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その朝  作者: 三宮新真
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第二十七話 いやな感じ

第二十七話 いやな感じ


 僕は口下手で人と争うのが嫌いで口げんかなどは大の苦手だった。それでも気の合う友人たちと遊んでいるときや話をしているときは楽しくて、いくらでも話題が浮かんできて頭で考えなくても次から次へと言葉が飛び出してきた。でもそういう楽しいときにいつの間にかいやな奴が混じっているのだ。川田はそんな奴だった。気が弱そうでけんかも弱く勉強もできないのだが、いつも不良グループにくっついていておべっかみたいなことを言ってご機嫌取りをしてみたり便利に使い走りに使われたりしていた。ペラペラとよくしゃべる川田はその話す内容がとてもつまらなくて僕は延々と話し続ける川田と口を利くのが苦手だった。つまらない自慢話をいつまでも話し続ける川田のそばにいる事に苦痛すら感じるのだった。川田が

「あのさあ、この間こういう事があったんだ。面白いぜ」と川田が話し掛けてくるとき、川田の「面白いぜ」とか「おっかしいんだ」とかいうセリフを聞いたとたんに気が重くなるのだ。川田のもってまわった言い方と長々と続く話の内容はあまりにもつまらなかった。

 だが、川田が他の子と話をしている姿を遠くから見ていると笑いながら話す川田の様子は輝くようにうきうきとして楽しそうに見えるのだ。遠くから眺めている限り川田はとてもいい奴なのだ。

 ある土曜日の午後、僕らは広い空き地でサッカーをして遊んでいた。はじめたきっかけは覚えていない。不良グループの岬が高級品のサッカーボールを持って来たのだ。そのボールは僕らがいつも遊んでいるゴムで出来たボールとは雲泥の差があるプロの公式戦用の皮で出来たボールだった。岬はそのボールを特に自慢するわけでもなくみんなに提供した。僕らはそのボールの重い蹴り心地にうっとりとしながらサッカーを楽しんでいた。

 川田はボールを提供した岬に対して「このボールはすごい。さすがは本物のプロ用のボールだ」とみんなでサッカーごっこをしている間中、ほめ続けていた。岬は不良の割りにクールな奴でそんな川田を完璧に無視していた。

夕方近くなりそろそろ帰ろうとみんなが思い始めたとき、誰かが岬に返そうとしたボールを川田が走り寄って受け取った。ボールを手に持って川田が言った。

「みんな、明日の日曜日もここに集まってこのボールでサッカーしたいか?」

 僕もみんなもこのボールの蹴り心地が楽しかったためほとんどの子がOKした。そして川田はボールを持ったまま岬のそばへ行きペコペコしながら「この素晴らしいボールを明日もみんなのために貸してくれ」と言った。岬はそんな事どうでもいいと言う顔で「いいよ」と言った。

 川田は岬の返事に小躍りするように喜びみんなに向かって、この俺がこの素晴らしいボールをみんなのために岬から借りてやったんだ、みんなこの俺に感謝しろ、というような感じの事をはしゃぎながら話し続けた。

 少なくとも僕にはそういう風に聞こえた。はしゃぎ続ける川田に岬は言った。

「川田。ボールは明日も貸してやる。そのかわり今日お前がこのボールを家に持って帰って明日みんなが集まる時間にここへ持って来い」

 川田は一瞬ビクッとしたが、すぐまた岬にペコペコと頭を下げた。

「わかりました、わかりました。僕がこの大切なボール様を持って帰って、明日大切にお持ちいたします」

 川田がペラペラしゃべる声が僕にはそう聞こえた。

 岬が行ってしまうと川田は空地にまだ残っている子をきょろきょろと眺め出した。そのとき勘のいい子はピンときた。話し掛けようとする川田にすばやく背を向けて足早に帰り始めた。僕は少しだけ油断をしていた。川田が僕の名前を呼んでも聞こえない振りをして帰り始めた。川田は大声で僕の名前を何度も呼びながら走り寄ってきて並んで歩き始めた。ニコニコ笑いながら僕に話し掛けてきた。そして今日のサッカーごっこでの僕のシュートやドリブルをペラペラとほめ始めた。僕の横にぴったりと貼り付きペラペラと僕をほめ続ける川田にうんざりしながら僕は歩き続けた。そのうち川田の話は進み僕と川田の二人は中の良い友達だというように進行していった。川田と僕は何でも助け合う中の良い友達だというのだ。川田は僕に

