或る青年の遺書
死ぬことにしました。四五年以前より思案しておりましたが、ようやく決心いたしました。何も死を恐れていたからではありません。もちろん、恐怖が全然無かったわけではありません。しかし、今日までの私は傑作の幻と肉体が存在しているという精神的な、物質的な慣性の法則によって生きて、いや、生かされていたのです。これまでの私にとっては死を想うことが逆説的な生きる糧となっておりましたが、もはや私にとって死は霧につつまれた無限遠点ではなく冗長な駄文を切り上げる句点となりました。
とりたてて、恥の多い生涯ではなかったと思います。後悔もありません。全ての分岐は必然であったろうと確信しております。それなりに苦労もいたしましたし、充分、懸命に生きたと我が身を労わってやりたいような気さえいたします。とは言ってみたものの、心残りも少々ありますから、それを少し書き留めておくことにいたします。
私は生涯を通して優しい奉仕の創作を成したかったのです。疲れた優しい人の心にそっと触れられるような「何か」を創りたかった。その一心で生きながらえてきたと言っても過言にはなりますまい。「何か」とはなんでもよかった。詩でも小説でも絵でも音楽でも。しかし残念なことに私には画才も僅か程の音感もございませんでしたから、なけなしの文才に頼るほか、「何か」を創る手だてを思いつきませんでしたのでこうして死を前にして筆を執っているのです。
どうせ死ぬのだから、という半ば投げやりな気持ちで浮世への不平不満を残すことにしよう。不平不満とは即ち苦悩礼賛と群衆である。一つずつ片付けてゆくことにしよう。もしも、この手記に読者がいたとして(まさかそんなことはあるまいが)、諸君も知っての通り、この世は一切皆苦である。そして、哀しむべきことに我々は生きてゆく上で苦悩から逃れられぬものらしい。これは私の短い人生で帰納的に推察したことに過ぎないが、一般的な嘆息とみなしても大過ないことと思う。それにもかかわらず(いや、それ故にであろうか)、人々は絶えず苦悩を求めている。私が最も愚かしいと思っている者達は苦悩と幸せの間に等号をさえ置いている。苦悩中毒だ。本来、生きるうえで避けられない悲劇を、社会は強いる。苦悩に満ちた人生を称賛し、平和と安楽の人生を蔑む。馬鹿馬鹿しい。自らが口にした苦汁を、辛酸を、したり顔で人に与え腐食されたみっともない自尊心を満足させている。到底こんなことでは幸福など望めまい。人類なぞ、とっとと滅亡してしまえ。それこそお前たちの望む苦悩の極致に違いないだろう。
群衆。これも嫌いだ。取り違えてもらっては困るが人々、ではない。私が嫌いなのは意思の無い、感性を放棄した存在しないはずの架空の群衆である。受け売りの受け売りを有難がって享受するに留まらず、あまつさえ、新しい価値観、革命、などという大それた言葉で褒めそやす。まったく下らぬ。何が新しい価値観だ。何が革命だ。ただ覆いが取り払われただけのことではないか。はしたない。
心のままに下らぬことを申し上げましてお恥ずかしい限りです。この辺りで私の遺書はお終いにいたします。後の世の人よ。どうか優しくあってください。傷を見せびらかすようなことはなさいますな。貴方の痛みは貴方が一番良く知っているでしょう。それでいいじゃありませんか。
生まれ変わるなら、もっと優しく賢い、強い創作者になりたいものです、と言いたいところですが私はもう二度と再び生まれたくはありません。
それでは、これで失敬。本当は何もかもを私は愛していたのです。
これは私がとある港町を訪れた際、海に面した断崖に見つけた手記です。真っ白な封筒に入っていました。あとは銅色の煙草の空箱が一つ、落ちておりまして、それより他には何もありませんでした。これを残した人物が果たしてどうなったのか、もちろん私は知りませんし、あるいは初めから存在しておらず、誰かが悪戯に書いただけかもしれません。それでも私はこれを読んでいたたまれない気持ちになりました。身勝手にも、残酷にも、この人物に生きていて欲しいとさえ願いました。これを書いた人はほんとうに優しい人物に違いありません。大勢の人から大切にされるべき人です。この人の苦しみを想うとかわいそうでなりません。どうか皆さん、この人の幸せを祈って下さい。