岐において、若者が絵描きとして世に出た次元は希望に満ちた滑稽極まりないものばかりであった。ノイズの一切は安い称賛の言葉に変換され、誰も彼もが若者を天才と断じていた。ノイズの主たちには絵のことなど、まるで解っていなかった。伝染病が広まるように黴の生えた賛美の言葉を吐くアンドロイドが増殖し続けた。そうして若者は「芸術家」という称号を受け、後世に語り継がれることになっていた。

 男には解っていた。若者は決して「芸術家」ではない。夢想家でもない。ただ若者は若者自身を生きただけのことであった。群衆の目に留まるか否か、それだけの差でしかなかった。それ故にノイズを歌った。後の「芸術家」を祝福するためには不可欠なノイズを。

 男の見ている前で、若者は分岐をひとつ選択すると巨大な樹形図のなかに消えていった。その選択を男は見届け、祝福の歌を高らかに歌った。

 

 男の歌は止まない。世界中の事象を見守るべく歌い続けた。

 ひとひらの桜のために、一匹の蝉のために、半分だけ色づいて散った紅葉のために、極微の六花のために。全てを見守り、祝福するべく歌い続けた。彼の息遣いは森羅万象に宿る魂に作用し、優しい小さな口笛は生きとし生ける者たちを抱擁し、肯定し、寄り添った。

 

 男がひとり、歌っていた。丘に立ち、キミを祝福するべく、いつまでもいつまでも歌っていた。


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