「困っている事があったら何でも僕に相談してくれ。何をおいても助けるつもりだ。どんな事でも言ってくれ」と言った。

「さあ、何でも言ってくれ」と唾を飛ばしながら潤んだような瞳で熱弁を続けた。

 僕は川田に頼む事など何も無かった。そしてうんざりしながらその通りを言った。

 川田は驚いたように、そして残念そうに言った。

「そうか、無いのか。わかった。でも今後何か困った事があったら必ず相談してくれ」としつこく続けた。

 道の曲がり角に来た。川田の家は僕と反対方向だ。川田と別れようとすると川田が僕の腕を掴んだ。振り向くと川田が今度は卑屈な愛想笑いを顔いっぱいに浮かべて僕にペコペコし始めた。「何だ」と言う僕に川田は「お願いがある」と言った。「聞いてくれるか」という。僕はもう川田と話し続けることに本当にうんざりしてきた。

「何だかわからない事には答えられない」と言った。

 そのまま行こうとする僕に川田は

「僕らは友達じゃないか」言いながら腕を放そうとしない。

「そんなにたいした事じゃない。簡単な事だ」

 僕はもうとにかく川田と別れて家に帰りたかった。

「何でもいいから早く言えよ。もう帰るよ」

 そのとき川田はまた愛想笑いを顔いっぱいに浮かべながら言った。

「明日、君もサッカーするのかい?」

「そのつもりだ」いらいらしながら僕は答えた。

 それを聞きさらに楽しそうに笑ながら川田は岬から預かっているサッカーボールを僕に差し出して僕の手に持たせた。

「?」僕は訳がわからず川田から強引に渡されたボールを受け取った。その瞬間、川田は実に自然に大きく一歩後ろへ下がった。そしてさらに僕から離れながら言った。

「そのボール。明日空地にまた持ってきてくれ。頼んだよ」そう言うなり後ろを向いて小走りで走り出した。

「おい」と僕が声を出したとき、川田はもう信じられない遠くを走っていた。僕はあっけにとられてしばらく立ち尽くした。

(おまえ、自分で岬にこのボール様を持って帰りますって言ったんだろう。それもそうだけど、こんなくだらない事を僕に押し付けるために今まで延々とくだらない話を続けていたのかよ)

 僕は急に沸いてきた怒りのようなむしゃくしゃした気持ちでいっぱいになり、あっという間に見えなくなった川田の走り去った方向へ向かって、持っていたボールを力いっぱい蹴り上げた。ジャストミートされたボールは一直線に舞い上がり遥か遠くに落ちた。(しまった)と思いながら僕は暗くなった街中をボールの転がった方向へ慌てて駆け寄った。幸いボールはすぐ見つかった。僕は見つけたボールを大事そうに抱きかかえて家へ帰った。妙にむしゃくしゃしていた。家に帰り晩御飯を食べてお風呂に入り、そして布団に入ってもイライラした気持ちが消えずなかなか寝られなかった。

 なかなか寝付かれない布団の中で僕は考えた。

(何故こんなにむしゃくしゃするのだろう。このサッカーボールを家に持って帰って明日空地へ持って行く事がその理由なのでは決して無い。そんな事は些細な事だ。なんの労力もいらない事じゃないか。だけど何故こんなにもむしゃくしゃするんだろう)僕はそれを考えながらそのうち眠ってしまった。

 翌朝、起きて歯を磨き朝ごはんを食べていつものスッキリとした気分だったが、部屋においてあるあのサッカーボールに目がいくと、とたんに昨日のいやな感じが蘇ってきた。朝の内はなるべくサッカーボールのほうを見ないようにした。

