第五話 門の前
前田は最初、親切だった。
転校してきたばかりで、右も左もわからずオドオドしていた私に真っ先に声をかけてくれた。
「鞄はここ。教科書はここへしまうんだ。ほら、あの子は石井さん、勉強ができるんだ。あいつは中野、足がクラスで一番早い。・・・」と丁寧に教えてくれた。
私は硬くなっていた体が急速に柔らかくなっていくのを感じた。
でも、何故か前田と友達になりたいとは思わなかった。けれども前田のおかげで転校初日の緊張を一瞬にして氷解した私は、クラスの他の子供たちを観察する余裕ができ、名前や態度を順番に憶えていき、そのうち遊びに誘われるようになっていった。しかし前田とはそのとき以来ほとんど交流がなかった。
あるとき前田が自分の誕生日に友達を招待すると話しているのが聞こえた。私は誘われなかったし、別に行きたくもなかったので、騒いでいるみんなから、わざと離れたところにいた。みんなのいる前で招待する人を選ぶのもいやな感じだった。前田は私の名前を呼ばなかった。
そろそろ帰ろうと思ったそのとき、女の子が
「三宮君もおいでよ」と私を誘った。
「だって僕は・・」(行きたくない)という言葉を呑み込んだ。
「そうだおいでよ」とほかの何人かも優しく明るく誘ってきて私は断ることができなくなった。
「前田君、僕も行ってもいい?」という私を前田は振り向かずに「ああ」と答えた。
次の日曜日、男女合わせて10人ほどで待ち合わせて前田の家へ行った。
前田の家はそこそこ大きな家だった。みんながやってくると前田は門の外で待っていた。
「感心感心、みんな時間通りだね」
「やあ、こんにちは」何人かが門を入ろうとすると、前田が
「待って待って、」入りかけた子供たちを外へ出した。前田は何かのショーの司会者みたいにまっすぐに立って、みんなに説明し始めた。
「これから僕が門の中に入って一人ずつ名前を呼びます。名前を呼ばれた人はハイッと大きな声で返事をしてください。すると僕が門を開けますからその人だけ中に入ってください」
「何よ悪趣味!さっさと入れてよ」数人の女の子が文句を言った。
前田はいつになく強硬だった。
「このルールが守れない人は帰ってもらいます」
「何だよバカバカしい。じゃあ帰るよ、おい帰ろうぜ、」中野が言った。あわてて前田は
「待って、絶対名前を呼ぶから!お願い!ただの遊びじゃないか。」と帰ろうとする中野の腕をとった。
「ちっ、しょうがないな、呼ばなかったらぶん殴ってやる」
「絶対呼ぶよ!一番に呼ぶから」
中野は前田に腕をつかまれたまま、不承不承にうなずいた。
「さあ、はじまりはじまりぃー」前田は歌うように言うと門を閉めた。
「じゃあ最初は、中野君!」前田が言った。
「おぅーえらいじゃないか、俺の名前を一番に呼んだな。・・・・おい、早く門を開けろよ」
「ちゃんとハイッと返事をしてください」門の中から前田が言った。
「なんだよ、ハイッ!」
「ハイッ中野君、どうぞお入りください」
中野はほっとしたような顔になって門の中に入っていった。
「次は井上さん」
「石井さん」
つぎつぎと名前が呼ばれて門の中に消えていった。
「・・・前田の奴さ、かわいい女の子ばかり先に呼んでいるぜ」最後に残った3人の内の村上が言った。
「村上君」
「おっやっと呼ばれた、少しどきどきしちゃったよ」
前田が言った。
「あとはもう誰もいませんね」
「ばかやろう!まだいるだろう!俺だよ、木村だよ!」
「あっそうでした、木村君!」
「ハイッ」
「おい三宮、最後になっちゃったな、大丈夫。ちゃんと名前を呼ぶから」
木村が門の中に入り、私一人が門の外に残された。
私はさっきから何かずっと昔に経験した事があったようなデジャヴュを感じていた。
前田は私の名前を呼ばなかった。
門の中から声がもれてくる。
「おいっ三宮がまだ外にいるぞ」
「三宮ぁ?、誰それ、そんな奴知らないなぁ」という前田の声が聞こえた。
私は頭のてっぺんに血が上り顔が熱くなってくるのを感じた。それでも、情けなさにいっぱいになりながら門の外に立ち尽くしていた。
「みんな、もう寒いから家の中に入って。お菓子がいっぱいあるよ、」という前田の声が又聞こえてきたとき、少しずつ門から後ずさりし始めた。
少しずつ、少しずつ門から離れて行き、その間も前田が私の名前を呼ぶのではないかと耳をすませながら。
やっと曲がり角までたどり着きほっと息をつき、そしてとぼとぼと重い足取りで帰り道を歩いた。こんなに早く家に帰るのがつらかったので、しばらく公園で時間をつぶした。
次の日、かつてないほど学校に行くのが辛かったが、それでも登校した。
私はクラスメートの顔をまともに見られなかったが、それでも何事もなかったかのように装い自分の席についた。
昨日一緒にいた女の子がそばにきた。
「昨日どうして帰っちゃったの?」と聞いてきた。私はかすれる声で
「名前を呼ばれなかったから・・」と答えた。
そのときどこからか前田が急に現れた。前田は慌てたように
「ちゃんと呼んだよ、三宮君て」と言いながらそばに来た。
私は誰に言うとも無くつぶやいた。
「いいんだ、もう。僕には聞こえなかった」
前田とはその後2年間同じクラスメートとして過ごしたがほとんど口を利くことは無かった。