 昨日、みんなで今日の十時に空地に集まる約束をした。だんだんとその時間が近づいてきた。そろそろボールを持って家を出なければならない時間だ。

「よし。行こう」と僕は立ち上がった。そしてボールを持とうとして驚いた。手が動かないのだ。ボールに触れないのだ。

(何だよこれ。本当かよ)

 何度もボールを持とうとしたがその度に全身に悪寒が走り、そばに寄れないのだ。そのうちにボールを見ただけで気分が悪くなってきた。

(みんなもうそろそろ空地に集まってきているはずだ)そう思って気力を振り絞ってもボールに近づけないのだ。持つなんてとんでもない感じだ。

(どうしようか)と部屋の中をうろうろしていると紙で出来た手提げ袋に目がいった。僕はそれを手に取り(もしかしたら)と思いながらボールの上から逆さまに被せた。ボールが紙袋に隠れて見えなくなるとさっきまで全身を包み込んでいた震えるような悪寒がうそのように消えて無くなった。僕はそのままおそるおそる紙袋を両手で掴みひっくり返して紙袋の手提げの紐に手を通した。そしてボールを入れたまま紙袋を持ち上げた。出来た。

(やった。大丈夫だ)

 僕はそのまま玄関へ行き、靴をはき、昨日の空地へ向かった。約束の時間にはだいぶ遅れてしまっていた。

 空地にはもうみんな集まり僕の到着を待っていた。

「あー。やっと来た」

「おーい。おそいぞ」とみんなは怒りながらも明るく声を掛けてきた。

僕は走り続けながらみんなに謝った。

「ごめん、ごめん」息を切らしながらやっとみんなのところにたどり着き、紙袋を差し出した。誰かに「このねぼすけ」と笑いながら頭をぽんぽんと叩かれた。僕も笑いながら「ごめんごめん」とさらに謝った。

 そのときいきなり背中をドシンとした蹴られたような強烈な衝撃が襲った。

「ひどいなあ」と痛さを堪えて笑いながら振り向くとそこに川田が立っていた。

 川田はまるで全身から湯気が立っているような鬼のような形相で僕を睨みつけていた。

「遅いぞ。いったい何をやっていたんだ。みんなを待たせて、このバカヤロウ!」

 目が血走って唾を飛ばしながら僕に食って掛かってきた。

「謝って済むようなことじゃないだろう。みんながどれだけイライラして待っていたと思っているんだ。ボールを置いたらとっとと帰れ!」川田は僕の胸倉を掴んでいまにも殴りつけようとしていた。僕は川田に胸倉を掴まれたままうなだれて言葉が出てこなかった。しばらく川田はわめき続けていたが不意に僕の手から乱暴に紙袋を奪い取ると紙袋を高々と持ち上げてみんなの方を向いて言った。

「まったくこのバカどうしようもないぜ。こんなバカほっといてサッカーはじめようぜ」

 僕は言葉も無くとぼとぼと帰り道を歩き始めた。どのみち僕はこのボールを見ると気分が悪くなってしまうためサッカーなどとても出来そうもなかった。ボールを届けたらすぐ帰ろうと思っていたのだ。

 広い空き地は川田のはしゃぐ声以外は何も聞こえなかった。僕はゆっくりとゆっくりと歩き続けた。 

遠くで「ガツ!」という音の後に「どさり」というなにか荷物が落ちるような音がした。

 振り向くと川田が顔を抑えてうずくまっている。

 岬がその前に立っていた。岬の硬く握った右の拳骨に血のような赤いものが見えた。岬はうずくまる川田の手から紙袋を奪い取り中からサッカーボールを転がした。そして岬はチラッと遠くを歩く僕のほうを見てボールを思いっきり蹴った。僕はあわてて飛んでくるボールの方へ走りインサイドで受け止めた。それから力いっぱい岬に向かってボールを蹴り返した。ボールはみんなに向かって一直線に飛んでいった。そのボールにはもういやな感じは消えていた。


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